振り回される者たち②
ブライアン視点
「わ、わ!」
「ゆっくり、ゆっくり引いて!」
「引っ張るんじゃなくて、持ち上げるの」
「慌てちゃ駄目だぞ」
リリアンヌの周りに、一斉に子供たちが群れた。
「こ、こう…!」
リリアンヌは、勢いよく竿を持ち上げた。
その先端には、何もついていなかった。
「ああ~、また餌持ってかれちゃった」
「リリアンヌ様、下手だなぁ」
集まった子供たちが、おかしそうに笑った。
「…どうして私だけ、まったく釣れないんだろう」
「もう、諦めろよ。十分釣れたよ」
ビッケが、桶の中を覗きながら言った。
「もう少し、待って」
「リリアンヌ様、がんばれー!」
「ありがとう、ロミ。せめて、一匹は釣りたいな」
「ほら、餌つけるから」
「セベル、ありがとう」
リリアンヌは、あっという間に子供たちの名前を覚えた。
「リリアンヌ殿下、見てください!大きなアユを釣っちゃいましたよ」
「ネウロも、釣りが上手だね」
「王都の子は、レイセント湖と共に育ちますからねぇ。ま、僕は違いますけど」
「私も、王都の子なんだけどなぁ」
「……」
リリアンヌの言葉に、ブライアンは心の中で苦笑した。
王都の子ではなく、王族の子だ。
彼女は、もともと王族という自覚が足りなかった。
それが王都を出てから、より悪化してしまった。
正確には、目覚めてからだろうか。
いや…違う。
きっと、こちらが彼女の素なのだろう。
小さい時も、よく笑い、よく歌い、楽しそうに駆け回っていた。
リリアンヌにつく侍女が、大変そうにその後ろを追いかけていた。
「もっと、餌を生きているように見せた方がいいのかな?」
「そんなことしなくても、釣れるって…」
竿を揺らすリリアンヌに、ビッケが呆れるような目を向けた。
「ふっ…」
勝手に笑みがこぼれ、そっと手で口元を隠した。
彼女は、三年も眠りについていた。
もしかしたら、まだ心は十歳のままなのかもしれない。
だから、より無防備なのだろう。
遠く門の方からは、急ぎ修繕を進めている音が聞こえている。
ビッケではないが、ここへ何しに来たか、忘れかけてしまいそうだ。
少なくとも、釣りや炊き出しの手伝いが目的ではなかったはずだが。
こんなにも自由に動いているというのに、不思議と、すべて意味のあることのように思えてしまう。
村に着いた時は…本当に、焦った。
事前にロデオたちから話を聞き、村が襲撃される可能性があることは把握していた。
神経毒を使用されることも、知っていた。
自分たちには、解毒剤がある。
山賊さえ殲滅できれば、正直、どうとでもなると思っていた。
…それなのに。
目を離した隙に、リリアンヌはあっという間に白のちからを使ってしまった。
彼女が止まらないことは分かっていたのに、考えが足りなかった。
止めるためとはいえ、彼女自身を責めた。
また…何かに耐えるような顔へ戻ってしまった。
そういう顔をさせないために、自分はついてきたというのに。
「リリアンヌ。そろそろ食べていかないと、手伝いに間に合わなくなるぞ」
「うう…分かった」
「魚、さばくか」
「ひとり二匹ずつは食えそうだな」
ビッケが桶を持ち、火の準備をしているキリのもとへ子供たちと向かっていった。
「でも…そこに魚がいるのに…」
リリアンヌは屈み込み、まだひとりでぶつぶつ言っている。
「まるっとして…美味しそう」
「…竿は、動かさない方がいい」
ブライアンは、そっと隣に並んだ。
「じっとして、構えているだけで大丈夫だから」
「それで、餌を食べるのですか?」
リリアンヌは竿の糸を垂らしながら、湖の中を覗き込んだ。
「みんな…餌に、気付かない」
なぜか、悲しそうだ。
「大丈夫。いつかは食いつく」
彼女は普段のんびりしているのに、変なところでせっかちだ。
じっとしていられないのだろう。
「ソーンになった気分」
ふふっと笑う声が、耳をかすめた。
「ソーン?誰だ?」
「あ…ええと…小さい頃に読んだ、物語に出てくる旅人です」
「ソーンは、君みたいに釣りができない?」
「違います。上手なんです」
リリアンヌは、ふるりと首を振った。
「ん…あれ、上手なのかな?どうだったかな」
「なんで、そこが分からないんだ?」
思わず、ふっと笑った。
「上手とかじゃなくて…そう、釣りが好きなの」
リリアンヌは、ぴんと人差し指を立てた。
「釣りと笛が好きな、旅人」
「へぇ…」
リリアンヌは、いろいろなことを知っている。
王太子として多くを学んできたつもりだが、彼女と共に旅をして、新たに知ったことがいくつもあった。
「新しいことに挑戦する時は、そこに危険が待ってるってもんさ」
「えっ?」
彼女らしからぬ物言いに、思わず顔を覗き込んだ。
「その、ソーンの言葉です。良かった、憶えてた」
リリアンヌは、ふふっと笑っていた。
「まさしく、今の私たちだなって思って」
「…聖樹の話か?」
「聖樹の話も、今も」
「釣りが危険なのか?」
つい、吹き出した。
「大きな魚が釣れたら、危険かもしれないじゃないですか」
リリアンヌが、小さくむくれた。
「湖の主が、釣れるかもしれないでしょう?」
「それは、見てみたいな」
小虫の餌で、湖の主が釣れるなら、
まさしく、物語だ。
「私は…どうやら、危険に関して疎いようなんです」
リリアンヌは眉を下げ、悲しそうに微笑んだ。
「…否定はできないな」
危険を考えるなら、まず、自分から村の者たちに近づいたりはしない。
「私が挑もうとしていることは…きっと、なんでも危険なんです」
「……」
精霊のこと、
誰かを助けること、
獣人族との付き合い方のこと、か。
「その…迷惑をかけている自覚は、あります」
リリアンヌは、そっと目を伏せて続けた。
「そう思っても、諦めたくないです。全部」
「全部…?」
「はい。だから、もう少し付き合ってください」
目を上げ、まっすぐにブライアンへ視線を向けた。
「仲間として、傍にいてください」
「……」
彼女の世界は、澄みきっている。
何があっても、決して目を逸らさない。
誰も、勝てない。
この、力強い紅い瞳には――
「…あっ!」
竿が、ぴくりと揺れた。
「ゆっくり、持ち上げて」
リリアンヌの手ごと竿を掴み、そのまま後ろへ引かせた。
「…そう。もう少し、下がって」
糸をゆっくり引き上げていく。
「…ほら、釣れた」
針に引っかかったアユを素早く外して、リリアンヌへ見せた。
「…すごい!釣れた!」
リリアンヌは、にっこり顔を綻ばせた。
「焼いてもらおうか」
釣れたアユを持ち、火を熾している方へ向かっていった。
キリやビッケたちはもう、魚を並べて焼いている。
「ビッケ、ネウロ!見て見て!」
リリアンヌは、嬉しそうにブライアンの持つアユを指さした。
「釣れたの!」
「ブライアンが持ってるじゃん」
「おお~、おめでとうございます」
「わっ、大きいアユ!」
「リリアンヌ様、良かったね」
子供たちも、口々に褒めた。
「えへへっ…ブライアンのおかげなの」
上機嫌のリリアンヌの横で、ブライアンはナイフを取り出して屈み込んだ。
素早く魚の下処理をしていく。
「王子様なのに、上手だね」
獣人族の少年が、驚くように言った。
「はぁ、綺麗に内臓を取り除きますねぇ」
ネウロが、その隣から覗き込んだ。
「私も、王都の子だからな」
水上特別隊に所属していた時、毎日のようにやっていた。
「キリ、もうこれ食えるかな」
ビッケが、焦げ目が付いたアユを指さした。
「ここからここまで平気だ」
「ちょうど、人数分!」
リリアンヌは嬉しそうに言うと、串の刺さったアユを抜いていった。
「はい、アランフォースも。座ってください」
「…ありがとうございます」
アランフォースは素直にアユを受け取ると、近くの石に腰掛けた。
アランフォースとは、出立したばかりの頃に話し合い、
旅の間、王都にいる時と同じようにリリアンヌを護衛することを早々に諦めた。
彼女は、一緒に食事をしたがる。
一緒に、話をしたがる。
何にでも興味を持ち、どこへでも行こうとする。
正直…彼女を護衛することは、かなり大変だ。
王都を出てから三週間近く経つが、ずっと気は休まらない。
大変だけど――
「いただきます」
リリアンヌが手を合わせ、いつものように小声で呟いた。
彼女特有の、食前の言葉だ。
「あっつ…」
はふはふと、熱そうにアユにかぶりついた。
自分も人のことは言えないが…本当に、躊躇いなく何でも食べる。
「美味しいねぇ…」
「…ふはっ…!」
間近で、リリアンヌの表情を見てしまった。
「…え、どうして笑ったのですか?ブライアン?」
「いや…ごめん」
「アユをそんな幸せそうに食う奴、初めて見た」
ビッケが、代わりに言った。
「だって、美味しいもの。ねぇ?」
「ねー!」
ロミが、嬉しそうにリリアンヌへ返した。
「…ふっ」
この時間が、好きだ。
リリアンヌを中心に、のんびりと過ごすこの時間が。
村の状況や、本来の目的を考えたら、こんなことをしている場合ではないかもしれない。
それでも。
「私が捕ったアユは、ブライアンが食べてくださいね?」
「お前の手柄にしてるし」
ビッケが、ふはっと吹き出した。
誰もが、穏やかになれる空間が。
にっこり笑う、リリアンヌが。
すべてが、好きだ。




