触れていく一日①
リリアンヌ視点
「おはようございます、ミホバ」
リリアンヌは、ひょこりと扉から顔を覗かせた。
「おはようございます。リリアンヌ様、エルフさん」
「ラガーグは、もう出かけているのでしょうか?」
昨日の夜も、会えなかった。
「…主人は、帰ってきていません」
ミホバが小さな声で答えた。
「…それは」
「あの人自身の問題です。リリアンヌ様は、気になさらないでください」
「……」
…とっても、気になる。
「気にすんなよ」
隣に立つビッケが、軽い口調で言った。
「別に、獣人族はどこでも寝れる」
「そういう問題じゃなくて…」
「いいから、行こう」
「あ、うん…」
ビッケは、入り口に向かってリリアンヌの背を押した。
「…あの、リリアンヌ様」
「はい」
すぐに後ろへ振り向いた。
「これ…良かったら、お昼に皆さんで召し上がってください」
ミホバが、大きな籠を差し出した。
「…ええっ!」
「…大したものではありませんが」
「いいえ…」
ゆっくりと、両手で籠を受け取った。
中には、様々な具が挟まったパンと、コップを重ねた水筒が入っていた。
「…どうしよう、ミホバ」
リリアンヌは、潤ませた目をミホバへ向けた。
「こんなに良くしてもらって、どうすればいい?」
「…気になさらないでください。礼など、これだけでは足りません」
「…でも」
「気になさるのでしたら…そうですね」
ミホバは、しばらく考えるように目を伏せた。
「昨日のように、ありがとうと。そうおっしゃっていただけると、嬉しいです」
やがて目を上げ、まっすぐに言った。
「……」
それだけで、いいのだろうか。
でも絶対、お金を渡そうとするのは違う。
ミホバは、そんなことのために手間をかけてくれたわけじゃない。
それなら…できることは、ひとつだ。
「ありがとう、ミホバ」
リリアンヌは、にっこりと笑みを浮かべた。
「とっても嬉しい。みんなで、頂戴します」
「…はい」
ミホバは、ふっと微笑んだ。
「じゃあ、夕方には戻ってこられると思うので、その後、炊き出しのお手伝いに行きますね」
「そう…ですね」
今日は、反対されなかった。
「ミホバ、行ってきます!」
ミホバに手を振り、その場を後にした。
「オレ、持つよ」
「ありがとう」
ビッケはリリアンヌから籠を受け取ると、ひょいと頭の上に乗せた。
「本当に、嬉しいな」
嬉しくて、自然と笑みが出てしまう。
お弁当を持って、聖樹のもとへ向かうなんて。
まるで、ピクニックへ行くみたいだ。
「母ちゃんがこんなことするの…初めてだ」
「え、そうなの?」
「それに、久しぶりに笑ってるところ見た」
「そうなんだ?」
「獣人族は…オレの家族は、あんまり笑わないから」
「ビッケは、よく笑うじゃない」
「…え?」
ビッケは、きょとんと顔を上げた。
「え?」
何か、変なことを言っただろうか。
「オレ…笑ってる?」
「うん…」
昨日も、ビッケの笑顔に救われた。
「そっか…」
ビッケは目を瞬くと、再び顔を前に向けた。
視線の先に、アランフォースとブライアンが立っていた。
今日はもう、ネウロも一緒だ。
「おはようございます」
リリアンヌは、三人のもとまで駆け寄った。
「おはようございます」
「おはよう」
「おはようございます、殿下」
それぞれから返ってきた。
「予定通り、聖樹へ向かいますか?」
「はい。よろしくお願いします」
リリアンヌはアランフォースへ頷くと、ビッケと並んで厩舎の方へ進んでいった。
「ビッケ君、それは?」
ネウロが、ビッケの横から頭の籠を指さした。
「オレたちの昼」
「ビッケのお母様がね、みんなでどうぞってお昼を作ってくれたの」
二人で順に答えた。
「なるほど。それは楽しみですねぇ」
「何か、お返しできるといいのだけど」
「…お母様からしたら、殿下に返しきれない恩があると思いますがね?」
ネウロは、くすっと笑って言った。
「でも、手間暇もかかっているし」
一体、いつ起きて作ってくれたのだろう。
「うわぁぁぁんっ…!」
ふいに、曲がり角の先から泣き声が響いた。
「えっ…!?」
慌てて、声の方へ向かった。
「うっ…うぇぇんっ…!」
道の端で、少女が地面にぺたりと座り込んでいる。
「悪かったって…」
「オレらじゃ、直せねぇよ」
少女の周りでは、獣人族の少年たちが気まずそうに立っていた。
「どうしたの?」
「うわっ!」
獣人族の少年たちが、ぎくりと振り向いた。
「驚かせて、ごめんね。大丈夫?」
急に話しかけて、驚かせてしまった。
「……」
「トウガ、セベル、ニボ。どうしたんだよ」
「あ…ビッケ」
少年たちが、ようやく口を開いた。
「か、かごがっ、こわれちゃったの…っ」
少女が、ひくっと泣きながら答えた。
「かご?」
「トウガがっ、剣をふりまわすから!」
「ろ、ロミが、突然出てくるのが悪いんだろ!」
少女の足元には、おもちゃの剣が転がっている。
その横には、木の実の入った可愛らしい籠が置かれていた。
「ありゃ…刺さっちゃったんだね」
リリアンヌはロミの隣に屈むと、そっと籠を両手で持ち上げた。
取っ手の編み込みがほどけ、ぐらぐらと揺れてしまっている。
少年たちが振り回した剣が、ちょうど刺さってしまったのだろう。
「ああ…大丈夫だ。これくらいなら直せる」
ブライアンも屈むと、リリアンヌの手から籠をひょいと取った。
「えっ、本当?」
「昔、よくやっていた」
そう言うと、ほどけた部分を手早く編み直していった。
ブライアンは、本当に器用だ。
小さな時に作ってくれた花冠を思い出した。
「おお…」
「すげぇ」
少年たちが、ブライアンの後ろから覗き込んだ。
あっという間に、元の形へ戻っていく。
「直る?」
ロミが、ぐずっと鼻をすすった。
「…どうしても、結び目が目立つけどな」
編み直した部分には、少し大きな結び目が残っていた。
「ちょっと、待って」
リリアンヌは肩掛け鞄に手を入れると、替えの髪紐を取り出した。
結び目の上に、髪紐できゅっとリボンを作った。
「こうすれば、目立たないでしょう?」
「うわぁ、かわいいっ!ありがとう!」
ロミが、嬉しそうに籠を受け取った。
「…本当に、王子様とお姫様?」
「…ん?うん、そうだよ」
リリアンヌは、首を傾げる少年に頷いた。
「私のことも知っているのか?」
「うん。母ちゃんたちが、格好いいって、いつも王子様のこと見てたから」
「そうか」
ブライアンが苦笑いを浮かべた。
「…よその人と、喋っちゃ駄目って言われてたんだ」
別の少年が、口を開いた。
「そんなの、言われたことない!」
籠を抱えたロミが叫んだ。
「お前は、人族だからだろ」
「…でも、私たちと喋ってくれたの?」
「だって、院長が、自分で決めろって」
「あと、感謝を伝えろって」
リリアンヌに、少年たちがもじもじと答えた。
「決めて、話してくれたのね?」
「…悪い人に、見えないし」
「助けてくれたって、聞いた」
「ええと、その、感謝を」
さらに顔を俯けた。
「ありがとう」
「え?」
少年たちは、ぱっと顔を上げた。
「私たちと話すって決めてくれて、ありがとう」
リリアンヌは、優しく目を細めた。
この子たちは、ちゃんと自分で考えて決めてくれた。
それが、何よりも嬉しい。
「…それ、精霊?」
トウガが、おずおずとスノウを指さした。
「そうだよ」
「精霊がいるから、精霊みたいなの?」
「何が?」
「お姫様が」
「ええ?」
「絵本に出てくる、お姫さまと王子さまみたいだもん!」
ロミが、きらきらとした目を向けた。
「それは…ありがとう」
ブライアンと目が合って、同じように苦笑した。
「おーとの人たちは、なんでみんな、お顔がきれいなの?」
「おーと?」
どういう意味だろう。
「王都レイセントのことだろう」
「ああ…なるほど…」
また、苦笑いがこぼれた。
確かに、この場にいるみんなは、目を引く容姿をしている。
ただし私は、随分と弱々しい顔になってしまったけれど。
「でも、兵士たちは普通だったぞ」
「オレのじいちゃんに似てる奴もいたし」
「…ふふふっ」
「…リリアンヌ。そこで笑ったら、兵たちが可哀想だ」
ブライアンが、困ったように笑った。
「お、おじいちゃんって…ふふっ…」
一緒に来た兵たちは、みんな若い。
一体、誰のことを言っているのだろう。
「…本当に、人間?」
「え?私が?」
「うん。村の人族と、全然違う。精霊じゃないの?」
少年たちは、不思議そうにリリアンヌを見つめていた。
「人間だよ」
リリアンヌは落ちていたおもちゃの剣を手に取り、立ち上がった。
剣をくるくる回し、宙に放つ――
落ちてくる剣の柄を狙って、ぱしりと掴んだ。
良かった。
まだ、できた。
「…すげ~!」
「なにそれー!」
少年たちが、興奮した声を上げた。
「精霊は、こんなことしないでしょう?」
「すっげぇ!」
「それ、教えて」
「いいよ」
「おい、リリアンヌ。違うだろ」
ビッケから呆れた声が飛んだ。
「…あ、ごめん」
すぐ、道が逸れてしまう。
「ごめんね…これから、出かけてくるの」
リリアンヌは剣をトウガに返しながら、申し訳なさそうに言った。
「まだ、村に滞在しているから。また今度でもいいかな?」
「うん」
「分かった」
「かご、ありがとう!」
子供たちに手を振り、再び厩舎へ向かった。
「…ねぇ、ビッケ。いつも付き合ってくれているけど、お友達と遊ばないの?」
当たり前のように、一緒についてきてくれるけれど。
八歳といえば、遊びたい盛りのはずだ。
今の少年たちとも、歳が近そうだ。
「うん、いいんだ」
「本当?」
「それより、大切なことがあるから」
「大切なこと?」
「そう」
説明は、してくれなさそうだ。
「…いやいや…ええ?」
後ろから戸惑いの声が上がった。
「さすがに、今のは触れるところでしょう?」
「……」
誰も返さなかった。
「ネウロ、どうしたの?」
リリアンヌは、歩きながら振り返った。
「リリアンヌ殿下。どうして、剣を扱えるんです?」
「ああ…」
そういえばネウロとビッケは、私が剣を扱えることを知らない。
「友人に、教えてもらったの」
「まったく、どんな友人ですか」
「…親友」
「ああ…そういうこと」
リリアンヌの小さな声に、ビッケが頷いた。
「ビッケ君、何が、そういうことです?」
「ネウロだって、きっとすぐできるよ」
「…誤魔化しましたね?」
ネウロは目を細め、リリアンヌに顔を向けた。
「いいですよ。いつかきっと、教えてもらいますから」
「剣の回し方を?」
「なんで、そうなるんですか」
ネウロが、くすっと笑った。
話しているうちに、厩舎に辿り着いた。
馬に乗り、門を出たところでアルジャの騎士たちとすれ違った。
「お出かけですか」
先頭にいたイーデンが、声を掛けてきた。
「はい。イーデン隊長たちは、見回りでしょうか?」
お互い、馬の上からの会話だ。
「ええ。今、戻ってきたところです」
「それは、ご苦労様です」
どれほど早起きしたのだろう。
それともまさか、夜通しの見回りだったのだろうか。
「あ…そういえば、イーデン隊長」
ふと、聞きたいことを思い出した。
「なんでしょうか」
「門の修復は、どれくらいで終了しますか?」
「…そうですね」
イーデンの目が、門の方へ向けられた。
門はまだ、開け放たれたままだ。
高く組まれた足場で、村人たちが作業を続けている。
「…早ければ、一週間ほどでしょうか。材料が滞りなく届けばですが」
イーデンは言いながら、リリアンヌに視線を戻した。
「何か、問題でも?」
「あ…いいえ」
奉納祭の件は、確定しているわけじゃない。
自分の口から、余計なことは言わない方がいいだろう。
「思ったより早く直りそうで、良かったです」
「ええ。村の男たちが、総出で取り掛かっておりますから」
イーデンは淡々と返した。
「では、どうぞお気をつけて」
そのまま一礼すると、門の方へ進んでいった。
アルジャの騎士たちと、何人か目が合った。
みんな、同じように逞しい。
ツァガ領には、一体、何人の騎士がいるのだろう。
騎士は兵を率いるものだと思っていたけれど、ここでは事情が違うようだ。
「…リリアンヌ殿下」
「はっ、はい」
アランフォースの低い声に、慌てて前に顔を向けた。
しまった。
アルジャの騎士たちを、凝視しすぎただろうか。
「…先ほどの質問の意図を、お伺いしても?」
「ええと…イーデン隊長への質問ですか?」
「そうです」
「まだ、決まったわけではないのですが…」
アランフォースになら、言ってもいいだろう。
「もしかしたら、奉納祭をやるかもしれないのです」
「…奉納祭?」
「はい。毎年四の月に、聖樹を囲んで宴をして」
「祭りの説明は、不要です。続きをどうぞ」
「…門が直ったら奉納祭を早めてやりたいねと、村の女性たちと昨日、話したのです」
リリアンヌは、小さく口を尖らせて続けた。
「まだ村の人たちは、聖樹が死んでしまったと思っているから…生きているってことを知ってほしいなって」
「……」
後ろを見なくても、アランフォースの眉間に皺が寄っていることが分かる。
「あの…もし実施されるなら、参加したいです」
「…ええ。それは、構いません」
「どれが、駄目?」
勢いのまま、尋ねた。
「昨日の件で言うと、勝手に炊き出しへ向かったことです」
「でも、キリがいたもの」
「キリ殿は…」
アランフォースは、一度口を閉じた。
「…?キリは?」
「…我々が護るべきものは、命だけではありません」
「…はい」
キリの話は、終わったのだろうか。
「他に、何を護るべきか分かりますか?」
質問されてしまった。
「ええと…王族としての立場?」
「それもありますね。他には?」
「……」
リリアンヌは、首を傾げて考え込んだ。
「あっ…狙う人を、近づけない?」
ふと、アランフォースが無言でチャンを退けたことを思い出した。
「それは、護り方の話ですが…」
また、言葉が止まった。
「…それでもいいです。どんな相手かも分からないのに、あなたは、誰とでも躊躇いなく話します」
「誰と話すこと?」
「ですから、誰とでも。村人も、アルジャの騎士も」
「話す時にも、護衛が必要ということ?」
「そうですね」
「……」
よく…分からない。
昨日、今日と話してきて、態度の違いはあるけれど、危険を感じたことは一度もない。
「…キリ殿は、命の危険からは必ずあなたを護ります」
アランフォースは、静かに続けた。
「逆に、それ以外に関しては、あなた同様に疎い。…初日のようなこともあります」
「…?キリは、王族としての立場を護ることには疎いということですか?」
もしかして、ラガーグとの件を言っているのだろうか。
「……」
困らせる気はないのに、また黙ってしまった。
何かを注意しようとしているのだけは、分かる。
「…とにかく。決められた場所から移動されるのなら、必ず私かブライアンをつけてください。そうしていただければ、行動を止めるつもりはありません」
「…はい、分かりました」
理解力がないせいで、まとめられてしまった。
「じゃあ、さっそくですが…戻ったら、炊き出しのお手伝いをしに行きたいです」
「分かりました」
アランフォースは、すぐに頷いた。
「あと…昨日と同様、みんなとご飯を食べたいのですが、いいですか?」
「…いいでしょう。必ず、ブライアンの傍にいてください」
「はい…」
護衛って…すごい。
きっと、私が思っている以上に、アランフォースたちは気を張っている。
それでも…止まる気は、ない。
もうこの村で、遠慮することはやめると決めたのだから。




