小さなくすぶり
リリアンヌ視点
「リリアンヌ殿下は、なんでもやりますねぇ」
隣に屈むネウロが、しみじみと言った。
「私より、みんなの方がもっと働いているでしょう?」
リリアンヌは鍋をかき混ぜながら、苦笑いを浮かべた。
「僕たちは、慣れっこですからね」
「え?ネウロも慣れっこなの?」
「ええ。僕は、元守衛隊兵ですから」
「…ええっ!」
そんなの、初耳だ。
「そんなに驚くことですか?」
「ええと…だって、ネウロは貴族でしょう?」
しかも、侯爵家の長男だ。
「貴族出身でも、兵士はいますよ」
「兵士から、国専属の鑑定士になったの?」
「そうですね。シリル先生がお辞めになる時に、僕に声が掛かったんです」
「それは、いつの話?」
「一年くらい前の話です」
「ああ、なるほど…」
私が眠りについている間の話だ。
「じゃあネウロは、一年前に守衛隊を辞めたの?」
「正確には、一年と半年ほど前です。辞める直前まで、ジェイソンさんとマークさんと同じ班で働いていました」
ネウロは、この旅についてきてくれている兵の名を並べた。
「それは、すごい偶然だね」
守衛隊は、二千人以上はいるはずだ。
「守衛隊の配置換えは、多いですからねぇ。オルトさんやバッシュさんとも、同じ班になったことがあります」
「へぇ…」
守衛隊の配置換えは、多い。
またひとつ学んだ。
「リリアンヌ殿下…!ごめんなさい」
兵士のひとりが、鍋をかき混ぜるリリアンヌのもとまで駆けてきた。
「僕が交代します」
「コリン、大丈夫。私がよそうから、みんなに配ってくれるかな」
リリアンヌは言いながら、皿にスープをよそっていった。
「まさか、ずっと肉が食べられると思いませんでした」
コリンが嬉しそうに皿を受け取った。
「ビッケとキリのおかげだね」
「ほとんど、キリのおかげだよ」
リリアンヌの前にじっと座っていたビッケが、口を開いた。
「なんで一発で鳥を仕留められるの?」
「…経験の積み重ねだ」
ビッケの隣に座るキリが、少しだけ戸惑って答えた。
「ふふっ…」
リリアンヌは、こっそり笑みをこぼした。
王都を出立してから、八日目の夜を迎えた。
キリとビッケは、すっかり仲良くなった。
ずっと一緒に行動している気がする。
意外な組み合わせだけど、どこか微笑ましい。
「良い匂いがするな」
「!おかえりなさい」
ブライアンが、アランフォースと一緒に戻ってきた。
その後ろから、兵たちも続いてきている。
「見回り、お疲れ様でした」
「ありがとう、リリアンヌ」
ブライアンは皿を受け取ると、そのままリリアンヌの隣に腰を下ろした。
「はい、アランフォース」
「ありがとうございます」
アランフォースはリリアンヌの後ろへ回ると、立ったままスープへ口を付けた。
「リリアンヌ殿下…!代わりますから、どうぞ殿下も食べてください」
コリンの後ろから、別の兵士がやってきた。
「ありがとう、ピーター」
料理は任せて、なんて言っておきながら、大したことはしていない。
キリとビッケが狩ってきた鳥を煮込んでいるくらいだ。
「いただきます」
リリアンヌは手を合わせ、小さく呟いた。
鳥肉がたっぷり入ったスープを、ゆっくり口にした。
「あったまるねぇ…」
とっても美味しい。
「山の中は、冷えるからな」
ブライアンが、ふっと笑って返した。
「…誰も、触れないんですねぇ」
「ん?何か言った?ネウロ」
「いいえ。やっぱりリリアンヌ殿下は、見ていて飽きません」
ネウロがにっこり笑って答えた。
「…ネウロは、どうして守衛隊兵になろうと思ったの?」
ふと、気になった。
「おや。殿下は、僕のことに興味がおありで?」
「…個人的なことを聞いてしまったかな」
「いいえ。もっと聞いてくださって結構ですよ」
ネウロは、ずっと笑みを浮かべている。
「僕は、王都で暮らす婚約者の近くにいるために守衛隊兵になったんです」
「ティナと?」
「あれ?僕、婚約者の名前を言いましたっけ?」
「…うん」
…多分。
「僕はね、どうしても王都に来たかったんです」
「ええと…それは聞いてもいい話?」
「ええ、構いません」
ネウロは表情も変えず、けろりと言った。
「ティナとの結婚を許してもらえそうもなかったので、家を出ました」
「そう…なの?」
ネウロが家族とうまくいってなかったのは、“物語”で知っている。
けれど、婚約者なら親が決めた相手なのではないのだろうか。
「兵士になって五年経った頃に…そうですね、父から領地へ戻ってこいと連絡があったんです」
考えている間に、話が進んでしまった。
「王都で鑑定士になれば、ティナとの関係を認めると言われたんです。そんな話に飛びつかないわけにはいかないでしょう?」
「…うん」
何か、肝心なところを避けている気がする。
「だから、僕は鑑定士になりました」
「…ティナのことが、本当に好きなのね?」
リリアンヌは、そっと確認するように尋ねた。
「ええ。心から愛していますよ」
ネウロは、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ふふっ…」
“デューゼの森の悪夢”を防げて、良かった。
ティナが生きていて、良かった。
「それでですねぇ、殿下、聞いてくださいよ」
「うん、なあに?」
ネウロは、本当によく喋る。
少し離れたところで兵たちが集まり、ぼそぼそと話しているけれど、
こっちの輪は、私とネウロ以外、とても静かだ。
目の前にキリとビッケが並び、いつものように静かにスープを食べている。
二人は仲良しだけど、あまり喋らない。
後ろに立つアランフォースも、そうだ。
みんなと一緒にいる時は、ほとんど話さない。
ブライアンは話を振ることもあるけれど、群を抜いてネウロがよく喋った。
気付けば、つい話し込んでしまう。
ネウロとの話がひと段落したところで、ブライアンが静かに立ち上がった。
「リリアンヌ、そろそろ」
「あっ、はい」
口の中でごちそうさまと呟き、急いで立ち上がった。
「二人とも、皿はそこに置いといて」
「ビッケ、ありがとう」
「助かる」
リリアンヌとブライアンは、鍋の横に食べ終わった皿を重ねた。
「ビッケ君は、今何歳なんです?」
「八歳だけど」
「おや、本当ですか。てっきり、十歳は超えていると思っていましたが」
「獣人族は、成長が早いからじゃない」
ネウロが、今度はビッケと片付けをしながら話している。
それを聞きながら、アランフォースとブライアンと少し離れたところで輪になった。
「明日の旅程ですが、一日かけて山道を登ることになります」
アランフォースが、まず口を開いた。
「空を見る限り、雨は大丈夫そうです」
「今のところ、ずっと晴れていますね」
リリアンヌは、こくんと相槌を打った。
夕食を食べ終わったら、アランフォースとブライアンと三人で翌日の確認をする。
これが日課になった。
…主に、アランフォースから旅程の話を聞くだけで終わるけれど。
ラジャタ村への道のりは、二人に任せきりだ。
「明日もう一度山で野営し、明後日の昼にはラジャタ村へ到着する予定です」
「こんなに周りに村落がないって、珍しいですか?」
もう、二日も町も村も見ていない。
「ええ、この辺りは山が多いですから。村同士が離れているのは、そこまで珍しいことではありません」
「ちなみに、ラジャタ村は他の村より、ドーガ国との国境の方が近い」
ブライアンが、アランフォースに付け足すように言った。
「ドーガ国…」
他国のことは、一通り習っている。
だから聞き覚えがあるのだろうか。
「ラジャタ村の西側にあるリヨラル山脈を越えれば、もうドーガに入る。国境まで、半日で行けるんだ」
「リヨラル山脈…!」
ブライアンの言葉に、はっと声を上げた。
今度こそ、記憶が引っかかった。
「…どうしました?」
アランフォースが静かに尋ねた。
「あ…ええと」
リリアンヌは、慎重に口を開いた。
「…リヨラル山脈には、山賊がいますか?」
「…それが、どうしたんだ?」
今度は、ブライアンが尋ねた。
「…その」
何と言えばいいか…
「…ビッケが攫われた時に、お父様たちとその話をしました」
本当は、ただ人攫い集団としか聞いていないけれど。
リヨラル山脈も、山賊も、どちらも父と兄の口からは出ていない。
「…なるほど。確かに人攫い集団の頭目は、元山賊だった」
「えっ…本当にそうなのですか?」
リリアンヌは、ぎょっとブライアンを見上げた。
「……」
二人から、無言で視線を向けられた。
「…あ」
しまった。
今のは、確実に失言だった。
「…リリアンヌ。何が気になるんだ?」
「…気になることがあるなら、言うべきですよ」
「……」
リリアンヌは、考えるように目を伏せた。
“物語”でラジャタ村を襲ったのは、
リヨラル山脈を根城にしている山賊の一味だった。
リヨラル山脈は、セスランディアとドーガの二国に跨っている。
山賊たちは、情勢が悪化したセスランディアを狙い、ドーガからやってきた。
ラジャタ村は、“デューゼの森の悪夢”で異形の存在に襲われることもなく無事だったのに、
その後、別件で山賊により滅ぼされてしまう。
それが――今年の十二の月の出来事だった。
二日後には、十二の月になる。
デューゼの森の悪夢は、起きていない。
情勢も悪化していないし、そのタイミングで攫われるはずだったビッケも、ここにいる。
だから、物語のような未来はやってこない。
ただの考えすぎだ。
「…お父様から山賊の話を聞いたので、引っかかってしまいました」
それでも、気になるということは伝えるべきだろう。
「私たちが、山賊に襲われる心配をしているのか?」
ブライアンが優しい声で尋ねた。
「…いいえ。それは心配していません」
言われて、気付いた。
私たちだって、山中で襲われる可能性はある。
「気になるなら、馬を急がせますか」
「…え」
リリアンヌは、ぱっと顔を上げた。
「早めに村へ向かいましょう」
アランフォースは、真剣な表情で言い切った。
「…山の道で、馬に負担が掛からないかな」
「気になるのでしょう?」
「…はい」
素直に頷いた。
「では、明朝は早めに出立しましょう。それでいいですか?」
「はい。ありがとうございます、アランフォース」
「…アランフォース、では私がオルトに伝えてきます」
「頼む」
「……」
駆けていくブライアンを、リリアンヌは静かに目で追った。
ブライアンはアランフォースに敬語なのに、アランフォースはなぜかブライアンにため口だ。
「…何か、他に気になることはありますか?」
「あ、いいえ。大丈夫」
リリアンヌは、はっとアランフォースに顔を向けた。
「明日もまた、よろしくお願いします」
ぺこりとお辞儀して、そのまま自分の天幕へ向かった。
天幕へ戻ると、ビッケが入口から顔を覗かせていた。
「どうしたの?」
いつもは中に入り、寝る準備を進めているのに。
「…なんか、心配そうな顔してる」
ビッケが、じっと見つめながら言った。
「ええ?そうかな」
自分の頬に触れながら、入り口をくぐって中へ入った。
「……」
「ね、ビッケ。キリは?」
「…いつも通り、どっか行った」
「そっか」
リリアンヌは、すでに敷かれている寝袋の上に膝を抱えて座った。
スノウが肩から離れ、寝袋の枕の脇に移った。
もう寝るつもりだ。
「…あのね、ビッケ。明日、出発が早くなったの」
スノウに視線を向けながら、ぽつりと口を開いた。
「…どうして?」
「ん~…私の、我儘」
「何が気になるの?」
「…ひとつ、聞きたいんだけど」
リリアンヌは答えず、ちらりとビッケに視線を向けた。
「ビッケが生まれてから、村が山賊に襲われたことってある?」
「…あると思う」
ビッケは、立ったまま頷いた。
「でも、オレまだ小さくて、よく分かんなかった」
「…そっか」
「オレたち獣人族は、人族より強いよ。その時も、誰も怪我しないで追い払ってるはず」
「そうなんだね」
「それに、村は湖に囲まれてる」
「うん、地図で見た」
ラジャタ村の周りは、大きな湖が広がっている。
「頑丈な門を通らなきゃ、村には入れない」
「そうなの?」
「高いし、頑丈。あの門を壊すのは、兵士が百人いても無理」
「百人いても?それはすごいね」
「うん。だから、心配するなよ」
「…うん、そうだね」
ビッケに慰められてしまった。
「ありがとう、ビッケ」
「明日早いなら、準備してもう休もうよ。沸かした湯、そこにあるから」
ビッケは桶と手拭いを指さすと、こちらに背を向けた。
「ありがとう」
リリアンヌは、膝をついたまま桶の前まで移動した。
腰の剣帯を外し、服を脱いでいく。
ビッケはずっと、従者みたいなことをしてくれている。
申し訳ないなと思いつつも、とてもありがたい。
「ここまで、あっという間だったね」
「オレ、初めてアルジャに行った」
ビッケが背中を向けたまま返した。
「栄えていた町だったね」
ラジャタ村が属する、ツァガ領の一番大きな町。
一昨日は、そこの宿に泊まった。
王都とはまた違った賑わいがある町で、たった一泊しかできなかったのが少し残念だった。
「いつか、また一緒に旅したいね」
リリアンヌは、何気なく続けた。
「ビッケとまた、旅したいな」
「オレと一緒に?」
「うん。一緒に旅をすれば、目的が同じだから仲間でしょう?」
「まだ、それ言ってんのかよ」
ビッケは、呆れたように笑った。
「ビッケがいたから…」
わずかに声が震え、言葉を止めた。
そのまま、沈黙が落ちた。
…まだ、考えちゃ駄目だ。
まだ、始まったばかりだ。
「…よし」
リリアンヌは寝間着に腕を通すと、ビッケに目を向けた。
「……」
ビッケは、まだ背を向けていた。
「ね、ビッケ!」
「!」
リリアンヌは、ぎゅっとその背中に飛びついた。
「なんだよ」
「今日は、一緒に寝てくれない?」
「ええ、嫌だよ。暑いし」
「お願い。こうできるのも、あと二日しかないでしょう?」
村に着けば、きっと自分の部屋で過ごすのだろう。
「うう…幸せ」
リリアンヌは、さらにビッケを強く抱きしめた。
相変わらず、抱き心地がいい。
「…暑いよ」
それでもビッケは、手を振りほどかなかった。
「…もう少しだけ」
無理やり王都に連れてこられたビッケにとっては、つらい思い出だったかもしれない。
それでも私にとっては、幸せな時間だった。
頑張り屋で、どこかませていて、私についてきてくれるビッケが、
愛おしくて堪らない。
村に着いたら、いろいろ案内してもらおう。
精霊を見つけるまで、一緒にいてもらおう。
いっぱい、思い出を作ろう。
寂しがるのは、まだ早い。
旅は、始まったばかりなのだから――




