とある精霊の長い夜
村人たちは、代わる代わる隠し部屋に訪れた。
ユーリは、ここへ来るたび書き物をする。
夜には、たまにヒューが泊まっていくこともあった。
そういう時は、イレと一緒に酒を飲み明かした。
緩やかに、時間が過ぎていく。
ただ、イレはまた飛び回ることをやめた。
移動のために飛ぶことはあっても、祭りの時のように舞うことはない。
元気がないわけではない。
力を、蓄えているようだった。
まるで、空を飛べる日が来ることを期待しているように。
しばらく月日が経ち――
「村長、ヒュー…!大変だ」
隠し部屋に、血相を変えた男が飛び込んできた。
「どうした?」
「そんなに慌てて、なんだよ」
テーブルの前に座るユーリとヒューは、不思議そうに顔を上げた。
「今朝、王都で布告が出た。精霊に懸賞金がかかったんだ」
男は息を整える間もなく、言葉を続けた。
「精霊を見つけて連れていった奴には――大金貨五十枚がもらえるらしい」
「大金貨五十枚…!?」
ヒューが、ぎょっと椅子から立ち上がった。
「一生でも使い切れない大金じゃないか!」
「そうだ…王都の奴らは、もうすでに手当たり次第に精霊を探し始めている」
男の目が、ちらりとユーリの肩に向いた。
「この話は…今、村でも持ち切りだ」
「……」
ユーリはイレを隠すように、そっと肩を引いた。
「…まさかお前は、王都にイレを連れて行けと言うのか?」
さらにその前に、ヒューが立ち塞がった。
「違うっ…馬鹿言え、オレはイレを売ったりしない」
男は、慌てて首を振った。
「村の奴らもそうだ。懸賞金の高さに面食らってはいるが、誰も裏切る奴はいねぇよ」
「…そうだな。現実的ではない金額だ。馬鹿らしい」
ユーリは、静かに口を開いた。
「大丈夫だ。私は、みんなを信用している」
「…な、なあ!そうだよな」
男は、ほっとした表情を浮かべた。
「たとえイレを売ってそんな大金を貰っても、後味が悪くって仕方ねぇ」
「…あとで、私からみんなに話をしよう。そう伝えておいてくれるか?」
「ああ、分かった!夜に聖院に集まるよう、伝えておくな!」
男はユーリに頷くと、慌ただしく隠し部屋から出ていった。
足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
「今の表情…あいつ、まさか」
「…やめろ、ヒュー。村の者を疑うな」
「…だけど」
「夜の集まりで、私が説得する。みんなは大丈夫だ」
ユーリは言いながら、徐々に顔を曇らせた。
「だが過去、村に泊まっていった商人の中にはイレの姿を見た者もいる」
「そうだな。見つけたばかりの頃は、イレを隠していなかった」
「…もう、限界かもしれないな」
ユーリは、静かに息を吐いた。
「今夜、みんなの前で説明をしたら――私は、イレを連れてここを出る」
「!?どういうことだ、兄さん」
「元から考えていたんだ。ここは、あまりにも王都に近すぎる。イレにとって、良い場所とは言えない」
「義姉さんや子供たちはどうするんだ?置いていく気か!?」
「…落ち着いたら、迎えに来るつもりだ」
「……」
「…大丈夫だ。息子も、もうすぐ成人するのだから――」
「…いや、兄さん。それは俺の役目だ」
ヒューは、そっと首を振った。
「俺が、イレを連れていく」
「…ヒュー」
「俺は兄さんと違って、独り身だ。どこにでも放浪できる。それに、俺だってずっと考えていた」
ヒューは、真剣な表情で続けた。
「イレを、南の島まで連れていく。戦争のないところで、こいつとのんびり暮らすんだ」
その目には、決意が宿っていた。
しばらく、沈黙が落ちた。
「…二人で、行こう」
やがてユーリは、静かに口を開いた。
「私とお前で、イレを確実に南の島まで連れ出すんだ」
「…だから、兄さんは――」
「私たちは、二人でイレに加護を貰った。お前たちどちらとも、離れる気はない」
「…兄さんは、この領から出たこともないだろ」
「だから無理だと言うのか?私を舐めるなよ。家族のためなら何だってできる」
「…兄さんは、村長なんだぞ」
「言っている場合ではないだろ。イレの危機なんだ」
「…そうだな。その通りだ」
ヒューは、しっかりと頷いた。
「今夜、出て行こう。みんなに気付かれないよう、荷物をまとめるんだ」
「…一度、私たちも上に戻ろう。みんなの様子を確認しなければ」
ユーリは、さっと立ち上がった。
イレはユーリの肩から離れ、樹の窪みに収まった。
「イレ、またあとで迎えに来るからな」
「今のうちに、たくさん寝とけよ」
二人は、慌ただしく隠し部屋から出ていった。
「兄さん、まずは入り口を閉めよう。ここを誰でも入れるようにしたままは、まずい」
「分かっている。夜の集まりも、できる限り早く終わらせよう」
「そうだな。準備することは多くあるから――」
声が遠のき、やがて、ゴゴゴゴ…と入り口の閉まる音が響いた。
イレは、言われた通りに目を閉じた。
そのまま眠りにつき、夜が来るのを待った。
だが――
夜が明けても、地下の扉は開かれなかった。
イレは、何度か閉じられた入り口まで様子を見に行った。
固く閉じられ、その先はわからない。
重い石は音も隠し、何も聞こえない。
ただ、ぷつりと――ひとつの加護が、切れた。
何日経ったか、分からない。
ふいに、入り口の扉が開く音が響いた。
イレは隠し部屋を飛び出し、すぐに入り口まで向かっていった。
入ってきたのは、ユーリだった。
最後に見た時よりもずっと痩せ、顔色も悪い。
イレが肩に乗っても足を止めず、まっすぐ隠し部屋へ入っていった。
「ヒューが、殺されてしまった」
かすれる声が、静かに落ちた。
「たったひとりの密告で…捜索隊や、賞金目当ての者が押しかけた」
ぽつり――
「火も放たれ…火傷で苦しむヒューを、殺した」
ぽつり――
「妻も、息子たちも…何人も、死んだ」
また、言葉が落ちる。
「村は焼けきれ――滅びた」
ユーリの声が、部屋に沈み込む。
「どうして…っ」
――ガンッ…
今度は、机を叩く音が響き渡った。
「どうしてヒューたちが死ななければいけないんだっ…」
――ガンッ…
「どうして金なんかのために、こんな非道なことができるんだっ…」
――ガンッ…
「どうして精霊に、懸賞金などかけたりするんだっ…!」
叩きつける拳からは、血が滲み出ていた。
「精霊は、お前たちのためにいるわけではない!!」
張り裂けるような声が響き――
しんと、静まり返った。
「ホ~…」
「…ごめんな。お前に、こんなことを言いに来たんじゃない」
ユーリは涙を拭うと、中央の樹の前まで進んでいった。
「…ここに」
肩に乗るイレを手に乗せると、優しく窪みの中へ移した。
「今回の件で私のちからが知られ、王家に呼び出されることになった。…王都へ行かなくてはいけない」
言い聞かせるように、ユーリはゆっくりと言葉を続けていく。
「お前を連れて行くことは、絶対にできない」
その声には、覚悟が滲んでいた。
「イレ。私の加護を、解いてくれ」
「…ホ~」
「…しばらくの間だけだ。王都から戻ってきたら、またお前と一緒にいられる」
ユーリは、安心させるように微笑んだ。
「だが、繋がったままだとお前の存在を知られる可能性がある。お願いだ、イレ」
「ホ~」
イレは小さく鳴き、
またひとつの繋がりが、切れた。
「…っ…ごめん」
ユーリは俯き、静かに涙を流した。
「ごめんな、イレ…」
何度も――
「すまない…っ」
何度も、謝罪を繰り返す。
小さく漏れる嗚咽が、静かな部屋によく響いた。
「…必ず、ここに戻ってくるからな」
やがて、ユーリは顔を上げた。
「何年…いや、何十年後かになってしまうかもしれないが。それまで、ここから出てはいけない」
まっすぐな目を、イレに向けた。
「いいか…私以外の誰かが近づいたら、逃げるんだ。絶対に、捕まってはいけない」
イレの中に、その言葉が沈んでいく。
「…ごめんな」
ユーリは最後にまた謝ると、樹から離れ、部屋を後にした。
しばらくして、ゴゴゴゴ…と入り口が閉まり――
そうして、地下は固く閉ざされた。
辺りを、静寂が包む。
何も聞こえない。
ただ、オロバツキの花の入ったランタンがわずかに揺れるばかりだ。
たまにイレは、入り口の近くまで飛んでいった。
だが、やはり何も聞こえない。
またすぐに樹の窪みに戻り、きょろりと目を動かす。
「ホ~…」
イレの声が、そっと響く。
優しい葉の光が、辺りを照らす。
それだけが、イレのすべてだった。
成長した樹が、天井を埋め尽くす。
棚に並べられた書物が、少しずつ朽ちていく。
飲むことのできない酒樽だけが、そのままだ。
何年も。
何十年も。
そして、何百年もの時が流れた。




