第一章Ⅶ(仲直りのぎゅ)④
リリアンヌ視点
「…本当は仲直りしたら、言い訳もしちゃいけないんだけどさ」
サムはその場に腰を下ろし、足を前へ投げ出した。
「説明だけでも、させてくんないかな」
「…説明って?」
リリアンヌは、不思議そうにサムへ顔を向けた。
「だから、昨日の炊き出しのこと。どうしてオレが、ボノ一家につぎ直してやんなかったか」
「…それが掟だからだよね?」
「なんで掟なのか、リリィ、分かるか?」
「そうしないと、量が足りなくなってしまうからでしょう?」
「違うよ。残る時は、残る。でも余っても、二杯以上は絶対に配らない」
「…不公平になるから、かな?」
「まあ、それもあるけど。だけど、もっと別の理由がある」
「……」
どうしよう。
分からない。
「こぼせば、貰えるんだってなっちゃうんだよ」
サムは、構わず続けた。
「そうしたら今度は、わざとこぼす奴が出てくる。頼めば許されると思う」
「…どうして、わざとこぼすの?」
リリアンヌは、そっと眉をひそめた。
「例えば、半分飲んでこぼせばさ。また満杯までついでくれるってなるじゃん」
「…そっか」
「そうなったら今度は、お前やレンが危なくなる」
「…えっ、どうして?」
「リリィに頼めば、おかわりをくれるかも。レンの分を奪っても、どうせまたあいつは貰える。そういう話になってくる」
「…そんなことに、なるの?」
「必ず、なる。貧民区の奴らにとって炊き出しは、命を繋ぐもんだから」
「…!」
思わず、小さく息を呑んだ。
「もしそんなことが繰り返し起これば、いつか、大鍋ごと奪う奴が現れるかもしれない。
今度は、奪われた大鍋を奪うために、傷つけ合うかもしれない」
サムは遠くを見つめたまま、静かに続けた。
「一度許せば、必ず付け込まれる。ひとつの例外は、争いを生むんだよ」
「…ごめんなさい」
よく、分かった。
どれほど自分が、考え足らずなのか。
贅沢な暮らしに慣れて、
ご飯がないつらさを、理解できなくて。
彼らは、必死で生きているのに。
そこに、甘えなんて許されないのに。
力になりたい、だなんて。
助けてあげたい、だなんて。
なんて――おこがましい。
「おい、仲直りしただろ。もう、謝んのはなしだ」
サムが叱るように言った。
「…うん」
リリアンヌは、ゆっくりと顔を上げた。
「…ボノさんもそうなることが分かってたから、断ったのかな」
「まあ…あの時は、ボノもお前も目立ってたからな」
「あんな大声で、私、自分の分だなんて言って…」
ボノたちを助けるどころか、助けられてしまった。
本当に、情けなくて恥ずかしい。
「お前の気持ちは、分かるよ。あれは、ハックが悪い。レンは巻き込まれただけだ」
「ハック…!」
リリアンヌは、はっとサムに顔を向けた。
「あの人たちは、何者なの?どうして、みんな逆らわないの?」
「…あいつらの後ろには、元締めがいる。貧民区の奴が逆らったら、大変なことになる」
サムは、間を置いて答えた。
「元締め…?盛り場を仕切っている人のこと?」
ギタンは、ハックたちのことを盛り場の人間と言っていた。
「盛り場も、貧民区も含めて、四塔付近一帯を仕切っている奴がいる。そいつが貧民区の奴らに仕事を振ってるから、逆らったらまずい」
「その元締めは、あんな人たちを部下にしているの?」
「部下の、そのまた部下。末端もいいとこだ。元締めは、ハックたちの名前も知らないだろうな」
サムは一瞬、嘲るような笑みをこぼした。
「それでも、逆らわない方がいい。ボノも並んでた奴らも、仕事を貰えなくなるくらいなら、嫌がらせを受けた方がましだって思ってる」
「なに、それ…」
リリアンヌは、怒りで声を震わせた。
「お前が怒っても、仕方ねぇだろ」
「でもっ…!どうして、炊き出しに現れるの?いつも来るのでしょう?」
「そうだな。懲りずに、嫌がらせしに来る」
「どうして!」
「あいつらも元は貧民区の人間だからだろ。この辺りの治安の良さに、嫉妬でもしてんだ」
サムは、事もなげに答えた。
「…えっ」
リリアンヌは、ぎくっと言葉を止めた。
「あいつらは全員、十二塔貧民区の出身だ。十二塔を追い出されて、ここで今の仕事を見つけたんだ」
「…追い出された?」
「向こうの元締めか、その部下を怒らせたんじゃないか?そこまでは、ギタンは教えてくれなかったけど」
「あ…ギタンから聞いたの?」
「ギタンは、町の裏事情をよく知ってるよ。ここの元締めとも、知り合いみたいだし」
サムが頷いて答えた。
「……」
ギタンって、何者なのだろう。
元騎士って、そんなに顔が広いのだろうか。
でもそれなら、どうしていつも顔を隠しているのだろう。
「…嫌になったか?」
「…えっ?」
言葉の意味が分からず、ぱっと顔を上げた。
「貧民区がどういうところか、分かってきただろ?出身者が嫌がらせするくらい、貧民区の奴の地位は低い」
サムは嘲笑を浮かべ、吐き捨てるように言った。
「オレたちも孤児院で育った時点で、貧民区生まれだ。お前が今話してる相手は、そういう人間」
「サムは、サムだよ。そんなこと、何も関係ない」
リリアンヌは眉を寄せ、きっぱりと言った。
「そんな理由で嫌になるなんて、ない。そんなこと、あり得ない」
「……」
サムは正面に顔を向けたまま、何も言わなかった。
「…だけど」
リリアンヌは、ふっと目を伏せた。
自分が嫌になるのは、あり得ない。
だけど、サムたちが私を嫌になることはあり得る。
炊き出しひとつで、こんなにも迷惑をかけてしまっている。
それに――無知は、悪気なく相手を傷つける。
そのことを、身に染みて知った一週間だった。
「…お前、歌、うまいな」
ぽつりと、声が落ちた。
「…えっ!?」
リリアンヌは、ぎくっと肩を上げた。
「き、聞いてたの?」
「窓、開いてんだぞ。お前の読み聞かせから、聞こえてたよ」
サムはくくっ…と笑い、肩を震わせた。
「ねんね、ねんね、って。お前の方が、よっぽど子供みたいな言葉使ってんじゃん」
「あっ、あれは、子守歌だもん…!」
思わず、むっと反論した。
「おやすみ、いい子。今日はたくさん、えらかった…くくっ!」
「もうっ…サム!」
「あははっ…!また歌ってって、チビたちにせがまれるからな」
「…また、来てもいいのかな」
リリアンヌは、途端に肩を下げた。
「そんな顔するなって」
サムは呆れ顔で振り向くと、中指で、ぱちんっとリリアンヌの額を弾いた。
「あいたっ」
「お前は、顔に出やすいんだな」
「…どんな顔してるか、自分じゃ分かんない」
リリアンヌは額をさすりながら、頬を膨らませた。
結局、でこぴんをされてしまった。
「それはな、こっちの台詞だよ」
「えっ…」
「来てくれて、ありがとな。リリィ」
サムはそのまま頭に手を伸ばし、ぽんぽんと優しく撫でた。
「…?どうして、お礼?」
「お前がオレたちに同情してないことくらい、分かるよ」
「…!」
リリアンヌは、小さく肩を揺らした。
「だから、遠慮すんな。これからも、遊びに来いよ」
サムは、気にせず続けた。
「…遊びにというか」
「シルヴィアとの授業が終わったら、いつでもこっちに来いってこと」
「…あ」
シルヴィアとの授業のことも、気付かれていたらしい。
「ギタンの言う通り、ここで、たくさん学べばいいだろ」
サムは、ふっと優しく目を細めた。
「明日こそ、剣回しやろうぜ」
「…うん」
リリアンヌは、そっと笑みを浮かべた。
「ありがとう、サム…」
たくさん、学びたい。
白のちからについても、
貧民区についても、
王都レイセントについても――
この世の仕組みについても。
“デューゼの森の悪夢”を防ぎたいと思って、エラドリオール邸を飛び出した。
だけど、私はあまりにも無知すぎる。
常識が、分からない。
だから、まずは――一歩ずつ、知っていく。
話は、そこからだ。




