無自覚の少女
エドガー視点
「…それに、アランフォースが傍にいてくれるのでしょう?」
ふいに、囁くような声が落ちた。
「それなら、何かあっても絶対に大丈夫だから」
リリアンヌは、はにかむように笑った。
「……」
男たちが、黙った。
ここで、その表情は――
「…分かりました」
アランフォースは目を伏せ、溜息混じりに頷いた。
張り詰めていた空気が、一瞬で霧散した。
「伯父上、同意を得られました」
リリアンヌは、すぐに嬉しそうな顔をレックスへ向けた。
「…末恐ろしいな」
「何のお話ですか?」
「午後、行ってこい」
首を傾げるリリアンヌを無視して、レックスは言い切った。
「え、今日?」
「そうだ。ルイージを貸すから、行ってこい」
「ルイージ宰相ですか?」
「あれは、役に立つ」
「…宰相を、役に立つだなんて…」
リリアンヌはわずかに眉を寄せた。
「話は、それだけか?」
レックスが、紅茶を飲み干して尋ねた。
「はい。お忙しいところお呼びだてして、申し訳ありませんでした」
リリアンヌは、その場で深々と頭を下げた。
「…あっ」
そのまま、小さく声を漏らした。
「あ?」
「あの…まだ、お父様の許可を待っているところなのですが」
リリアンヌはゆっくりと顔を上げた。
「いずれは、この部屋に住んでもいいですか?」
「好きにしろと言っただろ」
レックスは事もなげに答えた。
そういえば、彼女に王城本館の最上階をすべてやったと昨日話していた。
ここも含め、使える部屋は優に十を超える。
「キリとビッケも、一緒でいいでしょうか?」
「お前、侍女はどうした」
「侍女?どうしたとは何でしょう」
「誰も連れてこないつもりか」
「ええと…だから、キリとビッケを連れてきます」
「…もう、いい」
「…ごめんなさい」
条件反射のように謝っているが、レックスが何に引っかかったのか、本当に分かっていないのだろう。
着替えや準備を…彼女は、どうする気なのか。
もし王城の使用人を使うつもりなら、傷跡を見られることになる。
キリの言う通り、本当に気にしていないのか。
「話は終わりだな」
レックスはカップを置き、腰を上げた。
「ええと…午後になったら、ルイージ宰相に会いに行けばいいでしょうか?」
リリアンヌも、合わせて立ち上がった。
「ルイージをここに寄越す」
「そんな、わざわざ…」
申し訳なさそうに呟いている。
自身が王家に次ぐ身分であることを、彼女はすぐに忘れる。
「何かあったら、俺をまた呼べ」
扉の前で、レックスが振り返った。
「いいえ。今度は、私が会いに行きます」
「……」
エドガーは扉を押さえながら、ちらりとリリアンヌへ視線を向けた。
また、意外な返答だ。
「伯父上、今日は本当にありがとうございました」
ドレスの裾を摘まみ、丁寧にお辞儀をしているところだった。
「お願いを聞いてくださり、感謝しています」
「それを、やめろ」
「あう」
レックスが手を伸ばし、リリアンヌの頭を乱暴に撫でた。
「じゃあな」
手を離すと、部屋からさっさと出ていった。
「…はい」
リリアンヌは頭に触れながら、不思議そうに首を傾げた。
その表情を見ながら、エドガーはそっと扉を閉じた。
そうしている間にも、レックスはすでに廊下の先を歩いていた。
すぐにその背を追いかけ、階段を下りていく。
レックスの歩みは、速い。
歩みだけでなく、いつでも手か口まで忙しなく動いている。
実際に、忙しい。
今日もこのあと、高官との会議が控えている。
それが終われば、昨日と今日の午前にできなかった分、溜まってしまった書類を一気に片付けるのだろう。
明日はさらに、隣国からの使者との会合もある。
ルイージを、貸している場合ではないだろうに。
「何か言いたそうだな」
レックスが、前を見たまま口を開いた。
「…いいえ。何も言うことなどありません」
「なら、笑ってるんじゃねぇ」
まるで、後ろに目があるようだ。
「随分、嬉しそうでしたので」
「…うるせぇ」
レックスは、階段を下りる速度をさらに上げた。
リリアンヌに“お願い”をされたことが、よほど嬉しかったのだろう。
…その内容は、いただけないが。
彼女には、驚かされてばかりだ。
三年経ち、目覚めてから、よく笑うようになった。
そしてラジャタ村から帰ってきて…また、変わった。
アランフォースもまた、大いに変わった。
本人のためとはいえ、あそこまできつい言葉を彼女にぶつけるとは。
リリアンヌは…怯むどころか、言い返していた。
もう、謝罪を繰り返して俯く彼女はどこにもいなかった。
ブルックとの対談は…
…まあ、大丈夫だろう。
アランフォースもいる。
ルイージもいる。
それに先ほど、一瞬だけキリの気配も感じた。
彼も、もちろんついて行くのだろう。
昨日の状況が状況なだけに、また、ひとりで耐えてしまうのかと思ったが。
今回は、周りを頼っているようだ。
信頼できる者が増えた証だろう。
その中に、自分も入っているのか…
「……」
エドガーは再び漏れそうになった笑みを、咳払いして誤魔化した。
先を行くレックスを追い越し、執務室の扉を開けた。
「おい、遅いぞ」
開けるなり、苛立った声が飛んできた。
ルイージが右端の執務机の前に座り、羽ペンを動かしていた。
「今日の会議で、絶対にリリアンヌ殿下について触れられるぞ。すべて答えないつもりか」
顔も上げずに、何かを必死で書いている。
「お前は、会議に出なくていい」
「…はぁ?」
ルイージは顔を上げ、露骨にしかめ面を浮かべた。
「あのな…お前は知らないかもしれないが、俺は、こう見えても宰相なんだが」
「リリアンヌが、ブルックに会いたがっている」
レックスが、部屋を突っ切りながら短く答えた。
「…はぁぁ?」
ルイージの顔がより歪んだ。
「待て…まず、お前は今、リリアンヌ殿下に会ってきたのか?」
「午後、リリアンヌをブルックのところに連れて行け」
「…なぜ、ブルックのところなんかに行かせる必要がある?あいつは、殿下を殺そうとした奴だ」
ルイージが真っ当なことを尋ねた。
「昨日の件に、関係があるかもしれないらしい」
「…!」
「ブルックが嘘をついてないか、確認してやれ」
レックスは言いながら、どさりと椅子に腰掛けた。
「…まあ、確認は必要か」
「会議は、リチャードにでも仕切らせる」
「…それもまた、派閥問題で揉めそうだな」
ルイージが、ふっと溜息を漏らした。
「彼は特にこれから、王族と繋がりができるからな」
すっかり、会議に参加しない方向で話が進んでいる。
…本当に、すごいな。
国の頂点に立つ二人が、十三歳の少女に振り回されている。
本人が無自覚なところが、何とも言えないが。
それもまた…彼女らしい。




