変わっていくもの
ラガーグ視点
賑わう村人たちの中で、ルゴットの周りだけが、やけに静かだった。
ルゴットの近くに、嫌でも目立つ赤髪が見えた。
あの騎士がいるなら、傍にリリアンヌがいるはずだ。
「おお、ラガーグか」
「リリアンヌ殿下に、話があります」
「残念だったの、ラガーグ」
ルゴットが、小さく笑った。
「姫さんなら、ちょうど今、寝ちまった」
「え?」
アランフォースの隣に、思わず目を向けた。
リリアンヌが膝を抱え、顔を伏せていた。
だらりと垂れる手には、なぜか食べかけの菓子が握られている。
ブライアンに寄りかかり、動かない。
「…また」
これで、礼を言い損ねたのは二度目だ。
「姫さんは、よう眠るの」
また、ルゴットが笑った。
「まさか…白のちからを、いつも以上に使ったからでしょうか」
先ほど聖樹の上で見た光は、いつも送っている時よりも強かった。
「いや…これは酔っているだけだ」
ブライアンは言いながら、リリアンヌの手からそっと菓子を抜き取った。
「すまない、気にしないでくれ」
「…はぁ」
ここへ来た目的が、一瞬でなくなってしまった。
「まあ、座れや」
ルゴットが、ぽんと敷き物を叩いた。
「せっかくの機会だぞ」
「……」
ああ…
もうひとつ、言うべきことがあった。
「ブライアン殿下」
ラガーグは片膝をつき、さっと姿勢を正した。
「なんだ?」
ブライアンは、リリアンヌの食べかけの菓子を食べていた。
「先日私は、ブライアン殿下に失礼なことを申しました」
白のちからの対価として何も望まないと言った彼に対し、何度も疑うような言葉を吐いた。
「大変、申し訳ありませんでした」
「いや、あれは当然の言動だ。謝るのは、やめてくれ」
拍子抜けするほど、あっさりした言葉が返ってきた。
「…あなた方は、王族です」
この者たちは…自身の立場を分かっているのか。
本来なら、私は不敬でとっくに首を刎ねられていてもおかしくない。
「リリアンヌも言っていただろう。ここはお前たちの村だ。気にするな」
ブライアンは言い切ると、静かに視線を向けた。
「…それに、謝るのはこちらの方だ」
「……」
何を言う気だ。
まさか――
「長年、獣人族の問題を黙認してきた。王家の人間として、謝罪する」
「…!」
獣人族たちは、一斉に顔を強張らせた。
騒がしい飲みの場のはずなのに、ここだけ空気が張り詰めている。
「姿勢を正して謝罪するべきだが…すまない、これ以上は動けない」
リリアンヌはまだ、ブライアンに深く寄りかかっている。
「王子さんよ…それは、どれのことだね」
ルゴットはエールをあおり、静かに尋ねた。
「奴隷の過去か。それとも、現状のことか」
いつもより低い声だ。
「その謝罪は、飲みの場とはいえ、重いぞ」
「分かっている。過去は、変えられない」
ブライアンの目は、力強いままだった。
「獣人族を差別してきたことを、過去の王へ責任を押しつける気もないし、言い訳する気もない。奴隷制度が撤廃された後も、獣人族がこの村から出られなかったのは、我々王族のせいだ」
そのまま、ゆっくりと獣人族の男たちを見渡した。
「本来お前たちは、セスランディアのどこでも自由に行けるべきだ」
「…我々は、自分たちの意思でこの村にいる」
ラガーグは、不快げに眉を寄せた。
まるで、王命でここに押し込められていると思われていることが気に食わない。
「分かっている。ドーガへ移住しないでくれて、感謝している」
「…!」
「セスランディアを選んでくれたことを、後悔させたくない」
ブライアンは、きっぱりと言い放った。
「…それは、あまりにも後付けじゃないですか」
コチャが、声を震わせて口を開いた。
「リリアンヌ様が精霊を探しにこの村に来てくださったから、たまたま我々のことを思い出しただけでしょう…!」
コチャの親もまた、王都でひどい虐待に遭い死んでいる。
「はっきり言おう。その通りだ」
「なっ…!」
「リリアンヌがこの村へ向かうと言い出すまでは、すべてをツァガ領に任せ、見て見ぬふりをしてきた」
「随分と正直だの」
ルゴットが呆れるように言った。
「上辺の言葉を並べても意味がないだろう。それでは何も変わらない」
ブライアンは、コチャに目を向けたまま返した。
「リリアンヌのおかげで、分かった。それが間違いだったということを」
「…どれのことですか」
コチャは慎重に尋ねた。
「見て見ぬふりをしてきたことを。本当に、申し訳なかった」
「それで、何をすると言うのです」
ラガーグは鋭く口を挟んだ。
「何を、変えようと言うのですか」
「……」
ブライアンは一瞬、言葉を詰まらせた。
「…それは、これから」
「余計なことをしないでいただこうか…!」
もう、放っておいてくれ――
「…オレ、変えられるかな」
張り詰めた空気の中、ぽつりと声が落ちた。
「……」
男たちは、声がした方へゆっくりと目を向けた。
「オレ…リリアンヌについていけば、何か変わるかな」
ビッケは膝を抱えたまま、静かに続けた。
「…王都に、来てくれるのか?」
ブライアンが優しく尋ねた。
「リリアンヌが行くところなら、王都でもどこでも、一緒についていきたい」
息子の目には、決意が宿っていた。
「…!」
喉の奥が、微かに震えた。
ああ…
結局、何も分かっていなかった。
つい先ほど、妻と話したばかりだというのに。
「姫さんの力は、偉大だの」
ルゴットは、優しく口を開いた。
「もう、ひとり変えちまった」
「…ビッケ」
ラガーグは表情を引き締め、息子に向き直った。
「お前が思うより、つらい道だぞ」
親として、これだけは伝えなければいけない。
「それこそ、人攫いに遭う方がましだと思うようなこともあるかもしれない」
「それは、オレだけじゃない」
ビッケは、きっぱりと言い切った。
「リリアンヌだって、ブライアンたちだって同じだ。誰だって、つらい目に遭う時があるだろ」
「それは…」
王族だから――
…いや、王族ならば逆のはずだ。
護られていれば、つらい目に遭うはずなどない。
だがリリアンヌもブライアンも、つらい過去を乗り越えてきているように見えた。
「…ビッケぇ」
「!」
男たちは、はっと顔を上げた。
「…寂しい」
眠るリリアンヌが、ぐずっと鼻をすすった。
「…こいつ、寝ぼけてんのか?」
ビッケは、呆れるようにリリアンヌを覗き込んだ。
「いや、多分まだ寝ている」
ブライアンは苦笑して答えた。
「…ぐずっ」
今度は、男たちの中からすすり泣きが聞こえた。
「…複雑だ」
コチャが俯き、肩を震わせていた。
「気持ちが、整理できねぇ」
「この感情をどこに持っていけばいいか、分からない」
獣人族たちが、ぽつぽつと声を上げた。
「何かを無理に変えようとは思わない。我々を許さなくてもいい」
ブライアンは、再び獣人族たちを見渡した。
「だがビッケのように、共に歩もうとしてくれる者を、止めないでほしい」
「…むぅ」
リリアンヌが小さく呻き、身じろぎした。
そのままずるりと体勢を崩し、ブライアンの膝に寝転がった。
気持ちよさそうに熟睡している。
「ホ~…」
精霊が羽を広げ、アランフォースの肩へ移った。
「…できれば、もう少し時を選んでほしかったが」
ブライアンは、気まずそうに呟いた。
「もう、限界だな」
アランフォースは、ひょいとリリアンヌを抱き上げた。
「子供らと先に舟で帰るといい」
ルゴットは、アランフォースたちの後ろを指さした。
子供たちが、舟へ向かおうと立ち上がっている。
「オレ、案内する」
ビッケが立ち上がり、先頭を歩き出した。
「我々は、明後日の朝に帰ることになった」
ブライアンが、去る前にこちらへ振り返った。
「リリアンヌに話したいことがあるなら、早めの方がいい」
「明後日、帰るのですか?」
本来の目的は、精霊を探すことだ。
それを達成したのだから当然のことだが、なぜか、もう帰るのかと驚いた。
「私に言い足りないことがあれば、明日、遠慮せず話に来てくれ」
ブライアンは、ゆっくりと獣人族たちを見渡した。
「私は、どんな声も受け止める」
「あれっ、リリアンヌ様どうしたの!?」
「また寝ちまってるじゃないか」
女たちの賑やかな声が、静かな空気を破った。
「酔っただけだ」
ビッケが、驚く女たちに答えた。
「あら~、顔が赤かったからねぇ」
「それに、たくさん頑張ったからね」
「疲れただろう。ゆっくり寝かせてやりなよ」
女たちは、すっかりリリアンヌの母親役だ。
「…失礼する」
ブライアンは一礼すると、アランフォースたちを追いかけていった。
そのまっすぐな背中から、目が離せなかった。
「…若者は、勢いが違うの」
ルゴットが、静かに口を開いた。
「迷い傷ついても、前へ進んでいく」
「…これが、その時なのでしょうか」
ラガーグはブライアンの背中を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「ん?」
「復讐でもなく、逃亡でもなく…今が、“その時”なのでしょうか」
――傷を癒し、その時を待て
「…ああ、本当に、長生きして良かった」
ルゴットは、最近何度も口にする言葉をまた繰り返した。
「最高の時が来ただろう?」
皺の刻まれた顔で、リリアンヌのように、にっこりと笑った。




