知らなかった場所③
リリアンヌ視点
キリは廃墟を抜け、さらに森の中を進んでいった。
町を囲む第三城壁の近くだ。
知らなければ、こんなところに建物があるなんて気付かなそうだ。
やがて森が開け、低い鉄柵で囲われた石造りの大きな建物が見えてきた。
シルヴィアのいる温かみのある家とは違い、厳かな雰囲気の屋敷だ。
もしかしたら、薬療院と孤児院を合わせてひとつの建物なのかもしれない。
けれど、子供の声は一切聞こえない。
正面の鉄門は、閉まっている。
門の高さを確認して、足にちからを込めた。
「…待て」
すぐに、ブライアンがぱしっとリリアンヌの腕を掴んだ。
「…ごめんなさい。不法侵入になってしまいますよね」
「違う、そうではなく」
「こんにちはー!」
リリアンヌは口の横に両手を添え、声を張り上げた。
何も返ってこない。
「…私が開けてこよう」
ブライアンは鉄門に足を掛けると、するりと登り、向こう側へ飛び降りた。
「かっけー!」
マルが目を輝かせた。
ブライアンが内側の鍵を外し、門が開いた。
すぐに入り口の扉へ向かい、ノックする。
「どなたか、いらっしゃいますか?」
強めに叩いたけれど、返事はない。
「人の気配はするな」
「えっ、そうなの?」
何か作業でもして、気付かないのだろうか。
「開ければいい」
ブライアンは躊躇わず、きいっと扉を開けた。
開けるとすぐに、広い部屋へ出た。
多分…薬療院だ。
あるはずの薬草がないから、確信が持てない。
室内は綺麗で、置かれている道具も使われた形跡がない。
ただ――中央にあるソファだけが、使い潰されていた。
そのソファの上で、恰幅の良い男性がいびきをかいて熟睡していた。
大聖堂で、霊拝師の補助をしていた侍者と同じ格好をしている。
寝ている手からは、酒瓶がごろりと転がっていた。
「リリア…リリィ、待て」
ブライアンの制止も聞かず、リリアンヌは、寝転がる男へまっすぐ近づいた。
「こんにちは!」
眠る男の耳元で、思いきり声を張り上げた。
「…んがっ!あ!?」
男が飛び起きた。
帽子やマントをかぶる一行を見渡すと、露骨に顔をしかめた。
「…あ?なんだ、お前ら」
「あの、話を聞きたいのですけど」
息が、酒臭い。
目も充血して、赤い。
「薬を作ってほしいなら、金を払え。状況にもよるが、一回五千ラークでいいぞ。どうだ、破格だろ?」
男は目を瞬かせながら、転がった酒瓶を拾い直した。
「…ちっ、もうない」
「お金を取っているの…?」
リリアンヌは、ぎゅっと眉をひそませた。
「当たり前だろ?慈善事業じゃないんだ」
「いいえ。ここは、国が代わりに薬代を負担する施設です。ここへ来る時、説明がなかったのですか?」
「半年前にここへ飛ばされて、俺だって何がなんだか分からないんだ」
男は、煩わしそうに手で追い払う仕草をした。
「薬が欲しいんじゃないなら、帰ってくれ」
「…それなら、私が説明します」
「あ?」
「私は、リリアンヌ・エラドリオールと申します」
リリアンヌは背筋を伸ばし、帽子を外した。
「私が、あなたに薬療院とは何かをお教えします」
「はっ…!?」
男は、ぎょっと目を丸くしてリリアンヌを見上げた。
「あなたを…大聖堂の聖療院で見たことがあります」
リリアンヌは目を細め、じっと男を見下ろした。
アイラ様と一緒に、薬を作っていた時――
彼女に仕事を振られていた侍者のうちのひとりだった。
どうして薬師ではなく侍者の彼がここにいるのかは、分からないけれど。
そんなことは、後回しだ。
「…はぁ」
後ろから、深い溜息が聞こえた。
ブライアンが帽子を取り、リリアンヌの隣に並んだ。
「…私は、王太子ブライアン・セスランディアだ。状況を説明してもらおうか」
その言葉に合わせるように、アランフォースとキリもぱさりとマントを外した。
「うわ、かっけー!」
マルが一番後ろで、興奮した声を上げた。
「ブライアン王太子…!」
男は、弾けるようにソファから立ち上がった。
「…っ…!」
充血した目で、忙しなく全員を見比べている。
「た、大変、失礼しました…!」
持っていた酒瓶を投げ捨て、がばっと頭を下げた。
「ええと…茶の準備を」
「そんなことは、結構です」
リリアンヌは、ばっさりと男の言葉を遮った。
「き、汚いところですが、どうぞこちらに」
「それも、結構です」
男が勧めたソファに座ることも断った。
「あなたのお名前は?」
「ぷ、プージと申します。侍者です」
「プージ。お話を聞きたいので、座ってください」
「は…」
「どうぞ、座ってください」
「……」
リリアンヌが二度言うと、男はすとんと浅く腰掛けた。
「…君も、座るんだ」
ブライアンが優しく腕を引き、プージの向かいにリリアンヌを座らせた。
そのまま、ブライアンも隣に腰掛けた。
「プージ。先ほどあなたは、半年前にここへ来たと言いましたね」
リリアンヌは、すぐに切り出した。
「は、はい…」
プージは、まだ全員を見比べている。
「前任から、何も聞いていないのですか?」
「私が来るまで、ここを管理する者はずっといなかったようです」
「……」
思わず、溜息が漏れた。
何から…質せばいいのだろう。
「ほ、本当に、何も説明のないまま、ここへ連れてこられたのです」
プージは、たどたどしく言葉を続けた。
「半年前、ここへ来た時も、小汚い奴らが住み着いていて、追い出すのに大変で――」
「…追い出した?」
リリアンヌは、ぴくりと眉を寄せた。
「そ、そりゃ、ここは薬を売るところですから。それは合っていますよね?」
「貧民区に置かれる薬療院は、貧民区の住人のために作られた場所です」
まずは、そこからだ。
「今まで、怪我や病気を診てくださいと訪れた方は、いなかったのですか?」
「い、いや…汚い奴らを追い出すことに、必死で…」
「汚い奴ら、ではありません。あなたへ助けを求めに来た、貧民区の方たちです…!」
リリアンヌは、拳で強く膝を叩いた。
「……」
ブライアンが、その手を無言で握った。
「……」
落ち着かないと。
頭に、血が上っている。
「で、ですが…今まで他の治療院や薬療院で診察した者たちは、私に金を払っていきました」
プージは、さらに反論した。
「ですから…ここは、国が代わりにその費用を負担する場所です。住人から貰うことは、ありません」
これで、二度目だ。
「ちゃんと、お給金はあなたに支払われているのでしょう?」
「払ってもらっていますが、あんなのでは足りません」
「…炊き出しのために、毎週、小麦や芋も届いているはずです」
リリアンヌは、転がる酒瓶をちらりと見やりながら言った。
「それから、孤児院のための支援金も受け取っていますね?」
「支援金って…あの、はした金のことですか?」
プージが、呆れたような声で言った。
「あれは、私の給金の足しにさせてもらっています」
「…!」
「…落ち着け」
ブライアンは、リリアンヌの手をさらに強く握った。
「これは、こいつだけのせいではない」
「でもっ…」
「薬療院の管轄は内務部、支援金や物資の担当は財務部、こいつの選定は聖務部だ」
ブライアンはプージに目を向けながら、淡々と言った。
「それぞれの部で、まったく連携が取れていない」
「……」
確かに、ブライアンの言う通りだ。
何の説明もなしに、ここで薬療院と孤児院を開けと言われても、無理だ。
そう考えると…シルヴィアがすごかったのかもしれない。
「…その支援金は、子供たちのためのものです。あなたのお給金ではありません」
リリアンヌは、そっと口を開いた。
「で、では、私はどうやって生きていけばいいのでしょう」
「食料も届いていますし、裏には作物を育てられる場所もあると思います。十分でしょう」
「…ええ?」
プージの顔が、みるみる曇った。
「なぜ私が、そんなことを…」
「…納得いきませんか?」
リリアンヌは、小さく首を傾げた。
「納得いかないようでしたら、私からルイージ宰相へ、直接お伝えしますが」
「い、いえ!いいえ!そんなことをしたら、私は職を追われます!」
プージは、即座に首を振った。
「ここを追い出されたら、もう行く場所がない!」
「大聖堂を追い出された自覚は、あるのだな」
ブライアンが呆れたように言った。
「……」
「ここを追い出されたくなければ、仕事をしてください」
俯いたプージに、リリアンヌはさらに言葉を続けた。
「まずは、薬療院を開いてください。孤児院も、使えるようにしていきましょう。私が手伝います」
「は…?リリアンヌ殿下が…?」
プージは、目を丸くして顔を上げた。
「ここに、子供はひとりもいないのでしょう?」
「え…ああ…二階のあの造りは、孤児院…」
「マル、おいで」
リリアンヌは振り向くと、空いている手でマルを呼び寄せた。
「この子が、今日からここに住みます」
「…ええっ!」
「私は、マルと一緒に二階を掃除します。プージは、この部屋をまず掃除してください」
「…え、今から?」
「今からです。何か、問題がありますか?」
「い、いいえ…」
「そう、良かった」
リリアンヌは頷くと、すぐに立ち上がった。
「じゃあ、マル。二階に行ってみようか」
「うん」
「そこの扉から、行けるかな」
部屋の奥に、扉がある。
きっと、屋敷の中へ繋がっているのだろう。
「…あ、それから」
扉の前でリリアンヌは、はたと振り返った。
「プージ。鍬や鋤は、どこにありますか?」
「は…?」
プージは、立ったまま固まった。
「…分からないのなら、大丈夫です」
扉を開け、部屋をあとにした。




