兄の結婚相手④
リリアンヌ視点
ヒュージライ家は、二階建ての大きな屋敷だった。
前庭には草木が丁寧に切り揃えられていて、どこか真面目な印象を受けた。
ガブリエルの侍女が、屋敷の裏手にある庭園まで案内してくれた。
いろいろな花が植えられ、見ているだけで楽しい。
使用人が、庭を眺められるよう椅子を少し斜めに向けてくれた。
「良い香りね」
「…えっ」
使用人が驚き、手を止めた。
「あ…ごめんなさい」
リリアンヌは、はっと謝った。
淹れてくれる紅茶から良い香りが漂っていたから、思わず話しかけてしまった。
「…いいえ、大変失礼しました。ヒュージライ家に伝わる紅茶です」
「そうなのね」
「ええ。南の島ルフルドから仕入れた茶葉を、独自に調合しております」
「ルフルド島…!知っているわ。美味しい果物がたくさんあるのでしょう?」
「リリアンヌ殿下は、物知りでございますね」
使用人が、にこっと微笑んだ。
「……」
その間、ガブリエルはどこか落ち着かない様子で二人を見比べていた。
また、何か間違えてしまっただろうか…
作法に関しては、前より良くなったはずだ。
何度も注意されてきたことを思い出し、背筋を伸ばしてガブリエルに微笑みかけた。
「お義姉様。結婚式、楽しみですね。大聖堂へ行くのも、久しぶりなのです」
「…あ…ええ。わたくしは、兄の結婚式以来ですわ」
ガブリエルが、はっと口を開いた。
「リリアンヌ殿下がセスランディア大聖堂に通われていたことは、聞いております」
「ええ。もう、四年以上も前になるのですね」
リリアンヌは答えながら、淹れてもらった紅茶をこくりと飲んだ。
「…!」
口の中に、甘い味が広がった。
とても美味しい。
紅茶を淹れてくれた使用人と目が合い、にこりと笑い合った。
「…リリアンヌ殿下は、よく笑われますね」
「え…?」
「わたくしには…持ちえないものです」
ガブリエルは目を伏せ、そっとカップをテーブルに置いた。
「私は、お義姉様のその美しい所作が、羨ましいです」
リリアンヌは、何気なく返した。
「…所作ですか?」
「ええ。先日も思いましたが、お義姉様のお辞儀や作法は、とても丁寧で綺麗です」
習っているから、より分かる。
ひとつひとつの所作が、令嬢として完璧で、美しい。
「私にはできないことなので、心から尊敬します」
「それは…こちらの台詞です…!」
ガブリエルは、ぎゅっと眉を寄せた。
「……」
怒らせてしまった。
何がいけなかったのだろう。
「…っ」
ガブリエルが口を結び、顔を逸らした。
「…あ、あの」
どうしよう。
何か、言わなくては。
「あの…お義姉様。本当に、ごめんなさい」
「?…何の謝罪でしょうか?」
ガブリエルは、険しい表情のまま顔を上げた。
「その…私はどうやら、相手の気持ちを察するのが苦手なようなのです」
「はい…?」
「きっと、知らないうちにお義姉様を傷つけてしまったのかも」
「…話が見えないのですが」
「お義姉様…無理に、私に我慢しなくてもいいです」
リリアンヌは眉を下げ、寂しそうに微笑んだ。
「私が何かしてしまっていたら…どうか教えてくれませんか?」
「!?違います…!」
――ガターンッ…!
ガブリエルが勢いよく立ち上がり、椅子が後ろへ倒れた。
「え」
リリアンヌはカップを持ったまま、ぽかんと見上げた。
しん、と静まり返る。
「……」
控えていた侍女が、何も言わず椅子を起こした。
「…っ」
ガブリエルは下を向いたまま、わなわなと肩を震わせた。
「お、お義姉様、ごめんなさ――」
「…わたくしはっ…!」
「はい…っ」
慌ててカップを置き、姿勢を正した。
「わたくしは…リリアンヌ殿下に――」
ガブリエルは、意を決したように顔を上げた。
「リリアンヌ殿下に、憧れているのです…!」
「へっ…」
予想外の答えに、再びぽかんと口を開けた。
「……」
ガブリエルは小さく息を吐くと、ゆっくりと座り直した。
「…先日もお伝えした通り、父やルイージ宰相から、よくリリアンヌ殿下の話を聞かされておりました。わずか十四歳にして多くの英雄譚を持つリリアンヌ殿下を、わたくしは心から尊敬しております」
「…お義姉様」
「憧れを募らせすぎて…いざお会いすると、舞い上がり…うまく言葉が返せず、恥ずかしい限りです」
テーブルの上で、ぎゅっと拳を握った。
「自分よりずっと年下の殿下に勝手に憧れ、そのうえ、勘違いで不快な思いをさせてしまって…本当に情けないわ」
「お義姉様…!」
咄嗟に、ガブリエルの手をぱしっと握った。
「私こそ…お義姉様を傷つけてしまって、ごめんなさい」
ちゃんと、この誤解を解かなければ。
「その…そういうふうにおっしゃっていただけて、とても嬉しいです」
リリアンヌは、小さくはにかみながら続けた。
「私も…お義姉様に、勝手に称賛を送っていました」
「称賛…?」
ガブリエルが不思議そうに首を傾げた。
「はい。お義姉様は、女性文官として働かれています」
「…ええ、そうです」
「きっと…たくさん苦労されてきたことかと思います」
ネウロに、少し話を聞いただけだ。
それだけでも、男性ばかりの中で働く大変さは伝わってきた。
「それでも、ずっと働き続けると言い切るお義姉様が、とても格好良い」
リリアンヌは、目を細めて微笑んだ。
「自分のしたいことばかりしている私より、ずっとすごくて、格好良いです」
「…リリアンヌ殿下」
「お義姉様…その、殿下というのをやめませんか?」
「ですが…恐れ多くて、とても…」
「私は、お義姉様の妹です。恐れ多いことなんて、何もないです」
「…分かりました。リリアンヌ様」
ガブリエルは、真剣な表情で頷いた。
「……」
今は、まあ、それでも…
いつか、リリアンヌと呼ばれるようになれればいい。
それから、話は家具や式のことへ移っていった。
たくさん話をし終えた頃、名残惜しさを感じたままヒュージライ家をあとにした。
ガブリエルが、馬車の前まで見送ってくれた。
「そういえば…リリアンヌ様の従者は、獣人族なのでしょうか」
「!はい、ビッケと申します」
「…従者の方に、こんなことを言ってはいけないと思うのですが…」
ガブリエルは言いながら、そっと目を伏せた。
「…なんでしょう」
リリアンヌは、小さく喉を鳴らした。
この間の食事会で、ビッケに目を向けていた。
何か、思うところがあるのだろうか――
「とても…可愛らしい」
ガブリエルがほんのり頬を染めて、口元に片手を添えた。
「……」
「わたくし、獣人族を初めて見ましたの。まさか、お耳があんなに愛らしいなんて…」
「……」
「にやけてしまいそうになるのを止めるのに、必死でしたわ」
「…ふふふっ」
「もう…リリアンヌ様、笑いごとではありません」
「ふふっ…ごめんなさい、お義姉様」
リリアンヌは両手で口を塞ぎ、それでも嬉しそうに笑った。
「私の、自慢の従者なの」
「…そうでしょうね」
ガブリエルは、ふっと優しく微笑んだ。
とても綺麗な笑顔だった。
差し出されたアランフォースの手を取り、馬車へ乗り込もうとして――
「…お義姉様」
リリアンヌは振り返った。
「また何かあったら、呼んでください」
「ええ…次は遠慮なく、お声掛けさせていただきます」
ガブリエルはそう言うと、そっと手を上げた。
やがて馬車が動き出すと、リリアンヌは、窓から見えなくなるまで小さく手を振った。
新しい家族が増えて、自分に姉ができる。
それも、こんなに素敵な女性が。
兄が結婚することは…少しだけ寂しいけれど。
それ以上に――
兄に、なかったはずの未来が訪れたこと。
“物語”とは違う兄の人生を、こんなにも傍で見られることが。
心の底から、嬉しい。




