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セスランディア王国物語  作者: あきよし りん
第十三章/ラジャタ村
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忘れられない記憶①

リリアンヌ視点



「リリアンヌ殿下」



「はいっ…」



「…この舟に乗りましょう」


アランフォースが選んだのは、二人乗りの小ぶりの舟だった。



「気を付けて」



「あ、ありがとうございます…」


アランフォースの手を取り、ゆっくりと舟に乗り込んだ。


先端についていたランタンを灯すと、柔らかく辺りが照らされた。


それでも水面は、真っ暗だ。



「ホ~」


スノウがランタンの上にとまり、まるで雪だるまのような影ができた。



アランフォースが正面に腰を下ろし、両側の櫂を大きく引いた。


舟が動き出し、舟着き場が離れていった。


ゆっくりと、宴の喧騒が遠のいていく。



「お手数を、おかけします…」

リリアンヌは両足を抱え、小さく縮こまった。



「遠慮しないでくださいと、申しました」



「だけど、申し訳なさすぎて…」


こんな遅い時間に、舟を漕がせるなんて。



「…キリ殿やビッケには、気を遣わないのに?」



「えっ…?」



「あの二人にだったら、あなたは躊躇わず頼めるでしょう?」

アランフォースは櫂へ目を向けながら、静かに尋ねた。



「……」


二人になら…



「頼める…かな」



「でしょう。何が違うというのです」



「そ、それは…」


違うというか…



「…そうさせているのは、私ですね」


小さな溜息が、耳に届いた。



「…え?」

リリアンヌは、そっと眉をひそませた。



「村へ来た初日の話です」

アランフォースは素早く答えた。



「あなたが傷つくと分かったうえで、私はひどいことを言いました」



「傷ついてなんていません」

すぐに首を振った。



「アランフォースは、私のためを思って言ってくれたから――」



「ですが、私が追い討ちをかけた」

鋭く遮られた。



「…いいえ、違います」



「泣いていたでしょう」



「……」



「…傷つけてしまい、申し訳ありませんでした」



「違います…!」

リリアンヌは、咄嗟に返した。



「そうじゃなくて…」


傷ついたのは、アランフォースのせいじゃない。


何も言えない自分に、悔しさを感じただけだ。


…寂しさを、感じただけ。



「…左肩の件も、知りませんでした」



「…左肩の件?」



「精霊王が、話していたでしょう」

アランフォースは、自分の左肩をとんと指さした。



異形の存在(ゼノプーパ)に負わされた傷が…消えていないのですね?」



「……」


隠していたつもりは、なかった。


でも、敢えて言わなかった。



「…痛むのでしょうか」



「…いいえ。痛みはありません」

リリアンヌは目を伏せ、小さく首を振った。



「なぜ、傷が消えていないのでしょうか」



「…分かりません」


なんとなくは、分かっている。



「オーリア様にその件について聞きたかったのですが…先に、伯父上へ何かお話があるみたいです」



『君に…一生の枷を、負わせてしまった』



王都に戻ったら、一生の枷が何なのかも、聞かなくてはいけない。


村で、楽しい時間を過ごしてきて――



このまま、忘れていたかった。



「村が山賊に襲われる可能性があることは、どうやって知ったのでしょう」



「…え?」


また、話が変わった。



「……」

アランフォースの目は、まだ櫂に向けられていた。



「ええと…ですから、お父様に山賊の話を聞いて――」



「あなたの御父上も兄上も、あなたが不安になるようなことは決して言わないでしょう」



「……」


山賊という言葉は、どちらからも聞いていない。



「…教えてはくれないのですか」



「…その」


オーリアやレックスのように、予知夢を見たことにしても…


アランフォースには、なぜか信じてもらえない気がする。



それに、今――誤魔化すことが、すごく嫌だ。


けれど、“物語”をうまく伝えられる気もしない。



また…何も言えない。


でも、黙ったままじゃ駄目だ。



どうしよう…


早く、何か――



「仲間などと言って…何の力にもなれない」


ふっと、自嘲するような笑いが耳をかすめた。



「結局、何も変わらない」


その言葉が――ずんと胸に落ちた。



辺りに、静寂が広がっていく。


櫂を漕ぐ音が、やけに響いて聞こえた。



「…申し訳ありません」

やがて、アランフォースは再び口を開いた。



「私が、こんなことを言う資格など――」



「…違う!」



「…!」

アランフォースは、すぐに言葉を止めた。



「どうしてっ…変わらないなんてっ…」

リリアンヌは膝を抱えたまま、舟底に向かって声を絞り出した。


どうして、分かってくれないのだろう。



「私がっ…アランフォースと一緒にいられて、どれほど嬉しいか…っ」


自分の知っていることを、話すことができなくても。


物語の仲間とか関係なく、


目の前の優しい騎士が傍にいてくれることが、



何度も、心を温めた。


何度も、勇気をくれた。



「どれほど安心したか…知らないくせに…っ!」



一番届いてほしい言葉だけが、届かない。


一番届いてほしい人に――届かない。



「…殿下」



「…ごめんなさい」


上を向けない。


こんなにひどい顔を、見せられない。



どうしてこうなってしまったのだろう。


泣くつもりなんてなかったのに。


自分が、情けない――



「…リリアンヌ。私を、見てください」



「…!」

はっと、顔を上げた。



触れてしまいそうな距離に、アランフォースの顔があった。



「…結局、あなたを泣かせてしまった」


大きな手が、目の下に触れた。



「これはっ…アランフォースが」



「分かっています。私が、理解していなかった」



「傷ついてなんか――」



「もう、分かりましたから」


アランフォースの指先を、涙が濡らした。



「…あまり見ないでください」


暗くても、これだけ近かったらぼろぼろな顔が丸見えだ。



「…では、ひとりで泣くのはやめてください」



「泣きやむので…待ってください」

リリアンヌはふいっとアランフォースの手を避け、体を横に向けた。


ひくっ…と情けない嗚咽が漏れた。



「…そうではなく」



「えっ…」


ふいに体が持ち上げられ、舟が大きく揺れた。



「…!」


咄嗟に、目の前のものにしがみついた。


アランフォースの肩だった。



「え…あ、あの…」


膝の上に、座らされている。



「もっと、近くなったのですが…」


混乱しすぎて、何を言っているかも分からない。



「私の肩を使ってください」

アランフォースはそっとリリアンヌの頭に触れると、優しく肩へ引き寄せた。



「…っ」


泣くどころじゃない。


心臓が、早鐘を打っている。



「初めは、単純にあなたの力になりたかった」

アランフォースは気にせず、静かに続けた。



「……」


初めとは、いつだろう。


出会った時か、それとも専属護衛となった時の話だろうか。



「ただ笑っていてくれるだけで、嬉しかった」



「…!」



『殿下が笑えば、私も嬉しい』


『あなたが笑えば、心が温まる』


精霊祭で、アランフォースがくれた言葉――



「あなたが眠りについた時…このままでは駄目だと思った」

耳元に、かすれるような声が落ちた。



「二度と無理してほしくなかった。二度と、何かに耐えるような顔をさせたくなかった」



『我慢した結果、あなたが一番ちからを使い、一番気に病んでいる』



「…っ」

ぽたりと、涙が落ちた。


胸が苦しくて、痛い。



「…これは、私の我儘です。本当は…私には、あなたを止める権利などない」



「…!」

肩に頭を預けたまま、小さく首を振った。



「せめて背負うものを分けてほしいと願っても、あなたは決して、それを人に渡さない」



「…ごめんなさい」



「…本当に、うまくいかない」


寂しげな声が、耳に残った。



本当に…うまくいかない。


ここまで、私を思ってくれているのに。



自分が背負っているものは、決して、渡してはいけないものだから。



「…傍に、いてくれたら」

縋るように、ぎゅっとアランフォースの服を握りしめた。



「アランフォースが傍にいてくれるだけで、頑張れるから…」



「……」


アランフォースは背中を優しくさすると、ゆっくりと櫂を動かした。


再び、辺りが静寂に包まれた。



どうしてアランフォースは、こんなに優しいのだろう。


初めて出会った時から、ずっと。


いつも優しくて、いつでも護ってくれた。



それなのに。


どうして私は、悲しませるようなことしかできないのだろう。


困らせて、怒らせて。



私だって、アランフォースの助けになりたいと思っている。


…何もできていないけれど。



お互い相手の力になりたいと思っているのに、


どうして、こんなにも胸が苦しいのだろう――



「…着きました」



「…あっ」

はっと顔を上げ、手を離した。



「お、降ります…」

腰を浮かすと、ぐらりと舟が揺れた。



「気を付けてください」

アランフォースも立ち上がり、片足を岸に下ろした。



「…ランタンは、要らなそうですね」



「え…わっ、すごい」


昨日より遅い時間だからか、森はすっかり暗くなっている。


それなのに、聖樹の周囲だけは明るく照らされていた。



昨日、村の子供たちと歩いた道を、アランフォースとふたりで進んでいった。


スノウが、先に聖樹のもとへ飛んでいった。



聖樹は変わらず、そこに高くそびえ立っていた。


近づくと、青い葉が微かに揺れた。



「…触れてもいい?」

リリアンヌは、ちらりと振り向いた。



「…私も、触れてもいいでしょうか」

アランフォースが遠慮がちに近づいてきた。



「え…はい、もちろん。聖樹も、喜びます」


聖樹も精霊と同じように、人のことが大好きだ。



幹に手を触れると、アランフォースがそっと手を重ねた。



「…!」


そんな触れ方とは。


不意打ちすぎる。



「…明日、帰ります」

どぎまぎしながら、小さく呟いた。



「また…必ず、会いに来ます」


ふたりの触れる指先に、聖樹の光が集まった。


まるで、白のちからを待っているかのようだ。



「…精霊たちと会わせてくれて、ありがとう」


いつも通り、白のちからをたっぷりと送った。



辺り一帯が光り、聖樹の葉が嬉しそうに揺れた。


その瞬間――



頭の中に、自分のものではない記憶が流れ込んだ。



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