宿敵との再会①
リリアンヌ視点
ルイージに案内されたところは、小さな塔だった。
馬車で何度も曲がったから正確な場所は分からないけど…ここは、第二城壁内だ。
塔へ入る直前に、キリが音もなく隣に現れた。
ラジャタ村での奉納祭から、キリはよく姿を消すようになった。
それでも近くにいることは分かっていたし、何かある時は、こうやって必ず傍にいてくれる。
ルイージも、キリが急に現れてわずかに目を見開いたけれど、何も言わなかった。
敬礼をする見張り兵たちの間を通り、ルイージに続いて階段を上がった。
階段の先には、重そうな木扉がひとつだけあった。
扉の前ですでに待機していた兵士が、錠を外した。
ぎぃぃ…と古めかしい音を立てて、木扉が開いた。
ルイージに続こうとしたところで、後ろから手が伸びてきた。
先にアランフォースが部屋の中へ入り、ほどなく「どうぞ」と声がした。
部屋は、思いのほか広かった。
奥に寝床があり、中央に、テーブルと四脚の椅子が置かれている。
その椅子のひとつに、ブルックが座っていた。
「……」
リリアンヌは扉の前で止まり、じっとブルックを見つめた。
少し、痩せただろうか。
髭のせいで、老けたようにも見える。
手足には長い枷がついていて、ブルックが振り向くと、鎖がすれる音がした。
「…お久しぶりです」
口調とは裏腹に、鋭い目を向けられている。
「…ブルック、お久しぶりです」
懐かしい。
こうやって前も、会うたびに睨まれていた。
「……」
ブルックが、なぜか眉をしかめた。
「こちらにどうぞ」
ルイージが、ブルックの斜め前の席を引いた。
引かれた椅子に腰掛けると、キリがすぐ後ろに立った。
アランフォースは、扉の前に立ったままだ。
ブルックの目が、素早く二人を追った。
「リリアンヌ殿下、どうぞお話しください」
ルイージは、リリアンヌの横に座った。
「……」
なんだろう。
部屋は広いはずなのに、少し息苦しい。
「…ブルック。今日は突然の訪問を受け入れてくださり、ありがとうございます」
リリアンヌは、静かに口を開いた。
「…こんなところへ一体、何の用でしょうか」
ブルックの声は落ち着いているけれど、目は忙しなく動いている。
「三年前のザンビア砦でのことで、聞きたいことがあります」
「…すべて、あなたの隣にいる方にお話ししておりますが」
「単刀直入にお伺いします。ブルックは、瘴気を送られた時の記憶がありますか?」
「…瘴気?」
ブルックの目が、ゆっくりとリリアンヌに向いた。
「…あ」
ああ、そうか。
ヌシカが瘴気を使っていたことは、レックスも知らなかった。
「…言ってもいいのでしょうか?」
ちらりと、隣を見上げた。
「その件なら、構いません」
ルイージは、正面に目を向けたまま頷いた。
「……」
リリアンヌは再び前を見て、小さく息を吸った。
「ブルック…あなたは、ヌシカに操られたと聞いています。それは、瘴気を送られて操られたものです」
「瘴気を…送られた?」
ブルックは呟くと、考え込むように目を伏せた。
「…あの時、目の前が黒く霞んだ…」
「瘴気を送られたあとのことを…覚えていますか?」
私も、瘴気を送られた瞬間に目の前が黒く霞んだことは覚えている。
そのあとのことは…あまり、記憶にない。
誰かを攻撃してしまったことだけは、憶えている。
それが誰だったかを聞くのは――
まだ、怖い。
「ええ。はっきり覚えています」
ブルックは目を上げ、きっぱりと言った。
「覚えて…いるの?」
そんなに、はっきりと言えるくらい。
「まず、私が操られたのは、あなたが王城の地下で精霊を見つけた日のことです。同じ時に、スワハマ大教主もトジャも操られました」
「……」
トジャが誰かは分からないけれど、きっと聖守護騎士団の人なのだろう。
そのタイミングで操られたことも、レックスから聞いている。
けれど。
私はあんな短い時間でどうにかなってしまいそうだったのに、ブルックは一週間近くも堪えたことになる。
この差は、何なのだろう。
「…ブルック以外の操られた者たちが、全員虚ろ人の状態になったのはご存じですか?」
リリアンヌは、慎重に質問を重ねた。
「そのように聞いています」
「なぜ…ブルックは無事だったか、分かりますか?」
「操られる前から、私が負の感情を強く持っていたからではないでしょうか」
ブルックは、あっさりと答えた。
「異形の存在に近づいても、特に心を乱されることはありませんでしたから」
「へ…」
意外な答えに、思わず間の抜けた声が漏れた。
「それに、私は操られていると感じてはいましたが、スワハマ大教主やトジャのように、異常な衝動に駆られることはありませんでした」
ブルックは構わずに続けた。
「二人は、どうなっていたの?」
「スワハマ大教主は精霊を奪おうとして、トジャは、人を殺そうと――」
「ブルック。もう、十分です」
ルイージが鋭く遮った。
「…とにかく私は、もともと異常だった」
ブルックは、静かに言い直した。
「…?異常って、何ですか…?」
ルイージがずっと前に話していた、偏った思想のことだろうか。
「……」
ブルックの目が一瞬、扉の方に向いた。
「…私の異常性を説明する気まではありません。操られていたのも事実です」
すぐに、リリアンヌへ視線を戻した。
「最終的には、あなたのちからで、元に戻った」
「…え?」
私のちから…?
「砦中に、あなたが白のちからを送ったでしょう」
ブルックは、淡々と続けた。
「怪我が治ると同時に、頭の中が澄み渡るような感覚がありましたから」
「…!」
リリアンヌは、はっと息を呑んだ。
「白のちからで…瘴気が、消えるの…?」
それなら。
聖守護騎士団も。
ザンビア兵も。
全員、襲ってくる前に、
私が、白のちからを使えば。
私が、気付けていれば――
「リリアンヌ。落ち着け」
「…あ」
後ろから肩を優しく揺すられ、強く息を吐いた。
「…ここまでにしますか」
ルイージが静かに尋ねた。
「…いいえ」
リリアンヌは小さく首を振ると、姿勢を正した。
今は、三年前のことを深く考えている場合じゃない。
「…白のちからを受ける直前まで、操られている感覚はあったのですね?」
「ええ。あくまで私の話です。他の者は分かりません」
ブルックは、リリアンヌの様子を気にすることなく答えた。
「…そう」
もしも瘴気を白のちからで消すことができるのなら、
ヌシカから瘴気を送られても、そこまで恐れる必要はないのかもしれない。
でも…それなら、オーリア様が教えてくれるはずだ。
確か、瘴気は白のちからでは消せないと言っていなかったか…
…人の体に入った瘴気だけを、消せる?
漂っている瘴気は、消せない?
それに瘴気を送られた時、一瞬で感情を支配された。
あの状態で…
冷静に、白のちからが使えるだろうか。
…これを考えるのも、後回しだ。
今は、確かめられることを確かめておくべきだ。
「…あの、ブルック。あともうひとつ、聞いてもいいでしょうか」
リリアンヌは、そっと口を開いた。
「なんでしょうか」
「どうして…私は、悪魔なのでしょう?」
その言葉と同時に――
部屋の中を、ぴりっと何かが走った。
「……」
ブルックは、ぐっと口を引き結んだ。
その顔からは、汗が滴り落ちている。
悪魔という言葉に、ここまで反応しているのだろうか。
それなら、余計に気になってしまう。
「私は…何か、悪魔と呼ばれるようなことをしたのでしょうか?」
“ま族”とは…考えられるなら、悪魔の、魔族。
それくらいしか思いつかない。
もし私に、悪魔を思わせる何かがあるのなら。
ま族を知る手掛かりになるかもしれない。
「…そういうところが、です」
ブルックは、リリアンヌをぎろりと睨みつけて答えた。
「あなたのそういうところが、悪魔的だと言っている」




