紡いでいく者
リリアンヌ視点
「――殿下。…リリアンヌ殿下」
「…ふぇ」
体を優しく揺らされ、ゆっくりと目を開けた。
「…?」
ぼうっと、柔らかい光が見える。
波の音も聴こえる。
「眠っているところを、申し訳ありません」
頭の上から、低い声が降ってきた。
「へ…?」
リリアンヌは、ゆっくりと顔を上げ――
「…え!?」
慌てて、腰を浮かせた。
「危ないです」
後ろからすぐに掴まれ、座らされた。
「やっと起きた」
ビッケが振り返り、呆れた顔を向けた。
その隣に座るブライアンが、苦笑しながらこちらを見ている。
「なっ…え?なんで?」
どうして、アランフォースの膝の間に座っているのだろう。
なんでこんな体勢で、寝ていたのだろう。
「キリも、いるし…」
状況が分からず、目に入ったままを口にした。
キリが、当たり前のように隣に座っていた。
「ど、どこにいたの?」
「ずっといた」
答えになっていない。
「リリアンヌ様、おはよー!」
「よく寝てたな」
「オレたちより、子供みたいだな」
ビッケとブライアンの向こうから、子供たちが振り向いて顔を覗かせた。
「ここは…舟の上?」
トウガが、ランタンを足元に置いて先頭で櫓を操っている。
先ほど見えた柔らかい光は、あれだ。
「お前、酔って寝てたんだぞ」
ビッケが目を細めて言った。
「ええ…?」
あんな少ししか飲んでいないのに。
「成人するまで、もう飲ませないからな」
「ご、ごめんなさい…」
ブライアンが怒るような、ひどい酔い方をしたのだろうか。
「…リリアンヌ殿下。ゆっくり、後ろを見てください」
頭の上から、静かな声が落ちた。
「…後ろ?」
アランフォースの体で、何も見えない。
「立たなくていいです。そこから見てください」
「……」
恐る恐る、アランフォースの膝に手を置いて身を乗り出した。
「…わぁ!」
目に入った光景に、思わず声を上げた。
色とりどりの光が、湖に広がっている。
とても幻想的だ。
「あれは、ランタン?」
「他の舟のランタンだ」
後ろの櫓を操る獣人族の男の子が、教えてくれた。
「どうして、たくさんの色があるの?」
「…炎の色を、変えているから?」
困ったように獣人族の子が答えた。
「へぇ…」
何か、細工をしているのだろう。
ちらちらと揺れるランタンの灯りが、湖を優しく照らしている。
さらに遠くからは、聖樹の柔らかい光がここまで届いていた。
「すごく綺麗…」
つい先ほど、精霊たちを見たばかりだからだろうか。
いくつもの淡い灯りが、精霊たちの踊っている姿のように見えた。
「…起こしてしまい、申し訳ありませんでした」
「え?」
ぱっと、顔を上げた。
「あなたなら、この景色を見たいと思ったので…」
アランフォースは、わずかに眉を寄せて見下ろしていた。
「さすが、アランフォース」
リリアンヌは、にっこりと笑って返した。
「精霊祭を、思い出しますね」
何年も前に一緒に見た、空に飛んでいく無数のランタンを思い出した。
「……」
「…どうしたのですか?」
アランフォースは、何か言いたげだ。
「あっ!」
「えっ、何?」
大きな声に、慌てて顔を前に向けた。
「あれ、あれ!」
ロミが、湖を指さしていた。
「湖のぬし!」
「…わ!?」
舟のすぐ横に――何かいる。
舟の倍…いや、もっと大きい。
大きな丸い影が、月明かりとランタンの灯りで、はっきりと見えた。
「あ、本当だ」
「夜に珍しいな」
村の子たちは、平然と湖を覗き込んでいた。
みんなが舟の左に寄り、ぐらりと大きく揺れた。
「わっ…わぁ…!」
リリアンヌは、アランフォースの腕にぎゅっと掴まった。
「右寄れ、右に!」
先頭に立つトウガが、声を張り上げた。
「あははは!」
「わぁ~落ちる~」
子供たちは、楽しそうだ。
「わ、わわわ…」
「大丈夫ですよ」
耳元で、アランフォースがそっと囁いた。
「いざとなれば、あなたを抱えて岸まで泳ぎます」
「…そんなことまで、できるの?」
「鍛えていますから」
「全部、それで済まそうとしてる」
思わず、あはっと吹き出した。
初めて会った時にも、同じようなことを言っていた。
「あっ」
スノウが舟から離れていき、大きな影の上をぐるりと旋回した。
「どうしたんだろう?」
「…あれは、恐らく」
キリが答える前に、辺りに白い光が広がった。
「えっ…」
スノウが、湖の主に白のちからを送った。
そのまま何ごともなかったかのように、リリアンヌの肩に戻ってきた。
「…怪我してたの?」
「ホ~」
どうやら、湖の主は怪我を負っていたらしい。
「あっ…!」
トウガが何かに気付き、漕ぐ手を止めた。
舟のすぐ横で、黒い影が盛り上がった。
大きな亀の顔が、水面に現れた。
「お、大きい…」
リリアンヌは、こくりと喉を鳴らした。
頭だけで、舟と同じくらいの大きさだ。
亀の目は、じっとスノウを見つめていた。
「すげぇ…初めて顔見た」
「泳いでるところしか、見たことなかったもんな」
子供たちが、興奮した声で囁き合った。
アランフォースもキリもブライアンも、亀を見ているものの無反応だ。
まさかこれって、普通のことなのだろうか。
レイセント湖でも、これくらい大きな主がいるのだろうか。
「…とんでもなく大きいな」
ブライアンが、小さく呟いた。
やっぱり、普通のことではないようだ。
亀はゆっくり瞬きすると、暗い湖の中へ静かに帰っていった。
「…すごい」
ビッケは、亀が消えた湖をずっと覗き込んでいた。
「本当に…すごい」
本当に、物語みたいだ。
精霊を見つけて、
聖樹と色とりどりのランタンの夜景を見て、
湖の主に、出会って――
『まるで、物語を見せられている気分ですよ』
彼は…どこだろう。
無性に、会いたくなった。




