恐れていた未来
リリアンヌ視点
――翌々朝
天幕から出たところで、リリアンヌは思いきり体を伸ばした。
「んん~…!」
強張った体が、ぱきぱきとほぐれた。
さすがに四日も寝袋だと、少しつらい。
そういえば、村ではどこに泊まるのだろう。
どこかの建物を借りるのか、それとも、村の近くに天幕を張るのだろうか。
それも、今日着けば分かること――
「あっ…」
外に立つ兵士が、驚いた顔でこちらを見ている。
「…おはよう、テッド」
伸びをしているところを、見られてしまった。
「…おはようございます」
テッドが向き直り、ぺこりと頭を下げた。
「さすがに、まだ陽が出てないね」
「あの、リリアンヌ殿下…まだ、出立までは早いですが」
「そうだね…でも、目が覚めちゃって」
離れた場所で夜番をしている兵士以外、誰も天幕から出てきていない。
「テッドたちは、今日の夜まで眠らないの?」
「ええ。それは、もちろん」
テッドが、辺りを気にしながら答えた。
「…眠くないの?」
「眠くはなりますが、問題ありません」
「昨日の朝も、早起きだったでしょう?」
「訓練で、慣れていますから…」
「…私は、仕事の邪魔をしてる?」
なんだか、テッドはずっとそわそわしている。
「いいえ…!」
テッドは、勢いよく首を振った。
「その…私なんかが話しているところを見られたら、怒られてしまいます」
「えっ、誰に?」
誰が、怒るというのか。
「あ…いえ、まだ誰にも怒られたことはありませんが」
「だって、怒られるようなことはしていないじゃない」
リリアンヌは、おかしそうに笑った。
「そう…でしょうか」
「あ、カイルだ」
離れた場所に立つ兵士が、こちらをじっと見ている。
手を振ったら、勢いよく頭を下げられた。
「…あれ」
カイルの後ろの崖から、キリが降りてきた。
もうすでに、弓矢を背負っている。
キリは、まっすぐにリリアンヌのもとへ向かった。
「キリ、おはよう」
「村から、煙が上がっている」
声が重なった。
「…ん?煙?」
「向かう村から、煙が上がっている」
キリが、もう一度同じ言葉を繰り返した。
「…どういうこと?」
リリアンヌは、訝しげに眉をひそませた。
こんな朝から、何か燃やしているのだろうか。
「…狼煙か」
「わっ」
突然真後ろから聞こえた声に、びくりと肩が強張った。
いつの間にか、アランフォースが背後に立っていた。
「そうだ」
キリが小さく頷いた。
「煙の色は」
「黒だ」
「…黒か」
「アランフォース。すぐに向かいましょう」
ブライアンまで、アランフォースの隣に立っていた。
「今すぐに出立する。全員に伝えろ」
「分かりました…!」
テッドはアランフォースへ頷くと、胸元から笛を取り出した。
――ピィィィーー…ッ!
野営地に、鋭い音が鳴り響く。
すぐに天幕から兵たちが飛び出し、辺りは一気に慌ただしくなった。
「リリアンヌ殿下、すぐに準備をしてください」
「あ、あの…アランフォース…狼煙って、何?」
リリアンヌは、上擦る声で尋ねた。
「黒の煙には…どんな意味があるのですか?」
「……」
アランフォースはちらりと視線を向け、静かに口を開いた。
「…救援を求める合図です」
その言葉に、頭の中が真っ白になった。
「…あ」
…ああ。
やって…しまった。
…また、
ビッケを――
「リリアンヌ殿下」
「…は、はい」
リリアンヌは、はっと思考を止めた。
「まだ、何があったか分かりません。そのために、急ぎ向かう必要があります」
アランフォースが顔を寄せ、言い聞かせるように言った。
「…そ、そうですね」
「早く、ご準備を」
「…分かりました」
こくんと頷き、足を踏み出した。
その瞬間――
――ビュォォ…ッ!
「!」
ふたりのすぐ横に、強い風が吹いた。
何かが、目の前を通り抜けていった。
「い、今のは、何?」
「…ビッケです」
「えっ!?」
慌てて、通り抜けていったものへ目を向けた。
もう、その姿は見えなかった。
「そんなっ…!ビッケひとりで向かったの?」
話が聞こえていたのだろうか。
ビッケは、馬よりも足が速い。
「お、追いかけなきゃ」
「無理です」
咄嗟に踏み出したリリアンヌの腕を、アランフォースが掴んで止めた。
「でも、ひとりじゃ危ない…!」
「分かっています」
アランフォースの視線は、ビッケが駆けた先とは違うところへ向けられていた。
「そんな…ビッケ」
ここからラジャタ村まで、まだ数時間かかる。
…落ち着け。
まだ、何があったか分からない。
まだ、襲撃と決まったわけじゃない。
ふいに――体が、ふわりと持ち上がった。
「わっ…!」
そのまま、視界が一気に高くなった。
気付いたら、ロックに跨っていた。
「オルト、お前たちは後から追ってこい。荷物は任せた」
「了解です、アランフォース様!」
周りでは、兵たちが慌ただしく天幕の撤去を進めている。
馬に乗ったキリとブライアンとネウロが、こちらに向かってきていた。
自分が呆けている間に、全員が動き出していた。
「飛ばします」
アランフォースはそう言って、ロックの腹を強く蹴った。
ロックは小さく嘶くと、一気に駆け出した。
険しい山道を、勢いよく駆け下りていく。
先導するように、キリが前に出た。
後ろからも、二頭の馬の蹄の音が聞こえている。
「あっ…」
ロックが跳ねた反動で、体が浮き上がった。
アランフォースがすぐに腕を回し、リリアンヌを自身の方へ引き寄せた。
「ごめん…なさい」
何も、できない。
「…ビッケ」
アランフォースの腕を、無意識にきつく握りしめた。
獣人族は、強い。
頑丈な門もあるのなら、簡単には侵入もされないはずだ。
けれど、これが山賊による襲撃なら。
もし、“物語”と同じようにリヨラル山脈からやってきた山賊たちなら。
ラジャタ村は――滅びてしまう。
何も起きない。
物語のような未来は訪れない。
そう思っていたはずなのに――
私は、十二の月に間に合うように向かっていた。
心のどこかで、何かあるかもしれないと思っていた。
「お願い…」
どうか、間違いであって。
どうか、違う理由であって。
どうか――
山を抜け、平坦な道を駆けていく。
向かう先からは、ずっと黒い煙が上がっている。
ドォン…ドォン…と、何かを打ちつける音が辺りに響いていた。
開けた景色が続き、やがて、湖が見えてきた。
その先にあるのは――ラジャタ村の門だ。
「うぁ…」
リリアンヌは小さく呻き、顔を歪ませた。
大きな門の前に、襲撃者が群がっている。
襲撃者たちは大槌を使い、ドォォン…ッと門を打ちつけていた。
…多い。
百人はいそうだ。
火がついた矢をつがえ、門の中へ次々と放っている。
上から反撃しているようだけど、返ってくる矢は少ない。
門の向こう側から、煙がいくつも上がっている。
その煙は、狼煙のものだけではなかった。
「…このまま、門まで突っ切ります」
ふいに、耳元で囁かれた。
「えっ…!?」
リリアンヌは、ぎょっと肩をすくませた。
「人数が多すぎます…!」
「まったく問題ありません」
「で、でもっ――」
「…あっ!?おい、あれ!」
「もう援軍が来たのか!?」
門の前にいた襲撃者たちが気付き、一斉に振り返った。
全員、口元を布で覆っている。
「いや、あれは旅人だろ!」
「たった四頭しかいねぇ!」
「仕留めろ!」
襲撃者たちが、こちらに向かって弓を構えた。
「……」
リリアンヌは前へ目を向けたまま、静かに右手を剣の柄に添えた。
あの時とは、違う。
相手は、操られていない襲撃者だ。
躊躇う必要なんて――
柄を握る右手に、そっと手が重ねられた。
「…え」
「あなたが剣を抜くことは…絶対に、あり得ません」
その言葉が落ちた、直後――
無数の光の束が、ふたりの両脇を駆け抜けた。
――ドドドドドドドドドドドドドッ…!!
光の連撃が、襲撃者たちへ容赦なく叩き込まれた。
「ぎゃああ!」
「いてぇ!」
「ぐぁっ…!」
矢を放つ間もなく、次々と地に伏していく。
瞬く間に、立っている者はいなくなった。
「…うそ」
リリアンヌは、ぽかんと口を開けた。
「くそっ…!なんなんだ!」
「やり返っ…ぐあっ!」
立ち上がろうとした者を、キリが矢で素早く射抜いていった。
「ひゅ~…僕の出番は、一切なしですか」
「まだ生きている奴がいる!油断するな」
ブライアンはネウロに向かって叫びながら、再び光の連撃を放った。
アランフォースは、ロックの足を止めることなく、倒れた者たちの間を駆け抜けていった。
「私たちは味方だ!門を開けろ!」
門の上に向かって、叫ぶ。
何も返ってこなかった。
「…っ」
リリアンヌは、じっと門の上に目を向けた。
門番たちが、弓を握ったまま項垂れている。
こちらの様子に、気付いていない。
「アランフォース…!」
「駄目です」
間髪入れずに返ってきた。
「お願い、行かせて!」
リリアンヌは、懇願するように振り返った。
「行かせません」
アランフォースは言いながら、ちらりとキリに視線を向けた。
キリは馬からひらりと降りると、門へ駆けていった。
「私も」
「今、キリ殿が行きました」
「そうじゃなくてっ――」
はっと、言葉を止めた。
足元で倒れていた男が、突然身を起こした。
「…死ねぇぇ!」
男は一気に迫り、リリアンヌめがけて剣を振り下ろした。
アランフォースは、即座に大剣を抜き――
――キィィンッ…!
リリアンヌを庇うように身を乗り出し、男の剣を受け止めた。
「…!」
今だ――
リリアンヌは、馬上で素早く立ち上がった。
「ごめん、ロック…!」
ロックの背を蹴り、門の上へ一気に跳んだ。




