変わり始める場所①
リリアンヌ視点
扉の先は、長い廊下だった。
突き当たりに、階段が見える。
「君が怒ったところを、久しぶりに見た」
隣を歩くブライアンが、ぽつりと口を開いた。
「…ごめんなさい」
怒り任せに、声を荒げてしまった。
「…悔しくて、つい…」
「そうだな。父上の政策が行き届いていないことが、よく分かった」
ブライアンは苦々しげに言った。
「他の貧民区に建てられた薬療院も、同じような状況なのだろうか…」
「四塔近くにある薬療院は、きちんと開いています」
リリアンヌはすぐに答えた。
「でも、十二塔の方は分からないな…」
まさかそっちの方も、ここと同じような状況なのだろうか。
「…なぜ知っているのか聞くのは、あとにしよう」
ブライアンは小さく溜息をつくと、階段を上がっていった。
二階は、広間になっていた。
中央に大きなテーブルが置かれていて、まるで食堂みたいだ。
端には調理場があり、そこまで水が引かれている。
さらに奥には扉があり、子供用の二段ベッドがいくつか置かれた部屋に繋がっていた。
まずは、すべての窓を開けていく。
暗い室内に陽が差し込み、心地よい風も入ってきた。
大きなテラスもあり、長椅子まで置かれていた。
埃を拭いていきたいけれど、二階には使えそうな布がなかった。
一階へ下り、部屋を確認していく。
ひときわ大きな扉の向こうに、鉄柵に囲まれた菜園が広がっていた。
どの区画も、何も育っていない。
放置された土の上には、枯れた草がびっしりと広がっていた。
鉄柵の端には、錆びた鍬や鋤が転がっている。
その近くには、種の入った袋も残されていた。
「…はぁ」
リリアンヌは、肩をがっくり落とした。
いちいち落ち込んでいては、日が暮れる。
拭くものがないなら、まずはこっちからだ。
「…マル、おいで」
「うん、なに?」
「土を耕すの、手伝ってくれるかな?ここに住むなら、できるようになった方がいいから」
「分かった」
マルがこくんと頷いた。
まずは、枯れた草を除くところから始めた。
鍬を使い、根元から掘り起こしていく。
キリも黙って、同じ作業をし始めた。
「君は、なんでもやるな」
ブライアンは困り顔を浮かべながらも、鍬を使って大きな草を取り除いていった。
ブライアンこそ、なんでもやっている。
マルも真似して、ぶちぶちっと草を引っ張った。
四人が取り除いた草を、アランフォースが無言で一か所にまとめていった。
総出で、菜園の復興作業だ。
ある程度草を取り除き、土を耕したあと、リリアンヌは残されていた種の袋を開いた。
えんどう豆、人参、キャベツ、蕪…
少し古そうだけれど、とりあえずは十分だ。
今度ギタンにお願いして、他の野菜の種を貰ってこよう。
土の上に、種を蒔いていく。
蒔き終わると、土に両手をついて屈み込んだ。
白のちからを、送りすぎてはいけない。
…少しだけ。
少しだけ、収穫しやすくなりますように。
これを食べたら、体が温まり、元気になりますように。
土の上に、ふわりと白い光が広がった。
「うわ、きれ~!」
マルが小さく跳ねた。
ぽこ、ぽこっと、もう葉が出始めた。
「何してるのー?」
「!」
リリアンヌは、はっと顔を上げた。
「ここ、他にも人がいたの?」
「入ったら、おじさんに追い出されるよ?」
鉄柵の向こうから、子供たちが覗いていた。
「大丈夫!おいで」
その子供たちを、リリアンヌは手招きして呼んだ。
脇の門から入ってきた子供たちが、わらわらと周りに集まった。
「ここで、何してるの?」
「あの人、耳がとがってる」
「肩に、光ってる鳥がいるよ?」
全員で、四人いる。
「あなたたちは、この近くに住んでいるの?」
「住んでるっていうか、オレたちだけで暮らしてる」
四人の中で、一番大きい男の子が答えた。
「たまに、おじさんが捨てた飯を拾いに来てたんだ。…ごめんなさい」
「…謝らないで」
この子たちも、孤児だ。
みんな元気そうだけれど、体が細い。
「脇の物置に、古い布がいくらか残っていた」
ブライアンが何枚かの布を抱え、リリアンヌのもとへやってきた。
「二階へ戻るか」
「そうですね。…行こうか」
子供たちを引き連れて、屋敷の方へ戻っていった。
先ほど出た扉の脇には、小麦の袋や、芋の入った箱が山積みになっていた。
「…はぁ」
リリアンヌはその前で、再び溜息を漏らした。
少なくともプージは半年間、届けられた食料を使っていなかった。
もちろん、貧民区への炊き出しも行っていないのだろう。
分からなかったのなら、誰かに聞けば良かったのに…
…呆れている場合じゃない。
「ご飯、作ろうか…!」
リリアンヌは、くるりと後ろに振り返った。
「ええっ、本当!?」
「やったあー!」
「でも、金ないよ?」
ついてきていた子供たちが、わっと声を上げた。
「ここの二階はね、孤児院と言って、お父さんやお母さんがいない子供が住むところです」
「ここに…オレたちが住めるの?」
一番大きな男の子が、驚いた顔を浮かべた。
「……」
リリアンヌは、ちらりとブライアンと目を合わせた。
小さく頷いている。
「うん、住めるよ」
再び顔を前に向け、こくりと頷いた。
「本当!?」
「寝るところがあるのー!?」
「もう、追い出されない?」
「だけどここで暮らすなら、みんなにもできることを手伝ってもらいます」
「手伝い?」
「そう。自分たちの住むところを掃除して、ご飯を食べるために、野菜を育てる」
「それくらいなら、できる!」
「それから…院長の言うことを、聞くこと」
リリアンヌは、ちょうど扉から顔を覗かせたプージへ視線を向けた。
「へっ…」
プージは把手を掴んだまま、びくりと固まった。
「いんちょう?」
「あの、おじさん?」
「おじさんじゃなくて、院長。あなたたちの、お世話をしてくれる人」
「えっ…」
子供たちもプージも、きょとんとお互いを見つめている。
「…ふふっ」
その様子がおかしくて、つい笑ってしまった。
「絶対、大丈夫。ね、プージ院長?」
「…!」
プージは顔を強張らせ、こくこくと頷いた。
そのままプージに袋と箱を運ぶよう頼んで、先に二階へ向かった。
子供たちと一緒に、広間と子供部屋の掃除をしていく。
掃除が終わると、今度はみんなでご飯の支度に入った。
しっかり手を洗い、小麦と水を混ぜて練り、小さくちぎって丸めていく。
子供たちに任せている間に、届けられた食料を確認していった。
まだ傷んでいない芋も残っていたし、調味料まで揃っている。
芋を柔らかくなるまで煮て潰し、塩で味を整える。
最後に小麦の団子を入れ、火が通るまで煮込めば、とろりとした芋の煮込みになった。
限られた材料しかないけれど、これならお腹も膨れるだろう。
食卓に皿を並べていき、子供たちが席についた。
「…一緒に食べませんか?」
リリアンヌは座る前に、ブライアンにおずおずと尋ねた。
「旅を思い出すな」
ブライアンは苦笑しつつも、椅子を引いて座った。
「アランフォースも…」
「……」
アランフォースは何も言わず、リリアンヌの正面に腰掛けた。
リリアンヌは子供たちの隣に、キリと並んで座った。
「いただきます」
両手を合わせたあと、スプーンを手に取った。
「いまの、なに?」
隣に座るマルが、きょとんとした顔でリリアンヌを見上げた。
「ん?何が?」
「いただきます…?」
「…あ」
しまった。
こうやって外で食べると、どうしても呟いてしまう。
「これは…感謝の気持ち、かな」
「感謝?」
「そう。たくさんの人たちが育ててくれた作物を食べることへの、感謝」
届けられたこの小麦や芋も、誰かが育ててくれたものだ。
「育ててくれたものを、いただきますって。食べ終わったら、美味しいご飯をありがとうっていう気持ちで、ごちそうさまでしたって言うの」
「オレも、やる」
マルが、ぱんっと両手を合わせた。
「じゃあ、一緒にやろう」
リリアンヌはスプーンを置き、再び両手を合わせた。
「いただきます!」
「!」
いつの間にか、子供たち全員が真似していた。
奥に座るプージまで、手を合わせている。
「…ええと」
まさか、前世の仕草をこんな大勢でやることになるとは。
「…そういう意味があったのか」
アランフォースの隣に座るブライアンが、ぽつりと呟いた。
「だから、墓の前でも…」
「……」
リリアンヌは、食事に集中するふりをして黙り込んだ。
誰に習ったのかと尋ねられたら、どうしよう。
ギタンかシルヴィアに聞いたことに…
…それは無理だ。
キリが、知っている。
本の知識ということにしようか。
…ここに、ネウロがいなくて良かった。
けれど、ブライアンがそれ以上その話題に触れてくることはなかった。




