兄の大きな変化②
サイラス視点
「待て。どうしてだ」
サイラスはリリアンヌの両肩を掴み、さらに顔を寄せた。
「王城に、住もうと思います」
リリアンヌは、にっこり微笑んでいた。
「…はぁ?」
さっぱり意味が分からない。
「なぜ、お前が王城に住む?」
「説明は難しいのですが…その方が、いろいろと都合が良くて…」
リリアンヌは、困ったように首を傾げた。
「絶対に、駄目だ。お前がここを出る意味が分からない」
首を傾げたいのは、こちらの方だ。
「その…先日、お父様とはお話ししています。まだ許可は貰っていませんが、恐らく――」
「…まさか、あの馬鹿とお前が」
サイラスは、すっと目を細めた。
「えっ…だ、誰のことですか?」
「父上は、お前が成人するまで婚約の話はしないと言ったはずだ」
王城に住むということは、王妃教育のためか。
まさか、あいつとの婚約を見越して――
「へっ?」
リリアンヌは、きょとんと目を瞬かせた。
「はい…婚約の話は、お父様はしていません」
「…それなら、なぜお前が城に住む必要がある。私のせいか?」
安堵はしたが、まったく納得できない。
「いいえ、違います!」
リリアンヌは必死に首を振った。
「その…私の都合なのです」
「お前の都合とは、なんだ」
「…それは」
困ったように目を伏せ、黙り込んだ。
埒が明かない。
「…よし、行こう」
「!?」
サイラスは、リリアンヌをそのまま抱き上げて立ち上がった。
「お兄様…!?どこへ行くのですか?」
「父上のところだ」
「ええっ!?お父様は、お仕事中でしょう…!?」
「そうだ。だから、このまま城へ行く」
「ま、待ってください…!」
リリアンヌがもがくのも気にせず、サイラスは足早に庭園を突っ切った。
「お、お嬢様ぁ!?」
庭園の入り口で、侍女がぽかんとして兄妹を見比べた。
「ニア!お兄様を、止めて!」
「私じゃ無理ですよぉ」
「じゃあ、ステファンを呼んで!」
「リリィ。私は、納得ができない」
サイラスは妹を抱えたまま、どんどん廊下を進んだ。
「あの父上が、お前がここを出ることを許可するはずがない」
「ですから、まだ許可も貰っていませんし、今すぐの話でもないのです…!」
「では、いつからだ?」
「まだ決めていないけれど…できれば、成人前までにはと思っています」
「婚約するわけでもないのにか?」
「ですからっ…婚約とは、何の話ですか?」
リリアンヌは、困ったようにサイラスを見下ろした。
「…伯父上の差し金か」
「もう…!お兄様、私の意思ですってば!」
肩を叩かれても、まったく痛くなかった。
「よし、伯父上のところに行こう」
「!?も、もっと駄目です!」
「大丈夫だ。いる場所は分かっている」
「そうではなくて…!それに、屋敷から出るなら、アランフォースを呼ばないと」
「私がいれば、問題ない」
玄関広間には、誰もいない。
足早に、入り口へと向かった。
「お兄様…!扉から出たら、キリが来てしまうから!」
「……」
…ああ。
リリアンヌの口から、男の名が出ることに。
まして、自分より妹の近くにいる男どもの名となれば、
無性に、腹が立つ。
「…まったく。あなたたちは、何をしているの」
ふいに、階段の方から声が聞こえてきた。
「…母上」
「お母様っ…!」
「サイラス。リリアンヌを下ろしなさい」
アヴェリーンが、階段の上からステファンを伴って現れた。
「……」
サイラスは、母の後ろで静かに目を伏せている家令をぎろりと睨みつけた。
…余計なことを。
「あなた、仕事はどうしたの」
「…休みにしてきました」
答えながら、リリアンヌをそっと隣に下ろした。
「本当に、しょうもない兄ね」
アヴェリーンが深い溜息をついた。
「リリアンヌをどこへ連れて行こうとしたの?」
「父上のところです」
「なぜ?」
「リリィが王城に住むなどと言うので、なぜ即反対しなかったのか、確認に行くためです」
「確かに、あの人からその話は聞いているわ。確認に行く必要はありません」
「母上!なぜです!」
「私たちが理由を知る必要はありません」
アヴェリーンはぴしゃりと言った。
「あの人とリリアンヌが決めていくことよ。私たちが反対したって仕方がないでしょう」
「…リリィは、まだ成人前ですよ?」
「あら、私だってリリアンヌの歳の頃には、花嫁修業で領を出ていたわ」
「……」
母は…そういうつもりなのか。
リリアンヌとあいつの婚約に、前から乗り気だった。
「それに、成人するまでリリアンヌは屋敷に通うのよ?」
「…は?」
サイラスは、訝しげに眉を寄せた。
「王城に住むとしても、授業を受けてもらわないと困るもの。週に何度かはここに通ってもらいます」
「……」
まったく意味が分からない。
王城に住み、エラドリオール邸に通う…?
逆ならまだしも、わざわざそんな手間をする意味がない。
「…お兄様」
リリアンヌは、そっとサイラスの裾を握った。
「できる限り、説明をしますから…庭園に戻りましょう?」
「ええ、そうしなさい」
アヴェリーンがすぐに同意した。
「それから、サイラス。リリアンヌとの話が終わったら、ステファンを手伝いなさい」
「……」
どうせ、父の代わりに書類仕事だ。
「リリアンヌ。あなたは、もうすぐ授業の時間でしょう?」
「は、話が終わったら、すぐに戻ります」
「あまり使用人たちを困らせないで、戻りなさい」
アヴェリーンは子供たちをちらりと見やると、優雅に階段を上がっていった。
「……」
「お兄様…戻りましょう」
リリアンヌはそのまま、サイラスの手をぎゅっと握った。
「…お前は」
「…?」
「…いや、戻ろう」
サイラスはリリアンヌと手を繋ぎ、庭園の方へ戻っていった。
「お兄様と手を繋ぐと、なんだか昔を思い出しますね」
リリアンヌが無邪気に笑った。
「…そうだな」
普段から手を繋いでいなければ、こんなにも自然に手を取らない。
まさか…他の誰かともやっているのか。
自分の知らないところで、同じように手を繋いでいるのでは…
妹離れをしようと決意したばかりだが、腹が立って仕方がない。
これはもう、きっと一生治らない。
…それならば。
ガゼボまで戻り、座り直すと、すぐにリリアンヌが切り出した。
「お兄様。私には、やりたいことがあるの」
「やりたいこと?」
「はい。そのためには、王城に住んだ方が私にとって都合が良いのです」
「それが…私には分からない。ここからだって、どこへでも通える」
サイラスは眉をひそめた。
「ええと…協力者が、その…王城に住んでいるから」
リリアンヌが、途端にたどたどしくなった。
「協力者?男か?」
また、違う男の名を出す気か。
「そうですけど…そうではなくて。私がやりたいことをやるには、彼のちからが必要なのです」
「お前のやりたいことを…教えてはもらえないのか?」
いまさらだと思いつつも、眉を下げ、悲しそうな顔を作った。
「…その」
リリアンヌは目を伏せ、頬を赤く染めた。
「……」
サイラスは、じっと妹を見つめた。
この表情は、なんだ…?
「だ…」
妹の口が、ゆっくり動いた。
「…だ?」
「……」
固まってしまった。
「…精霊を、探すことです」
「…それは、駄目だ」
思わず、口を衝いて出ていた。
「え?」
「絶対に違うだろう」
それが答えなら、赤くなる必要はない。
「違わないです」
「……」
サイラスは、すっと目を細めた。
「お兄様。結婚されたら、ここに今よりも帰ってくるのでしょう?」
「まだ、話は終わっていない」
明らかに、話題を逸らされた。
「私がいる間は…たくさん、会ってください」
「…?また王都から出るのか?」
たとえ王城に行っても、いくらでも会える。
「いいえ。しばらくは王都から出ないと思います」
「リリィ。はっきり言わないと、分からない」
サイラスは、くっと眉を寄せた。
リリアンヌは少し黙ったあと、まっすぐ顔を上げた。
「お兄様。愛してます」
「……」
「結婚されてからも、私と会ってくれると嬉しいです」
「……」
「…その、たまにでもいいので」
「リリィ」
「はい」
「もう一度、言ってくれ」
「ええと…たまにでもいいので」
「違う。その前」
「…お兄様、愛してます」
今度は、はにかむ笑みを浮かべて言った。
「大好きな、お兄様。ご結婚、おめでとうございます」
「お前は…本当に、どうしてしまった?」
「何がでしょう?」
「…寂しいとか…愛してるとか」
サイラスは口を塞ぎ、顔を伏せた。
「お兄様…?よく、聞こえません」
リリアンヌは、伏せる兄の顔を覗き込んだ。
「…お前が、可愛くて仕方ない」
近づいた小さな顔に、こつんと額同士を当てた。
「…!」
驚いたのか、リリアンヌが小さく目を瞑った。
「…次は、どこへデートに行こうか」
「…デートは、婚約者の方としてください」
「嫌だ。お前とする」
「もう、お兄様」
「そうだな…もうすぐ、お前の十四歳の誕生日だ」
「この間も、たくさん買っていただきました」
「あれは、お前が眠っていた三年分だ」
「では…買いっこしましょう」
「…買いっこ?」
サイラスは額を離し、小さく首を傾げた。
「贈り物の交換です。私も、お兄様の結婚祝いを買います」
「まだ、一年後だぞ」
「ですから、一年かけて。何度でも、お祝いします」
リリアンヌは、嬉しそうに笑った。
「大好きなお兄様の、大切なお祝いですから」
「リリィ…」
いろいろ、誤魔化された気がしたが。
もう、いい。
「…約束だぞ。何度でも、私と祝い合おう」
物分かりの良い兄のふりをするのは、やめだ。
リリアンヌを、堂々と可愛がる。
そのために、理解のある婚約者を選んだ。
『私がいる間は…たくさん、会ってください』
その時に浮かべた表情が、一瞬、心に引っかかったが。
もう、どうでも良かった。




