刻まれていく記憶③
テッド視点
「リリアンヌ様、湖の主まで手懐けちゃったんだって!?」
「ち、違います…!ただ、甲羅に乗って運んでもらったの」
リリアンヌの慌てたような声が、耳に届いた。
「うちの子が、姫さんが主と話してたって言ってたよ」
「それから、リリアンヌ様は主の恩人だって、言ってたわね」
「それは、ラファエルが」
「すごいわねぇ…村人を治して、聖樹も元通りにして、精霊まで見つけて。さらに、主まで助けて」
「こりゃ、本当に村長に掛け合って、像を作ってもらわなきゃね」
はははっと女性たちの笑い声が響いた。
「もう…!そんなことしたら、私はもう、この村に来られなくなっちゃう」
「ええ!それは、いや」
「リリアンヌ様と、また一緒に遊びたい」
女性たちの傍にいた女の子たちが、わっと騒ぎ出した。
「えっ、嬉しい」
リリアンヌは、すぐに機嫌を直した。
盛り上がる女性たちの脇で、テッドたちは、ひっそりと卓を囲んでいた。
「…どこまで本当だろうな」
正面で肘をつくカイルが、ぼそりと呟いた。
「全部、本当なんだろう。…多分」
テッドは、同じように小さな声で答えた。
湖の主が何者なのかは分からないが。
「少なくとも、俺たちは精霊を見た」
「そうだね。幻想的だったよね」
トウマがのんびりと頷いた。
「お前…よく、そんな呑気に言えるな」
カイルは、呆れたように目を細めた。
「どうして?」
「本当に、精霊を見つけたんだぞ」
「でも、ザンビア砦でも精霊王も言ってたし。リリアンヌ殿下は、精霊を探すって」
トウマが当然のように言った。
そうだ。
それもあった。
「僕たち、村に入ってからあまり殿下と関わってはいなかったけどさ。でも、噂はずっと聞いてたよね」
「……」
テッドは酒を飲みながら、ちらりとリリアンヌの方へ目を向けた。
すぐ隣の卓で、彼女がこちらに背を向けて何か話し込んでいる。
村の女性たちが、どっと大笑いした。
二か月前――
リリアンヌが目覚めたと公表されてすぐ、カイルと共に、ナイジェル隊長に呼び出された。
てっきり手紙の件で、三年越しに罰を受けるのかと思っていた。
――リリアンヌ殿下の旅に、お前たちもついていかないか
まさか、彼女の旅への同行を打診されるとは思わなかった。
でもすぐに、リリアンヌが自分たちを罰するために選んだのだと理解した。
それなのに、叱るどころか、なぜか安堵されてしまった。
結局どうして自分たちが選ばれたかは、分からずじまいだ。
ここにいる他の兵たちも、どう選ばれたかは知らない。
雲の上の人の気持ちなど、分からない。
ナイジェルすらも、自分にとっては雲の上の人だ。
リリアンヌも、ブライアンも、アランフォースも。
さらに、もっと上の人たちだ。
他の同行者たちだって常識はずれだ。
エルフに、獣人族。
唯一普通だと思っていたネウロも、あとから、あのパルミア一族だと知った。
しかも、精霊王から何かを授かっていた。
一体、どんな一行なんだ。
いや、精霊を探しに行くとは知っていたが。
ずっと、心の中で首を捻っていた。
村に着いた時は、最悪な雰囲気だった。
山賊の襲撃を受け、家が燃やされ、さらに毒がばら撒かれていた…らしい。
山賊はブライアンが仕留め、村人は、全員リリアンヌが治した。
とんでもない王族たちだ。
俺たちは、復興作業の手伝いに充てられた。
それも大切な仕事のひとつだし、
俺たちはあくまで、この一行のための荷物運びと見張り役だ。
…そのはずだったのに。
「俺…絶対に護衛なんて、無理だ」
カイルは苦笑いしながら、一方向に視線を向けていた。
その視線の先では、アランフォースがリリアンヌから離され、村の男たちと飲んでいるところだった。
村の女性たちが、最後くらい女だけで話をさせろと騒いだからだ。
ブライアンは獣人族と固まり、何やら真面目な顔で話している。
だが二人とも、リリアンヌの方をずっと気にしていた。
当の本人は、隣の卓で気にせず女性たちと談笑している。
自然とこちらまで監視されているような気がして、思いきり酒を飲めなかった。
「…俺も絶対、無理だ」
自分まで、苦笑いを浮かべた。
彼女は、異質すぎる。
近寄りがたいように見えるのに、彼女の方から距離を詰めてくる。
王族らしくはないが、俺たち平民とはまったく違う、不思議な存在。
復興の作業中、彼女の話をよく耳にした。
――いつ、帰るんだろうな
――精霊を探すなんて…どうせ、口実だろ
――恩を着せて…きっとまた、俺らを使うんだ
獣人族は初め、リリアンヌたちに良い感情を持っていなかった。
無視こそされなかったが、俺たちに対しても同じだった。
アルジャの騎士たちとは、もっと仲良さげに話していた。
獣人族の歴史は、知っている。
だから陰口が聞こえても、何も言い返せなかった。
それが…
彼女が三日目に目覚めてから、変わった。
――炊き出しの手伝いを、し始めたらしいぞ
――分かりやすいご機嫌取りだな。王族が手伝いなんて、邪魔なだけだろ
――それが…上手にナイフを扱うらしい
――あのアバマが、褒めてたって
それを境に、炊き出しの女性たちの表情まで変わった。
――ほら、しっかり食べな
――そんな細いと、姫さんを守れないよ?
男たちも、そのうち陰口を言わなくなった。
その代わり、彼女の予想外の行動に驚かされていた。
――切られた聖樹を、治そうとしてるって?
――トウガたちと、釣りをしたらしいぞ
――女たちと、奉納祭を企画したとか
――はぁ…なんかもう、すげぇな
決定づけたのは、昨日の奉納祭で精霊を見つけたことだろう。
それでもう、村人たちはリリアンヌのことを認めた。
今では、どこでも彼女の話で持ちきりだ。
ふいに――リリアンヌが、ぱっと振り向いた。
「え」
「テッド、カイル、トウマ!」
そのままジョッキを手に、こちらの長椅子にまで寄ってきた。
女性たちは別の話で盛り上がっているのか、彼女が抜けたことに気付いていない。
「楽しんでる?」
すぐ隣で、リリアンヌが満面の笑みを浮かべている。
しかもなぜかこの村の民族衣装を着ていて、余計に眩しい。
「…いやいや!まずいですって!」
カイルが、はっと声を上げた。
「どうして?」
「ここにいたら、怒られますよ」
テッドも、はっと口を開いた。
アランフォースかブライアンが飛んでくるのも、時間の問題だろう。
「この間も、同じこと言っていたね」
リリアンヌは、くすくすっと笑った。
彼女は、距離が近すぎる。
自分の知る王族は…いや貴族も、こんな簡単に誰かと話したりしない。
ブライアンもまた異質だが、リリアンヌは警戒心が一切ない。
だから、アルジャの騎士たちから離されていたのに。
それをまったく分かっていなさそうだ。
夜番の時に、リリアンヌがひとりで天幕から出てきた時は本当に焦った。
絶対に、怒られる。
案の定、キリが異常を知らせる前に、アランフォースとブライアンは天幕から出てきていた。
「ね、テッド。誰に怒られるの?」
リリアンヌは首を傾げ、じっと見上げた。
「…?」
テッドは、ちらりとアランフォースとブライアンに視線を向けた。
彼らは…移動してこなかった。
そのまま、村人たちと飲み続けている。
「リリアンヌ殿下は、不思議なお方ですね」
「トウマの方が、不思議だわ」
リリアンヌはもう、視線をトウマに向けていた。
「三人とも、復興のお手伝い、お疲れ様でした」
そのまま姿勢を正し、小さく頭を下げた。
「みんなのおかげで、早く精霊を見つけることができました」
「は、早かったのですか?」
カイルが恐る恐る尋ねた。
「うん。もっとかかるかなって思っていたから」
「どうやって…精霊を探していらっしゃるのですか?」
踏み込みすぎな気もしたが、聞かずにはいられなかった。
「キリがね、見つけることができるの」
リリアンヌは、あっさりと答えた。
「キリが、ラジャタ村の付近で精霊の反応を見つけてくれたの」
「はぁ、キリさんは万能ですね」
トウマは感心したように言った。
「だから…ずっと、キリさんと一緒にいるのですか?」
手紙を渡された時から、彼女はキリと行動を共にしていた。
「そう。それ以外もあるけれど…」
深く触れてはいけなさそうだ。
「じゃあ、ネウロ様はどうしてですか?」
カイルが慣れてきたのか、身を乗り出して尋ねた。
「ネウロ様は、貴族でしょう?どうしてついてきたのでしょうか」
「う~ん…なんて言えばいいかな…」
「あの…不躾な質問をして申し訳ありません」
先ほどから、答えにくそうにしている。
「あ、そうではなくて…」
リリアンヌは、ふるりと首を振った。
「ええと…私の力になりたいって、ついてきてくれたの」
「鑑定士がついてくるなんて、心強いですね」
トウマは再びのんびりと言った。
「そうだね。キリも、ネウロも。みんな、一緒にいて心強いの」
リリアンヌはジョッキを両手で持ち上げ、こくりと飲んだ。
「ああ、美味しい」
「ビッケ…さんは、この村に帰ってくるために同行していたんですよね?」
カイルが質問を重ねた。
ビッケは人攫いに遭って王都に連れてこられていたと、村の噂で知った。
「うん。ビッケは、今日で最後。だから…ゆっくり話したかったのだけど」
リリアンヌは言いながら、ちらりと奥へ目を向けた。
視線の先ではビッケが、両親と思われる二人と真剣に話し込んでいた。
「寂しくなりますね」
テッドは何気なく言った。
ビッケが、リリアンヌと同じ天幕で寝泊まりしていたことは知っている。
帰りは、彼女ひとりきりになってしまうのだろう。
「うん…寂しい」
リリアンヌの目が、じわりと滲んだ。
「!?」
「あ、テッドが泣かせた」
トウマが、あははっと笑った。
「ああ、やっちまったなぁ」
カイルも、苦笑いを浮かべた。
「元はと言えばカイル、お前がっ…」
「ごめんなさい、テッド。飲みの場で…」
リリアンヌが顔を赤くしながら、潤む目でテッドを見上げた。
「…っ」
なんとも言えない気まずさに、顔が熱くなってきた。
勘弁してくれ――
「そこまでです」
「あっ」
リリアンヌの手から、ジョッキが取り上げられた。
取り上げた人物は――
「…!」
誰か分かった瞬間、テッドは長椅子の端まで一気に詰めた。
リリアンヌの正面に座っていたカイルまで、トウマの方へ体を寄せた。
「まだ、一口しか飲んでいない!」
リリアンヌは、むっと顔を上げた。
「酒は、成人するまで駄目と言われたでしょう」
アランフォースはリリアンヌとテッドの間に座ると、取り上げたジョッキをテーブルの端へ置いた。
「また寝たら、後悔するのはあなたです」
「昨日は…っ、その、疲れていたから!」
「今日も、十分動き回りました」
「……」
三人は、ふたりのやり取りを呆然と見ていた。
こんな関係だっただろうか?
いや、どんな関係かを知るほど、知らないけど。
リリアンヌが頬を膨らませて怒っているところなんて、初めて見た。
ただ酔っているだけなのだろうか。
「アランフォース…私は、兵たちと話がしたいの」
リリアンヌは、今度は懇願するように言った。
左隣の卓では、他の兵たちがこちらを気にしていた。
「もう、十分です」
アランフォースは、動こうとしなかった。
「じゃあ、いいです。カイルたちと話しています」
「えっ」
「ええと、何の話をしていたっけ?」
リリアンヌは、ぐいっと身を乗り出した。
「さ、さぁ…?」
カイルは、さらにトウマの方へ体を寄せた。
「リリアンヌ」
カイルの横から、ひょこっとビッケが現れた。
「あ、ビッケ」
「父ちゃんと母ちゃんが、お前と話したいって。今、いい?」
「…いい?」
リリアンヌは、ちらりと隣を見上げた。
「ええ、もちろんです」
アランフォースは長椅子を跨ぎ、リリアンヌに手を差し出した。
その手を取り、テーブルから離れていく。
「テッド、カイル、トウマ。ありがとう」
リリアンヌは三人に手を振ると、ビッケの両親が待つ方へ向かっていった。
「…はぁ…すごかったな」
カイルは、まだ目でリリアンヌを追っていた。
「なんか…王族の個人的なところを見ちゃった気がするよな」
「え、そう?」
トウマが首を捻った。
「僕の思うリリアンヌ殿下って、あんな感じだけど」
「俺…怒ったところなんて、初めて見た」
テッドも目で追いながら、ぽつりと呟いた。
「怒ってた?甘えてたように見えたけど」
トウマがきょとんと返した。
「…アランフォース様に、甘えていた?」
「うん、そう」
「……」
なるほど。
あれは、我儘だったのか。
あのアランフォースに…我儘を言えるのか。
自分なんて、話しかけるだけでも緊張するのに。
「アランフォース様だって、リリアンヌ殿下にはすっごい甘いじゃん」
トウマは、酒を飲んで続けた。
「僕たちには、絶対に見せないような表情もするし」
「…お前、よく見てるな」
カイルは、感心したような、呆れたような声で言った。
「僕はずっと、リリアンヌ殿下を目で追っているからね。自然と、周りの人たちも見えてくるよ」
「…よく、そんなことをさらりと言えるな」
「だって、二度とないでしょう?リリアンヌ殿下が、こんな近くにいることなんて」
「……」
テッドもカイルも、黙った。
彼女との旅も、まもなく終わる。
王都に戻れば、再び日常が待っている。
また彼女が精霊を探しに行くとなっても、自分たちが呼ばれるかは分からない。
…もう少しだけ、話しておけば良かったかな。
「ええっ、ほ、本当に…!?」
今は離れたところに座るリリアンヌの声が、ふいに耳に届いた。




