刻まれていく記憶①
リリアンヌ視点
「…しまったぁ!」
リリアンヌは、がばりと起き上がった。
「どうした」
すぐに、キリが窓辺から現れた。
「キリ…寝過ごしちゃった」
「……」
「もう、陽が高いよぉ…」
ということは、もう昼に近い。
「おはよう。リリアンヌ、キリ」
ビッケが、開けられていた扉から入ってきた。
「おはよう…」
「よく寝てたから、起こさなかったけど」
「最終日なのに…」
リリアンヌは、小さく頬を膨らませた。
ただの八つ当たりだ。
昨日の余韻で、興奮して眠れなかった自分が悪い。
「トウガたちが、山葡萄を摘みに行かないかって」
ビッケは、気にせず続けた。
「ん?山葡萄って?」
「森の中に生えてる葡萄。村で育ててるのより、もっと甘いんだ」
「えっ、行く行く!」
すぐにベッドから飛び降りた。
「そこの手拭い使って」
「うん、ありがとう」
ビッケとキリが部屋から出ていき、扉の向こう側で足を止めた。
その間に顔を拭い、着替えていった。
「夜は、治療院の前で、村のみんながリリアンヌたちにご馳走するって」
ビッケが、扉の向こうから言った。
「ご馳走って?」
「歓迎の宴会をできてなかったから、お別れの宴会をやろうって」
「ええ…?だって、昨日もたくさんご馳走してもらったし」
それに、ずっと炊き出しをしてくれていた。
「でも、もう決まってるって」
「いつ、決めたんだろう」
首を傾げながら、上衣に袖を通した。
「どうしよう…貰ってばっかり」
「ここの人族はさ、本当はもっと外から人を呼びたいんだよ」
ビッケから、ぽつりと返ってきた。
「騒ぐこととか、祭りとか、好きなんだ」
「昨日も、盛り上がっていたね」
「うん。みんな、楽しそうだった。だからさ、付き合ってやってよ」
「それは、こっちの言葉だけれど」
リリアンヌは、ひょこっと扉から顔を覗かせた。
「じゃあ、ありがたくお呼ばれしようかな」
「…うん。そうしてやって」
ビッケは言いながら、壁から背中を離した。
「昼を食べてから行こう」
三人で廊下を進み、階段を下りていく。
「あ…キリ」
リリアンヌは下りながら、はっと振り向いた。
「もしかして…宴会が苦手?」
昨日、宴会中ずっと姿を見なかった。
「騒がしいのは、確かに好きではない」
キリは淡々と答えた。
「ごめんね、キリ…。お祭りとか宴会とか、たくさん付き合ってもらってるね」
本当は、無理しているのかもしれない。
「君が楽しいなら、それでいい」
「…私は、キリも楽しんでくれると嬉しいのだけど」
「…君が楽しいなら、私も楽しい」
そっと、言い直した。
「…本当?」
「君のように、表には出せないが」
「……」
そんなに、はしゃいでいるように見えているのだろうか。
「私のことは気にするな。好きにしているだけだ」
「…うん、分かった」
ここまで言ってくれるなら、気にするのはやめよう。
近くにいてくれるなら、それでいい。
「話すなら、食べながらにしなよ」
一階に下りていたビッケが、部屋から顔を覗かせた。
「あ、うん…!」
慌てて顔を前に向け、階段を駆け下りた。
「あれ…ミホバがいない」
いつも、この部屋で出迎えてくれるのに。
「聖院に行ってる」
「聖院?お祈りかな?」
「…たぶん、話し合い」
ビッケは間を置いて答えた。
「話し合い?」
「トウガたち、もう待ってるかも。早く食って行こう」
「そうだね」
食卓を三人で囲み、すでに置かれていた昼食に手を伸ばした。
村なら、集まりとかもあるだろう。
「今日は、たくさんビッケとの思い出を作らなくちゃ」
「え?なんで?」
ビッケがきょとんとして言った。
「なんでって…」
「オレとより、トウガたちとの思い出を作ってやれよ」
「それも、もちろんだけど…」
リリアンヌは、悲しげに眉を下げた。
「…今日が、最後だから」
とうとう、口に出してしまった。
「ビッケと、しばらく会えなくなっちゃうから…」
必ずまた会いに来るけれど、何年も先になってしまうだろう。
「ああ…」
「…え?」
なぜか、キリとビッケが納得したように頷いている。
「そういえば、君は寝ていた」
「あれ、キリあの時いたっけ?」
「近くにはいた」
「…ちょっと待って、何の話?」
二人の会話に、ついていけない。
「…まだ、言っただけで許可も貰ってない」
「だが、決まっているのだろう」
「そうだけど。母ちゃんにも伝えてないし」
「あのー…」
完全に、置いてけぼりを食らっている。
「リリアンヌ、早く食えよ」
「……」
リリアンヌは、口を尖らせてパンを頬張った。
「いいよ、それで。オレとの思い出、作ってよ」
ビッケは、ふっと笑ってみせた。
たまに、ませたことを言う。
それが、とても可愛い。
このまま、ずっと一緒にいたい。
許されるならば、ここにしばらく住みたい。
…絶対、父と兄に許してもらえないけれど。
王都を出立して、もう三週間経った。
みんな、元気だろうか。
ふと王都にいる人たちの顔を思い出して、会いたくなった。
食事を終わらせて家を出ると、外から子供たちの賑やかな声が聞こえてきた。
「どうしてリリアンヌ様の精霊が、騎士様の肩にいるの~?」
「どうやったら、そんなに背が伸びるんだ?」
「かっけぇー」
「あれっ」
いつもブライアンがいる場所にアランフォースが立ち、子供たちに囲まれていた。
ナーラや、小さい子供たちまでいる。
「あっ、リリアンヌ様!」
「おせーよ」
「早く行こう」
近づくリリアンヌに気付いた子供たちが、口々に言った。
「舟を漕いでくれていた子だね」
昨日、舟の後ろで櫓を操っていた男の子も一緒だ。
もしかしたら、村の子供が全員集まっているのかもしれない。
「オレ、クァン」
「クァン。昨日は、お疲れ様」
「今日も舟で行くんだぞ」
「えっ、本当?」
リリアンヌは、ぱっと顔を輝かせた。
「…ご予定を、聞いてもよろしいでしょうか」
そうだ。
まずは、アランフォースに何をするか伝えなくては。
「みんなと、山葡萄を摘みに行こうと思って」
「舟で向かわれると」
「…駄目ですか?」
「いえ、お好きなようになさってください」
「あっ…そういえば、ブライアンは?」
「お気になさらず」
ブライアンは、来ないということだろう。
ネウロもいない。
昨日の会話で、来てくれるものと思ったのだけれど。
「ひめさま、行こう~!」
ナーラが、下からにこっと覗き込んだ。
不意打ちの可愛さに、胸がきゅんとした。
「…そうだね!」
こうしている間にも、時間が経ってしまう。
子供たちと一緒に、昨日の舟着き場まで向かっていった。
大人たちはどこにいるのか、道は静かだ。
「あっ、歌い人がいる」
子供の上げた声に、顔を前に向けた。
舟着き場の端で、ラファエルがこちらに背を向けて屈んでいた。
すぐに気付いて振り向き、ひらひらと手を振った。
お付きの少年は、その隣でまだ湖の中を覗き込んでいる。
「…ええと」
リリアンヌは、ちらりと後ろに振り向いた。
ラファエルに近づいては駄目だと言われているけれど、あそこに行かないと舟には乗れない。
「……」
アランフォースは何も言わず、リリアンヌの前を進んでいった。
後ろからついてこいということだろう。
「リリアンヌ殿下!あなたは一体、何をされたのです?」
舟着き場まで近づくと、ラファエルが歌うような声で言った。
「え?」
何の話だろう。
「あっ!湖のぬしがいる!」
気付いたロミが、走り出した。
「本当だ」
「また顔覗かせてる!」
「歌い人さん、喋ってたの?」
子供たちが、わっとラファエルの周りに集まった。
「わ…本当だ!」
昨日見た大きな亀が、ラファエルの前に顔を覗かせていた。
「お、大きいね」
明るいところで見ると、より迫力がある。
口を大きく開けたら、周りの子供たちを一気に飲み込めてしまいそうだ。
「やられた傷が治ったと、主が喜んでいます」
子供たちの間から、ラファエルが答えた。
「やられた傷って?」
「どうやら昔、襲われたようです」
「山賊たちに攻撃された話のことかな?」
昨日聞いたばかりのことだ。
「でもあれ、オレらが生まれる前の話だぞ」
トウガが言った。
「オレが生まれた頃の話だ」
クァンが付け足した。
「じゃあ…そんなに長い間、傷を負っていたのかな」
少なくとも十年以上、傷の痛みに耐えていたようだ。
「リリアンヌ殿下。主が、もうひとつ頼みがあるようです」
「なあに?」
「足に刺さった銛が、抜けないようで。どうにかできないかとのことです」
その言葉に合わせて、主が首を水中に戻し、ゆっくりと体の向きを変えた。
「これですね」
ラファエルが、水面に出た主の足を指さした。
「…!」
足の付け根近くに、柄の折れた銛が深々と刺さっていた。
「私も頼まれていたのですが、抜いたところで、治療もできない。ずっと断っていたのです」
「アランフォース…」
リリアンヌは、懇願する目でアランフォースを見上げた。
「抜いてあげてくれませんか?」
「……」
アランフォースは返事せず、ラファエルへ鋭い視線を向けた。
「まさか、こんなところで何もしませんよ」
ラファエルは、ふっと笑って肩をすくめた。
「約束したでしょう。ここでは、ちからを使わないと」
「彼は、本当のことを言っていますよ」
「!」
後ろから聞こえた声に、ぱっと振り返った。
「ネウロ…!」
「殿下、僕を置いて行かないでくださいよ」
ネウロは、穏やかに笑っていた。
もう、いつも通りのように見える。
「アランフォースさん。吟遊詩人さんは、リリアンヌ殿下を害そうとはしていません」
「……」
「これは、殿下のためにオーリア様から貰ったものですよ」
ネウロは、左目をとんと指した。
今は、特に光っていない。
ちからを使っていなくても、何か見えるのだろうか。
「じゃあ、欲しいってなんだよ」
隣から、鋭い声が上がった。
「…ああ、聞こえてしまっていたんだね」
ラファエルは、薄く微笑んでビッケに目を向けた。
「何が、欲しいんだよ」
「それはまた、先の話だ」
「…?」
何の話か、さっぱり分からない。
「ねぇ、リリアンヌ様…」
「あっ…」
はっと、子供たちの方へ顔を向けた。
「助けてあげられないかな?」
ロミは、悲しそうに主を見つめていた。
「銛に縄を付けて、みんなで引っ張ればいけるかな」
「結構、深く入ってるよな」
子供たちは、心配そうに主の足を覗いている。
「アランフォース、お願い」
リリアンヌは、もう一度懇願するように見上げた。
今は、湖の主の方が大事だ。
「…分かりました」
アランフォースは小さく頷くと、そのまま亀の甲羅へ軽々と跳び乗った。
「すげぇ!」
「乗れるんだ、あれ」
「離れていてください」
アランフォースが屈みながら鋭く言った。
「みんな、少し下がろうか」
リリアンヌは手を広げ、子供たちを下がらせた。
「…お前に言ったと思うぞ、アランフォースは」
ビッケが呆れたように言った。
「だって、すぐに白のちからを送らなきゃ、痛いでしょう?」
抜いたらすぐに送れるように、両手を前に伸ばして構えた。
「ひとりで、抜けるのかな」
「オレらの方が、力あるけど」
「途中で抜けなくなったら、余計痛いぞ」
「大丈夫」
リリアンヌは、不安げな子供たちの方へ振り返った。
「アランフォースは、何でもできるから」
にっこり微笑むと、再び顔を前に向けた。
アランフォースが、銛を右手で握りしめた。
その瞬間――手が赤い光に包まれた。
「わっ!」
「すげぇ!」
長く大きな銛を、一気に引き抜く――
痛かったのか、亀の甲羅がぐらぐらと大きく揺れた。
リリアンヌは、すぐに白のちからを送った。
白い光が収まる頃には、もう隣にアランフォースが戻ってきていた。
――ガァンッ!
アランフォースは、抜いた銛を足元に落とした。
「先端が、抜けにくい形になっていますねぇ」
ネウロは、銛をまじまじと覗き込んだ。
「これが、ずっと刺さっていたのね」
銛は三又に分かれていて、先端がぎざぎざに尖っている。
錆びた先端には、赤黒い血が付着していた。
湖が揺れる気配がして、そちらに顔を向けた。
再び主が顔を出していた。
「他には、痛いところない?」
リリアンヌを見つめる亀の目が、ゆっくりと瞬きした。
「そっか、良かった」
「会話してるし」
ビッケが、また呆れたように言った。
「…おお、なるほど」
左目を光らせたネウロが、小さく声を上げた。
「どうしたの?」
「この主は、千年近くここで生きています」
「千年!?」
亀は長生きすることは知っていたけれど、想像以上だ。
「村ができるより前から主はいたって、じいちゃんが言ってた。聖樹くらい、大切な存在なんだ」
クァンが後ろから言った。
「聖樹と湖の主がいたから、ここに村ができたのかな…」
なんだか、歴史を感じる。
「お礼に、運んでくださるそうですよ」
ラファエルが、にっこりと微笑んだ。
「え?何を?」
「あなた方を」
「ええ?」
意味が分からない。
「ぬしに、乗れるの!?」
ロミが嬉しそうな声を上げた。
「えっ、そういうこと?」
主は大きな甲羅を浮かび上がらせ、舟着き場へ体を寄せていた。
「ほ、本当に…?」
リリアンヌは、こくりと喉を鳴らした。
亀の甲羅は、昨日みんなと乗った舟よりずっと大きい。
ここにいる全員が乗っても、十分な広さがある。
だけど、掴めるところもない。
つるりと滑ったら、湖に落ちてしまいそうだ。
「行き先は、お決まりで?」
ラファエルは、軽やかに亀の甲羅へ跳び乗った。
すぐに、お付きの少年も続いた。
「湖の北側。山葡萄が生ってる方」
トウガが続き、ぴょんと乗った。
「葡萄摘みですか。いいですねぇ」
ネウロも、躊躇いなく乗った。
「みんな、乗れるかな」
「余裕だろ」
続いて、子供たちも跳び移っていった。
「…どうしますか?」
アランフォースが、ちらりと視線を向けた。
「…乗りたい」
乗りたい、けれど。
「大丈夫だって」
ビッケが言いながら、ひょいと甲羅に乗った。
「お前、跳べるじゃん」
「…そうだね」
よく分からない理屈だけれど。
勇気を出して、甲羅へ跳び乗った。
「わっ、わっ…」
足元が、不安定だ。
「座りましょう」
アランフォースはリリアンヌの腕を掴み、ゆっくりと座らせた。
「あはは、揺れる~」
「面白い~!」
「重くないのかな」
「平気だろ。まだ、甲羅の上は埋まってないし」
子供たちは座ったり立ったまま歩いたり、思い思いに楽しんでいた。
「な、なんでみんな、全然驚かないの?」
リリアンヌは、目を瞬かせながら子供たちを見渡した。
「なにがです?」
「ねえ、ネウロ。亀に乗って移動なんて、普通はないことだよね?」
みんな、当たり前のように受け入れている。
「え?それは、あり得ないことですねぇ」
ネウロはのんびりと答えた。
「そう…だよね?」
リリアンヌは、隣に座るキリへちらりと視線を向けた。
「もしかして、キリは経験ある?」
「ない」
あっさり返ってきた。
「なんか…慣れた」
ビッケは、両手を甲羅につけて寛いでいる。
「慣れた?」
「お前の方が、よっぽどあり得ないことしてきたし」
「そんなこと…」
…あるかもしれない。
精霊王が会いに来たり、聖樹に引っ張られたりすることよりは現実的に思えてきた。
「主と話してたくせに、怖がるなよ」
ビッケは、くっと笑った。
「怖がってなんか――」
湖の主が、静かに動き出した。
あっという間に、舟着き場を離れていく。
「わわっ…」
慌てて、両手を甲羅につけた。
湿っていて、つるつる滑る。
「はやーい!」
「舟より、全然速いな」
「この調子で頼むよ」
ラファエルが亀の頭に向かって言った。
どうして、湖の主と話ができるのだろう。
聞きたかったけれど、今はちょっと余裕がない。
「リリアンヌ様、ありがとう!」
「!」
「ぬしに乗れるなんて、思ってもみなかった」
獣人族の少女が、にこっと笑って言った。
「本当だよなぁ」
「二度とないよな」
みんな、笑顔だ。
「…楽しい?」
「すっごく楽しい!」
「姫さん、すげぇ!」
子供たちが口々に声を上げた。
「私も、楽しい」
リリアンヌは、にっこり顔を綻ばせた。




