刻まれていく記憶②
ブライアン視点
「…もし、俺の祖父の私物が残っていたら、返してほしいんです」
虎の獣人族が、切実そうな目を向けて言った。
「祖父が、どこの家で働いていたか分かるか」
ブライアンは、静かに尋ねた。
「レッド…なんとかと」
「レッドバレル家か…」
レッドバレルの息子の顔がすぐに浮かんだ。
成人前、自分の取り巻きのひとりだった。
「戻り次第、確認しよう」
「…助かります」
虎の獣人族は、深々と頭を下げた。
「…王都で亡くなった獣人族が、どこに葬られているか分かりますか」
ビッケの母が、そっと口を開いた。
「…共同墓地だ。だが、十五年前の一時期に限られる」
父レックスの即位から、奴隷制度が完全に撤廃されるまでのわずかな間だけだ。
その前に亡くなった獣人族の骨は…とっくに城壁外で朽ちているだろう。
「…そうですか」
ビッケの母は、そっと目を伏せた。
「共同墓地に入っている獣人族の亡骸を、返していただくことはできますか」
隣にいたラガーグが、すかさず尋ねた。
「望むのであれば、必ず返す」
ブライアンはしっかりと頷いた。
「お前たち、少しは王子さんを休ませてやれ。ずっと話しっぱなしだ」
獣人族の奥から、声が飛んできた。
「いや、大丈夫だ」
ブライアンは首を振り、離れたところに座るルゴットへ返した。
「時間が惜しい。明日には帰ってしまうからな」
できることは限られているが、彼らの気が済むまで話を聞きたい。
「本当に…国王からは、何の指示もなかったのでしょうか」
ラガーグは、今度は慎重に口を開いた。
「指示とは?」
「例えば…我々を懐柔してこい、とか」
代わりにコチャが答えた。
「そんなことは、一切ない」
ブライアンはすぐに否定した。
「昨日も言った通りだ。我々王族は、お前たちの問題から目を逸らし続けてきた」
「…!」
昨日の場にいなかった獣人族の女性たちが、小さく息を呑んだ。
「むしろ…父上は、獣人族に関わるなと思っていたかもしれないな」
思わず、苦笑いが漏れた。
「本当に、なんでも言うの」
ルゴットが、呆れたように言った。
「腹を割って話さなければ、何も進まない」
そうしなければ、自分の言葉は一生彼らに届かない。
「何を、進める気なのですか?」
猫の獣人族が、鋭い声で尋ねた。
彼女は、ナーラの母だ。
「もう、そっとしておいてはくれませんか」
「…それでいいのか」
ブライアンは、まっすぐナーラの母を見た。
「ナーラは昨日、リリアンヌと楽しそうに話していた」
「…それは、リリアンヌ様だから」
「そうかもしれないな。だが、違うかもしれない」
「…どういうことでしょう」
ナーラの母は眉をひそめた。
「世には、多くの人間がいる。ナーラや獣人族の子が誰と関わっていくかは、自分たちで決めるべきだ」
人族と同じように、未来は広がっていなくてはいけない。
「村以外の世界を…彼らは、知るべきだ」
自分が、城の世界しか知らなかった頃のように。
他人と自分を比べ、羨み、妬んでいた頃のように。
どこかに縛られるべきではない。
「その未来を閉ざしたのは、あなた方王族だろう…!」
ナーラの母の隣にいた人物が、怒りで声を震わせた。
父親だろう。
「いまだに俺たちは、差別されている…!現に、ビッケは人攫いに遭った!」
「……」
「聞いたぞ。犯人は、貴族に売るつもりだったと」
「そうだな」
ブライアンは、静かに頷いた。
「どうせまた、奴隷にでもするつもりだったんだろう!」
「その貴族については、身分剥奪のうえ、王都を永久追放している」
「…!」
「被害者が人族であろうと獣人族であろうと…父上の治世で人身売買を行うなど、絶対に許さない」
ブライアンは、険しく目を細めた。
足を引っ張るような貴族など、いない方がいい。
「…まだ、お前たち獣人族に差別意識を持った者がいることは、否定しない」
先代王の時代、彼らを利用して利益を得ていた奴らは、特に。
「だがそれ以上に、もっと多くの者がお前たちを歓迎するだろう」
奴隷だった時代を知らない人族の子供たちにとって、獣人族は幻のような存在だ。
精霊やエルフ族と同じだ。
リリアンヌと共にいるスノウやキリを、王都の者はあっさりと受け入れた。
それなら、獣人族も必ず受け入れられるはずだ。
「…!」
ふいに――獣人族たちが、一斉に振り返った。
「…どうした?」
ブライアンは、すぐに立ち上がった。
「…悲鳴が」
「今のは…リリアンヌ様?」
「なに…?」
考える前に、聖院の扉へ向かった。
「湖の方からです!」
ラガーグの声が、後ろから追いかけた。
ブライアンは聖院から出ると、裏手にある湖の舟着き場まで駆けていった。
リリアンヌの傍には、アランフォースとキリがいるはずだ。
一体、何が…
「あっ…あそこ!」
獣人族の指さす方向を見て――
「…は?」
走る足を、ぴたりと止めた。
「きゃぁぁぁ~っ…!」
「…あははははっ!」
「すっげぇー…!」
今度は、自分にもはっきり聞こえた。
子供たちの、楽しそうな悲鳴が。
「え…?あれ?何に乗ってるの?」
ナーラの母が、混乱したように呟いた。
「あれは…亀、だな。湖の主だ」
ナーラの父が、唖然としたまま答えた。
「あっ、母ちゃん!父ちゃーん!」
「…ナーラ!動いたら、落ちる…!」
リリアンヌが座り込んで、ナーラを抱きしめている。
亀が――湖の主が。
多くの子供たちを背に乗せ、すさまじい速さで舟着き場へ迫ってくる。
「はい、到着」
吟遊詩人の声に合わせ、亀が勢いよく止まった。
「わぁぁ!」
「あははっ」
「わぁー」
急に止まった反動で、子供たちが甲羅から舟着き場まで転がった。
その横に、キリが静かに着地した。
「すんごい面白かった!」
「あははっ…最高!」
一緒に釣りをした子たちが、寝転がりながら腹を抱えて笑っている。
「僕は、落ちるかと思いましたよ」
ネウロは小さく文句を言いながら、甲羅からひょいと跳び移った。
「落ちたら、助けてやるって」
ビッケが、笑いながら甲羅から降りた。
「……」
ナーラごとリリアンヌを抱えたアランフォースが、舟着き場へ降り立ち、二人をそっと下ろした。
リリアンヌは、ナーラを抱きしめたまま呆然と座り込んでいる。
「…リリアンヌ。大丈夫か」
ブライアンはそっと屈み、顔を覗き込んだ。
「…あはっ!」
「…!」
間近でぱっと笑われ、胸が小さく跳ねた。
「あははっ…ふふ…っ!」
「ひめさま、楽しかったねぇ」
「すっごい…楽しかった!」
ねー、とナーラと二人で顔を見合わせて笑った。
「…良かったな」
何があったか分からないが、
こんなに大笑いするほど楽しかったようだ。
「あっ、ブライアン…!山葡萄の、お土産です」
リリアンヌはナーラから手を離し、葡萄の房を差し出した。
「土産…?」
「そうです。みんなで山葡萄を摘みに行って…あ」
「ぶどうが、びしょびしょ」
「私たちも、びしょびしょ」
リリアンヌとナーラは、また顔を見合わせて笑った。
「な、何があったの?」
「母ちゃーん!」
ナーラが立ち上がり、母の胸元へ飛び込んだ。
「ぬしがね、楽しいことするっていうから、やったんだよ!」
「え?え?」
ナーラの母は、まだ混乱していた。
「リリアンヌが、湖の主の傷を治したんだ。その礼で、甲羅にオレたちを乗っけてくれた」
ビッケが、服を絞りながら言った。
「帰りに遊ばないかって、主が言ってくれて!もう…長い滑り台を一気に滑ってるみたいだった!」
リリアンヌが何を言っているかはさっぱり分からないが、まだ興奮している。
「リリアンヌ様…!風邪をひかれますよ」
ビッケの母が、獣人族の間を抜けてきた。
「大丈夫です、ミホバ。すぐ乾くから」
「いいえ。すぐ着替えに行きましょう」
「えっ」
「え、ではありません。行きましょう」
「はぁい…」
リリアンヌは、しゅんと肩を下げて立ち上がった。
まるで、本当の母親みたいだ。
「じゃあね、主さん。ありがとう」
そのまま、湖から頭を出す亀のもとへ駆け寄っていった。
「こちらこそ、だそうです」
まだ甲羅に乗る吟遊詩人が代わりに返した。
動物の言葉が分かるちからも持っているのか。
「触れても大丈夫かな?」
「もちろんですよ」
亀の首が、ゆっくりと舟着き場の方に向いた。
「わわ…不思議な感触」
「ぬし、ありがとう!」
「楽しかったよー」
「またね」
リリアンヌに続いて、子供たちも手を伸ばして触れた。
「さ、行きましょう」
ミホバが腰に手をあてて言った。
「うん、分かりました。じゃあ、またあとでね」
リリアンヌは主から離れ、子供たちに手を振った。
「皆さんも、また後ほど!」
大人たちにも向かって大きく手を振ると、ミホバと並んで歩いていった。
その後ろから、アランフォース、キリ、ビッケもついていった。
大人たちは、呆然とその背中を見送った。
「はぁ…相変わらず、出鱈目な方だ」
コチャが、ぽつりと呟いた。
「なんか…どうでも良くなったな」
熊の獣人族が、頭を掻いて言った。
「何の話をしてたっけ」
「…そろそろ、宴会の準備を始めましょうか」
女性の獣人族が、はっと切り出した。
「そうね。場所は、治療院前の広場よね?」
「じゃあ、俺らはテーブルを運ぶか」
「お願いね」
「ほら、あんたたちも手伝いなさい」
「は~い」
大人も子供も、治療院へ向かっていった。
「……」
先ほどまで、かなり真面目な話をしていたはずだ。
解決もしていない。
本当にいいのだろうか。
「それで、いい」
「!」
心の声に返され、はっと振り返った。
「この世には解決できないことなど、いくらでもある」
ルゴットが、穏やかに頷いた。
「ブライアン殿下、お疲れ様でした」
その隣で、ネウロが何食わぬ顔で微笑んでいた。
「…お前は、逃げたな?」
ブライアンは、小さく睨みつけた。
聖院に獣人族が集まっていると、リリアンヌのもとへ向かう自分を呼び止めたのはネウロだ。
「僕は昨夜、リリアンヌ殿下と約束をしていましたので」
ネウロは、けろりと答えた。
「ご立派でしたよ」
「途中までしかいなかっただろう」
相変わらず、適当な奴だ。
「ああ、良いものを見られた」
歌うように、吟遊詩人が言った。
いつの間にか甲羅から降り、湖へ戻っていく主を眺めていた。
その横には、少年が静かに佇んでいる。
揃いの深い帽子をかぶっていて、その表情は分からない。
「リリアンヌ殿下の世界は、美しい」
「…お前は、まだここにいるのか?」
「十分堪能いたしましたので、去りますとも」
吟遊詩人は、湖へ目を向けたままブライアンへ返した。
「おい、お前さん。姫さんを困らせてないだろうな」
ルゴットは、随分とリリアンヌを気に入ってくれたようだ。
「そんなことはしていません」
吟遊詩人は短く答えると、くるりと振り返った。
「ブライアン殿下」
目の前まで歩み寄り、帽子の下から視線を送った。
なかなか整った顔立ちの男だった。
「あなたとは…必ずまた、お会いすることになるでしょう」
「…私は、もうお前と会いたくないが」
キリが警戒するほどの男だ。
それに、どこかいけ好かない。
「どうして私は、こんなに嫌われてしまったのでしょう」
吟遊詩人は、大袈裟に肩をすくめた。
「そういうところだろ。いい加減、その嘘くさい態度をやめろ」
ルゴットが呆れたように言った。
「これが、私の素ですよ」
「あ、嘘を吐きましたね」
「……」
吟遊詩人の目が、ゆっくりとネウロに向いた。
「…精霊の目を持つ一族、ね…」
そのまま、すっと目を細めた。
「勝手に他人へちからを使うなど…随分とお行儀が悪い侯爵のご子息様だ」
「おや、その通りですねぇ。あなたと、お揃いになってしまった」
ネウロは、わざとらしい笑みを浮かべた。
「ですが、ちからは使っていませんよ。…今は、ですが」
「……」
沈黙が続いた。
「師匠」
お付きの少年が、初めて口を開いた。
「行きましょう」
「…そうだな、我が愛弟子よ。次の旅に出るとしよう」
吟遊詩人は、マントを大袈裟に翻した。
そのまま二人は舟着き場を離れ、聖院の向こう側へと去っていった。
「まったく…しょうもない奴だな」
「彼は、一体何者だ?」
ただの吟遊詩人とは思えなかった。
「それは、すまんなぁ。言えん」
ルゴットは申し訳なさそうに言った。
「ほれ、戻ろう。お前さんらも、出立の準備があるだろう」
「…そうだな」
確かに今は、あの吟遊詩人を気にしている場合ではない。
まだ、明日発つまでにやるべきことが多くある。
「…はぁ、目がちかちかする」
「…お前は今、ちからを使っていたのか?」
ブライアンは、はっと隣を歩くネウロに顔を向けた。
「いいえ。今は使っていません。ただ、勝手に嘘や隠しごとに反応してしまうようです」
ネウロは、目を瞬かせながら答えた。
「体力は使わないようですが、まだ目が慣れません」
「…そのちからは、そんなことも分かるのか?」
昨夜、こいつがリリアンヌと話している時に“千里眼のちから”と言っていた。
噂では、その名を聞いたことがあったが…
「それが、リリアンヌの力になる…」
「精霊王は、そうおっしゃっていましたねぇ」
「…どんなちからか、聞いてもいいか?」
「ええ、もちろんです。まず、こちらは今までと同じ、鑑定するちからです」
ネウロは答えながら、ぱっと左目を青く光らせた。
「ちからに関することだけでなく、種族や、その者の持つ性質なども分かります」
「…それが、触れずに分かるのか?」
「ええ、そうです」
「……」
すでに、十分すごいが。
「それから、こちらは千里眼のちから。やろうと思えば、世界中のどこでも覗くことができます」
今度は、右目を光らせた。
「王都は、今日も晴天のようですねぇ」
「…すごいちからだな」
今度こそ、口にした。
下手をすれば、国の機密に関わる。
「…ですから、僕には出過ぎたちからなのですよ」
ネウロは、ふっと困ったように笑った。
「…ああ」
だから、昨夜――
『僕には、このちからを貰う資格なんてありません』
「…そのちからのことは、伏せておくのか?」
ブライアンは、慎重に尋ねた。
「さあ、どうでしょう。大勢の前で、僕が精霊王から何かされたところを見られてしまいましたからねぇ」
ネウロは肩をすくめて答えた。
「それに僕は、リリアンヌ殿下以外のために、このちからを使う気はありません」
「…本気で言っているのか?」
「ええ。何か、問題でも?」
「…いや」
リリアンヌはきっと、ネウロのちからのことを知っていた。
だが彼女は、このちからの危険さまでは理解していなさそうだ。
相手の嘘や隠しごとが分かり、世界中のどこでも覗くことができる。
さらに、優秀な鑑定のちからを持っている。
もしもこいつがセスランディアを裏切ったら、あっさり国は危機に陥るだろう。
『良かったね、ネウロ。本当に良かった』
本当に…良かった。
ネウロの本性はいまいち分からないが、
昨日のやり取りから、リリアンヌを裏切るようなことはしないだろう。
「ところで、ブライアン殿下。いつまでそれを握ってるんです?」
「…ああ」
ずっと、葡萄の房を握ったままだった。
「要らないなら、食べちゃいますよ?」
「やらない。私が、リリアンヌから貰ったものだ」
「おや…ブライアン殿下は、意外と独占欲が強いのですねぇ」
ネウロは、ふふっと意味ありげに微笑んだ。
「…そうだな」
ブライアンは、ふっと笑みを浮かべた。
「だから、二度と手を繋がせたりしないからな」
「…まさかの、そっちからですか」
「何の話だ?」
「いいえ。さ、昨日は逃した分、今日は飲みますよ」
「それは、お前だけだろう」
ブライアンは房ごと持ち上げ、口でぷちっと葡萄の実を切った。
葡萄は、驚くほど甘かった。




