変わり始める気持ち②
リリアンヌ視点
「そろそろ…帰ろうかな」
みんなで何度か歌ったあと、リリアンヌは長椅子から立ち上がった。
「また来るんでしょ?」
マルが慌てたように尋ねた。
「うん。明日も来るから」
「本当?」
「本当。また、お手伝いよろしくね」
「帰るのー?」
「ここにいないの?」
「また来る?」
「うん、今日は帰るね」
子供たちに答えながら、帽子をかぶり直した。
「また明日ねー!」
「リリィ、ありがとー!」
子供たちに手を振り返し、屋敷をあとにした。
キリが先頭になって、先ほど通った道を歩いていった。
もう、夕焼けが広がっている。
再び、治安の悪い通りを進んでいく。
夕方になったからか、先ほどよりも人で溢れていた。
ブライアンが手を取り、壁側を歩かせてくれた。
「十二塔の奴らが、エレンザー組に喧嘩を売ったらしいぜ」
「ロボドの店、放火されたらしい」
「あいつが、クアドラの女に手ぇ出したからだろ」
耳に入ってくる会話は、どれも物騒だ。
ブライアンは無言のまま、早足で歩き続けた。
そういえば…どうして、ブライアンはここにいたのだろう。
お忍びで遊びに来たわけじゃないことくらいは、分かるけれど。
それなら、仕事の一環だろうか。
考えてみれば、ブライアンが普段どんな仕事をしているのか、よく知らない。
当たり前のように、薬療院の管轄や担当を知っていた。
騎士になったから、軍の仕事が中心なのだと思っていた。
でも、王太子として政務にも携わっているのだろう。
仕事ができて、強くて、格好良くて、優しくて――
次期王として、本当に相応しい。
狭い道を抜け、ようやく北の商店通りまで戻ってきた。
ちらりと後ろを見ると、いつの間にかキリが姿を消してアランフォースだけだった。
「このまま屋敷に戻るのだろう?」
その辺りで、ブライアンが口を開いた。
「あ…いいえ。少しだけ寄り道してから帰ります」
「どこにだ?」
ブライアンの顔が険しくなった。
「サム…ええと、先ほどお話しした、便利屋の友人へ会いに行きます」
サムのことだから、きっと、マルがどうなったか気にしている。
「……」
「ブランこそ、また六塔の方に戻るのですか?」
何をしていたかは知らないけれど、私に付き合ったことで予定も変わってしまっただろう。
「いや…もう、今日はいい」
「では、王城に戻られるのですね?」
「いや…」
「…?」
それなら、どこに戻るのだろう。
「私がついていっては、迷惑か?」
ブライアンは、ちらりと不満げな視線を向けた。
「…どこに?」
「その、サムという者の店に」
「えっ…」
「何か困ることがあるのか?」
「…いいえ」
困ることは、何もない。
だけど、サムになんて紹介をすればいいだろう。
従兄ですと言っていいのだろうか。
私と違って、明らかに正体を隠して来ているのに。
「そうか。それなら、このまま君とサムの店に行こう」
ブライアンはそう言って、手を繋いだまま通りを進んでいった。
ドグリ食堂を通り越すと、サムの店が見えてきた。
「ここです」
「……」
扉の前でブライアンが足を止め、“便利屋サムリリィ”の看板をじっと見上げた。
リリアンヌはその脇を抜け、店内へ入っていった。
「サム、遅くなってごめんね…!」
「!リリィ、遅かった…な」
カウンターから顔を上げたサムが、ぴたりと固まった。
「?サム、どうしたの?」
「…お前が、サムか」
真後ろから、いつもよりずっと低いブライアンの声が聞こえた。
「えっ」
「初めまして、サム。私はブライアンと言う」
帽子を外したブライアンが、にこっと微笑んだ。
珍しい笑い方だ。
「っ…お、王太子…!」
「リリィが、世話になっているようだな。お前を困らせていないか?」
「…!」
サムは、勢いよく首を振った。
「サム…驚かせてごめんね」
リリアンヌは、急いでカウンターに駆け寄った。
「思ったより遅くなっちゃって…帳簿進めるの、また今度でいいかな?」
「……」
サムはブライアンを凝視したまま、無言で頷いた。
明らかに緊張している。
「…成り行きで、合流したの」
リリアンヌは苦笑しながら、こそりと伝えた。
「あのね、マルは、六塔の孤児院に行くことになったから」
「…え?」
サムは、ゆっくりとリリアンヌに目を向けた。
「マルのお母さん…私には、どうすることもできなかった」
「…そうか」
「六塔の薬療院がね…シルヴィアのところと全然違うから、驚いちゃった」
「だから…言っただろ。オレたちは、恵まれてるって」
「まだ、きっと…貧民区には、多くの孤児たちがいるよね」
「…まだ、これからだろ」
ぽつりとした声が返ってきた。
「変えていきたいって、思ってるんだろ」
「…うん」
悔しがっていても、後悔していても仕方ない。
サムの言う通りだ。
「あ…そうだ。これ、ジーナから」
サムは懐から何かを取り出し、カウンターに慎重に置いた。
「!」
小さな飴の入った小瓶だ。
「この間、ドグリさんを診てくれた礼だって」
「診たって…ただ、様子を見に行っただけなのに」
くすっと、笑みがこぼれた。
あのあと、体調に変わりはないか訪れただけだ。
「でも、嬉しい。ジーナの飴は、綺麗だから」
この色とりどりの飴を、ずっと見ていられる。
「ありがとうって、伝えておいて」
「どうせ、すぐ会うだろ。直接言えよ」
「あはっ、それもそうだね」
ジーナは、よくこの店にやってくる。
「あっ…サム。帽子、ありがとう」
リリアンヌは帽子を外すと、背伸びしてサムの頭にぽすんとかぶせた。
「おまっ…」
サムは、さっと扉の方へ視線を向けた。
「…っ!」
その顔が、みるみる強張っていく。
「?」
静かに佇むアランフォースと、離れたところで微笑んでいるブライアンしかいない。
「本当に…勘弁してくれ」
サムが絞り出すような声で囁いた。
「ええと…いきなり、ごめんね」
さっさと出て行った方が、良さそうだ。
入り口へ向かうと、アランフォースが静かに扉を開けた。
「その…また来るね」
「…またな」
サムはカウンターから、ぎこちなく手を上げた。
なんだか…申し訳ない。
今度来た時、しっかり謝ろう。
「…待て、リリアンヌ」
歩き出すと、すぐにブライアンが止めた。
「顔も隠さず歩くつもりか?」
「?はい。いつも、これで歩いています」
「…それで、大正門まで行くのか?」
「いいえ…さすがに、王道は通れません」
リリアンヌは、苦笑して答えた。
「北門から、ちゃんと馬車に乗って帰ります」
「…町を抜けてから馬車に乗っても仕方ないだろう」
ブライアンは小さく溜息をつくと、再び帽子をかぶった。
メリーママの店の前を通ると、夫婦揃って店じまいをしているところだった。
「お、姫さんじゃねぇか」
「あら、姫さん!こんな時間までサムんとこにいたの?」
二人は、すぐにこちらに気付いた。
「少し忙しくて、遅くなっちゃったの」
説明すると、長くなる。
「メリーさん、パン、美味しかったわ!ありがとう」
にこっと笑い、手を振った。
足を止めたら、また長話してしまいそうだ。
「はいよ、また来てね!」
メリーも笑い、手を振り返した。
北の商店通りを抜け、閑静な屋敷街へと入っていく。
ちょうどその辺りで、六時を知らせる鐘が鳴った。
「君を知った気でいて…まだ、知らないことだらけだ」
ふいに、静かな声が耳に届いた。
「…勝手なことをしている自覚は、あります」
リリアンヌは、気まずそうに隣を見上げた。
「でも…これも、私の叶えたいことのひとつです」
「…分かっている」
ブライアンは、困ったように微笑んでいた。
「だが、六塔付近の盛り場を通るのは、いただけないな」
「ブランこそ、あそこで何をしていたのですか?」
教えてくれるだろうか。
「…後片付けみたいなものだ」
誤魔化されてしまった。
「私だって…ブランに関して、知らないことばかりです」
リリアンヌは、小さく口を尖らせた。
「普段何をしているのかだって、分かりません」
「…それなら、これからは知っていこう」
「えっ…?」
「決めた。君のやりたいことに、私も付き合おう」
ブライアンは帽子の下で、にっと笑みを浮かべた。




