善意と同情⑤
リリアンヌ視点
「あっ…!」
リリアンヌは、ぱっと荷車の方へ顔を向けた。
いつの間にか、隣に立っていたはずのギタンがいなくなっていた。
「…てめぇ、じじぃ…またいんのかよ」
「それはこっちの台詞だな。俺は、ここでの炊き出しが始まった時からいる」
しゃがれた声が、唸るハックに答えた。
「いい加減、ここの連中に難癖つけるのはやめろ。そんなことをしても、お前らの小金稼ぎには役立たねぇぞ」
「ああ~?うっせぇな、オレは炊き出しを貰いに来たんだよ」
ハックは、睨めつけるようにギタンに顔を寄せた。
「なら、列に並べ。誰にも迷惑をかけるな」
「あんだと、くそじじぃ。オレに、こんな小汚い奴らと並べってのか!」
「それなら、お前には配れねぇな。そもそも、盛り場の人間がこんなところに来るな」
「うるっせぇなぁ!貧民区の人間が、オレに説教垂れてんじゃねぇよ!」
「…おい、ハック。もう行こうぜ」
「そいつだけには手を出すなって言われてんだろ」
若者たちが、どこか怯えたようにハックの腕を引いた。
「…ちっ。こんなじじぃが、何だってんだ」
ハックはギタンから顔を離すと、「行くぞ」と背を向けた。
「覚えてろよ」
最後に捨て台詞を吐き、小路へ消えていった。
「…すごい」
細かいことは分からないけれど、
ギタンのおかげで穏便に収まったようだ。
「うわぁんっ…!」
レンが、火がついたように泣き出した。
「ぼくのスープがぁっ…」
「あっ…」
リリアンヌは、はっと振り返った。
「…炊き出しは、ひとり一杯までだ」
顔を向けられたサムは、静かに首を振った。
「でも…あれは事故でしょう?」
「それが、掟だ。ボノたちも分かってる」
「ああ、泣くな、泣くな!オレの分やるから、な!」
視線を戻した先では、ボノがレンに椀を渡していた。
「でも…それじゃあ、足りない」
レンにあげたら、ボノは食べるものがなくなってしまう。
「…ね、サム、やっぱり――」
「駄目なものは、駄目だ」
「……」
「…オレを睨んでも、どうしようもない」
サムはリリアンヌの腕を離すと、大鍋の前へ戻っていった。
「ごめん、シルヴィア。代わる」
「…ええ、お願いね」
「……」
リリアンヌはその場で立ち尽くし、顔を俯けた。
どうしてあげたらいいのだろう。
何か買ってきてあげたいけれど、お金なんてない。
それに…さすがにそれは違うということは分かる。
やるせない。
何もできない。
「…リリィ」
「はいっ…」
静かに名を呼ばれ、はっと顔を上げた。
「これは、あなたの分」
シルヴィアは、椀に盛ったスープをリリアンヌに差し出した。
「今のうちに、ギタンのところへ行って食べてきなさい」
「…!」
シルヴィアの言葉の意味を、理解した。
「うん…!ありがとう!」
リリアンヌは椀を受け取ると、すぐにギタンたちのもとまで駆けた。
ギタンは、まだボノと何かを話しているところだった。
「ボノさん…!」
「…ん?ああ、嬢ちゃん、どうした」
「これ…!こぼしてしまった分」
リリアンヌはボノの前で足を止めると、シルヴィアから受け取った椀を差し出した。
「えっ?」
「ボノさんの分が、足りないでしょう?どうぞ」
「待て、待て、嬢ちゃん。そりゃ駄目だ」
ボノは慌てて首を振った。
「これ、私の分なの。だから、遠慮しないで」
「余計に駄目だろ。嬢ちゃんの分がなくなっちまう」
「…大丈夫!だから、受け取って」
リリアンヌは椀を高く持ち上げ、さらに差し出した。
「…嬢ちゃん」
「このままじゃ駄目かな?こっちのお椀に、移し替える?」
「嬢ちゃん、いいんだ。やめてくれ」
ボノは手を突き出し、きっぱりと言った。
「施しは受けても、同情は受けねぇ」
「…ごめんなさい」
リリアンヌは、さっと顔を青くした。
「その、私…」
「嬢ちゃんの気持ちは、受け取った。気にかけてくれて、ありがとな」
「……」
「また、三日後の炊き出しに来るから!な!」
ボノは顔を近づけ、にかっと笑ってみせた。
「そん時は、腹いっぱい食わしてもらうぜ」
そう言って手を振り、先を行く家族のもとへ向かっていった。
「…父ちゃん、ごめん。あたい、ついかっとなって…」
「気にすんな、メイ!何もなかったんだから、それでいいだろ」
「何もなかったって、あなた」
「ほらセイ、前を見て歩け。そこ、気を付けて――」
「……」
リリアンヌは椀を持ったまま、去っていくボノ一家を見つめた。
「…ひとつ、学んだな」
頭の上から、静かな声が落ちた。
「同情…しているのかな」
そんなつもりは、なかった。
いや…どうだろう。
何か食べるものをあげなくてはと思った時点で、同情していたのかもしれない。
同情って…何だろう。
力になりたいと思うことも、同情にあたるのだろうか。
助けることすら、駄目なのだろうか。
「…リリィ、一歩ずつだ。急ぐな」
「!」
ぽんっと、頭に手が置かれた。
「焦ることは何もねぇ。お前の感じる疑問は、お前を成長させていく」
ギタンの撫でる手は、優しかった。
「これから、たくさん学んでいけばいいだけだ」
「…うん」
リリアンヌは、両手で抱えた椀をぎゅっと握りしめた。
いつか、この疑問に答えを見つけられるのだろうか。
いつか――ちゃんと、向き合えるのだろうか。




