とある精霊の住処
再び、時は経ち――
「村長よ。また、あの森に調査隊が入ったんだって?」
「そうみたいだな。森番が報せをくれた」
ユーリは、深刻な表情で男に返した。
「最近、この辺りでよく騎士の姿を見かけるな」
「きっと、デューゼの森の精霊を捕まえ尽くしちまったんだよ」
「しっ…めったなこと言うもんじゃねぇ。どこで聞かれてるか分からんだろ」
村人たちは建物の中に集まり、小さな声で囁き合った。
「兄さん…このままではいずれ、イレも見つかっちまう」
ヒューは、険しい表情で口を開いた。
「どこかに隠し部屋を作っておかないか?」
「隠し部屋だって?なんだか面白そうな響きだな」
「おい、やめろ。ヒューは真剣に言ってんだ」
「兄さんのちからがあれば、入り口は絶対に見つからないだろう?」
ヒューは、村人たちの囁きを無視して言った。
「…この子が可哀想だ。外にも出さず、閉じ込めておくのか?」
ユーリは、そっと肩に乗るイレに目を向けた。
「そんなことを言っている場合じゃないだろ。イレが、王都の人間に見つかる方がまずい」
「だが…どこに作る?」
「村長の家でいいじゃねぇか」
「いや、家の中じゃまずいだろ。それに村長の家なら、お偉いさんが泊まることもあるかもしれねぇ」
「そもそも、イレが飛び回れないような場所じゃ可哀想だ」
「じゃあいっそのこと、小屋を建てるか?」
「馬鹿だなぁ、それじゃ隠し部屋になんねぇって」
村人たちが、わいわいと案を出す。
「…それなら、地下だ」
ヒューが、はっと顔を上げた。
「地下を掘って、イレが満足するくらい大きな住処を作ってやろう」
「そりゃあいい!」
「オレたちも手伝うぜ」
村人たちは、すぐに同意した。
「でも、どこにする?お前ら二人の家の近くがいいだろ」
「そうだな。毎日訪れられるところで」
「外に作ったら、ばればれだ。どっかの建物の中だな」
「それなら、石の床が理想だが…」
「…あっ」
「…聖院だ!」
村人たちの声が揃った。
「儂は賛成だ。聖院に精霊の住処があるなんて、これほど光栄な話はない」
他の村人たちとは違う格好をした老人が、真剣な面持ちで頷いた。
「だが、言うよりやるのは大変だぞ。お前たち、最後まで責任を持てるのか?」
「当たり前だっ!」
「任せろ!」
そうと決まれば、村人たちの行動は早かった。
鐘楼がある大きな建物の中に、男たちはひとつの穴を開けた。
何度も土を運び出し、穴を掘り進めていった。
やがて作業は、村人総出で行われるようになった。
大きく掘られた穴はどんどん整えられ、立派な地下道へと姿を変えていく。
何年もかけ――
「…ようやくできた」
ユーリは、満足そうに頷いた。
聖院の床に敷かれる石板が、ひとつだけずれている。
その隙間からは、深く続く階段が見えていた。
「こうやってはめれば…ほら、床の一部だ」
重そうな石板をはめると、他の床との境目が分からなくなった。
「兄さん、最後にこの入り口を隠さないと」
「ああ、そうだな」
ユーリは屈むと、そっと両手を石板につけた。
「――封じろ」
辺りが、眩い光に包まれた。
光はやがて石板に溶け――消えた。
「…これで、ここは何者にも開けられることはない」
「…なあ、村長。ここに入れんのは、村長とヒューだけか?」
「もう、イレには会えなくなんのか?」
ユーリとヒューの後ろから、村人たちが不安そうに言った。
「安心しろ。普段はここを解放しておく」
ユーリは小さく笑うと、再び石板に触れた。
すぐに、淡く印章のような光が浮かび上がった。
ふっと光は消え――
――ゴゴゴゴゴゴッ…
石の床が、開いた。
「…さあ、イレ。ここが今日からお前の住処だ。入ってごらん」
「ホ~」
イレはユーリの肩から離れ、ゆっくりと階段の上を飛んでいった。
階段は、長く続いている。
入り口から差し込む陽はやがて途絶え、真っ暗になった。
だが、すぐに別の明かりが見えてきた。
道の左右に並べられた花が、ぽつりぽつりと光っている。
「オロバツキの花を植えてある。葉が光るんだ」
後ろから続いていたユーリが、優しく言った。
オロバツキの花の間を抜けると、扉のない入り口が出てきた。
その入り口をくぐると――
「どうだ、広いだろ!」
ヒューの嬉しそうな声が、部屋に響いた。
大きな部屋に、高い天井――
オロバツキの花の入ったランタンには色硝子が施され、優しく部屋を照らしている。
中央には、ユーリほどの背丈の樹が植えられていた。
「まだ何もないけど、いずれ私たちのものも運び入れる予定だ」
イレはユーリの声を聞きながら、まっすぐ樹に向かっていった。
樹の中央に小さな窪みを見つけると、迷いなくその中に収まった。
「ほら、ヒュー。私の言った通りだろう?」
ユーリが、くすくすと笑った。
「その窪みが、イレにちょうどいい大きさだと思ったんだ。気に入ってくれて、良かった」
「ホ~」
イレの足元には、柔らかそうな藁が敷き詰められている。
「この樹も…あと五十年も経てば、天井に届くかもしれないな」
「五十年…俺たち二人とも、八十歳近いな。生きてるかな」
ヒューが苦笑いを浮かべた。
「生きてみせるよ。イレのためにもね」
ユーリは、力強い笑みで返した。
こうして、イレは地下の隠し部屋で暮らすことになった。
部屋には、日ごとに調度品や装飾が増えていった。
テーブルや椅子、大きな棚。
それから少しでも明るいようにと、オロバツキの花がさらに植えられた。
ヒューのちからが込められた酒の樽も運び込まれ、
あっという間に、部屋は生活の気配に満ちた。
「乾杯!」
ジョッキを当てる音が、隠し部屋の中に響いた。
「いやあ、立派な隠し部屋だ」
「オレん家よりでけぇじゃねぇか」
「どの家よりもでけぇよ」
「イレお前、贅沢な家を持っちまったなぁ」
村人たちは、わははっと笑う。
「大変だったけど、ここを造るのは楽しかったな」
「そりゃ、イレのためだもんな。こいつは、まだあと何百年も生きんだ」
「一体、どこまで生きるんだろうな。まさか、不死ってこたぁないだろうが」
「いや、分からんぞ。なんせ精霊だからな」
村人たちが楽しそうに話すのを、ユーリとヒューは、離れたところに座って見守っていた。
「…ったく、毎日のようにここに集まりやがって」
ヒューは、呆れるように苦笑いをこぼした。
「ここはイレの家であって、あいつらの酒場じゃねぇっての」
「いいじゃないか、ヒュー。イレは賑やかな方が好きだ」
「そうだけどさ…」
ヒューは、静かにジョッキを傾けた。
「いっそのこと、俺もここでイレと暮らそうかな」
「お前…また、王都から使いが来ていただろう。今回も断ったのか?」
ユーリは、そっと声をひそめた。
「…ああ。前は王都で働くことも憧れてたけど、今は興味もないな」
「…そうか」
「それに、どうせもうすぐ徴兵される。タッセントとの戦争は、間違いなく今年中に始まるだろ。いや、ドーガが先かもしれないな」
「戦争が起こるから…精霊の捜索隊も増えたのだろう」
ユーリの顔が、一気に険しくなった。
「この隠し部屋が間に合って、本当に良かった。もう、すぐそこまで手は伸びている」
「…つい、隠し部屋なんて思いついてこんな住処を造っちまったけどさ。本当は…どこか遠くにでも逃がしてやるべきだったのかな」
「遠くって、どこだ?この地では、どこでも戦争が行われている。精霊にとって安全な場所などない」
ヒューの言葉に、ユーリは鋭く返した。
「そうだけどさ…ここにいたらイレは、いつまでもひとりきりだ」
「私たちがいる」
「そうじゃなくて、イレには精霊の友達が必要だ」
「精霊の友達、か。お前は、たまに変なことを言う」
ユーリは、ふっと笑みをこぼした。
「だが…そうだな。イレは、楽しいことが大好きだ。友達も欲しいだろう」
二人は、少しだけ成長した樹の窪みに目を向けた。
その中ではイレが、笑い声を上げる村人たちを見つめていた。
「…兄さん、知ってるか?南の海の先には、いくつも島があるんだ」
「え…?ああ、もちろんだ。南の島の果実を、一度父さんが買ってきたこともあっただろう」
「そういうところだったらさ、戦争も関係なしに暮らせるかな」
「お前はまた、突拍子もないことを言い出すな」
「もしかしたら、まだ精霊がたくさんいる島もあるかもしれない」
「ああ…イレの友達の話か」
ユーリは、くすっと笑った。
「見て見たいよな、イレが他の精霊と遊んでる姿」
ヒューは、再び視線をイレに向けた。
「何の気負いもなく空を精霊たちと飛び回れたら、イレはどれほど喜ぶだろうな」
「…戦争が終われば、ここも変わるかもしれない」
ユーリは、静かに返した。
「南の島に行かずとも、そんな未来が来るかもしれない」
「ホ~」
イレは、ふいに兄弟たちの方へ顔を向けた。
「…兄さん、イレが期待しちまったぞ」
「イレ…ごめんな」
ユーリは、悲しそうに微笑んだ。
「いつか必ず、お前が自由に羽ばたける日が来るからな」
寂しそうな声が、静かに部屋へ溶けていった。




