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とある精霊のはじまり



「えっ…精霊?」


聞こえた声に――精霊は、ぱちりと目を開けた。



「兄ちゃん、違うよ。ただのふくろうだよ」


また、違う声が精霊の耳に届いた。



「…いいや。よく見てごらん、ヒュー。光っているだろ?」



「んん…泥だらけで、よく分かんないや」


二人の少年が屈み込み、じっと精霊を見つめていた。


どちらも緑の髪で、お揃いのように後ろで結んでいる。


その髪色が、精霊にとってどこか懐かしかった。



「こんなところで、どうしたんだろう。可哀想に…」

大きい少年が、悲しげに眉を下げた。



「もしかして、王都から逃げてきたのかな。

ほら、この間もいっぱい連れてこられちゃったでしょ」

小さい少年が、兄を見上げて言った。



「ヒュー…あまり、大きな声でその話をしてはいけない」



「集音のちからで、聞かれる?」



「王都からここを通っていく人たちに、どんな特別なちからを持つ者(アニマソムニア)がいるか分からないからな」



「それにしてもこの精霊、光が弱々しいね」



「…きっと、ここまで逃げ延びてきたんだろう」


兄は低く言うと、そっと手を伸ばした。



「ほら…おいで。そこにいては、捕まってしまう」


精霊の前に、手のひらが向けられた。



「……」


精霊は、その場を動かない。


丸い目をくりくりと回し、警戒しているようだ。



「大丈夫だ。お前を傷つけたりしない」

兄が、優しく囁いた。



「一緒に、帰ろう」


その言葉に――精霊は、ぴょんと手のひらに乗った。



兄は精霊の乗った手のひらを、そっと胸元へ寄せた。


ヒューは兄に体を寄せ、精霊にじっと顔を近づけた。



霊拝師(オランス)なら、こいつを元気にできるかな」



「だが、霊拝師は王都にしかいない。あんなところに、精霊は連れてはいけない」

兄は、精霊に目を落としながら首を振った。



「…じゃあ兄ちゃん、オレが試してみていい?」



「お前のちからを使うのか?」



「うん」



「お前のちからは、優しくて温かい。きっと精霊も好きだろう」



「よし…めいっぱい送ってやるからな」


ヒューは、そっと精霊に両手で触れた。


ふわりと、空色の光が精霊を包み込んだ。



温かいものが流れ込み、強張っていた体をゆっくりほどいていく。


精霊は――



「…ホ~!」


歓喜するように羽を広げた。



「…あはっ!」


少年たちは、笑みをこぼした。



「兄ちゃん、元気になったよ!」



「さすがだ、ヒュー」



「光もちょっとだけ明るくなったかな」



「そうだな。お前の“ほどくちから”には、白のちからに近いものがあるのかもしれない」


兄は言いながら、精霊についた土を優しく払った。


精霊は、くすぐったそうに身じろぎした。



「さあ…早く、この精霊を連れて帰ろう」


二人は、ゆっくりと立ち上がった。



少年たちは、周りを気にしながら森の中を進んでいく。


やがて森が途切れ、なだらかな丘へと出てきた。


穏やかな丘がしばらく続き、そのうち村落が現れた。



石と木でできた家々が、緩やかな坂道に沿ってぽつぽつと並んでいる。


女たちは洗濯をしながら話し込み、その近くでは、子供たちが笑いながら駆け回っていた。



坂道の脇には小川が流れ、ところどころに小さな石橋が架っている。


小川の向こう側には、畑が広がっていた。



「お、ユーリとヒューじゃねぇか」


「帰ってきたか!ご苦労だったな」


畑で作業する男たちが、顔を上げた。



「ユーリ、沢の橋はどうだったい?この間の大雨で流されてなかったか?」


「森番の小屋はどうだった?無事か?」



「道はぬかるんでいたけど、橋は無事だった。大丈夫だ」


兄――ユーリは、男たちに答えた。



「小屋は、屋根の端が崩れ落ちてた。父さんに伝えておくよ」



「そうだな、村長に伝えておいてくれ――ん?」


男たちは、ユーリの手元に視線を向けた。



「なんだ、その鳥。ふくろう?」


「はぐれふくろうか?」


「小せぇなあ。まだ、赤ちゃんか」


作業の手を止め、わらわらと集まった。



「いや、違う。精霊だ」



「えっ、これが精霊か?」


「はあ、確かに光ってんなぁ!」


「まだ、この辺りにもいたか」


ユーリの言葉に、わっと男たちが食いついた。



「精霊だって?」


「おや!可愛いねぇ」


「泥が付いているじゃないか。小川で洗ってやりなよ」


小川の方で洗い物をしていた女たちまで、ユーリを囲んだ。



精霊は目を瞬かせ、囲む者たちを見上げている。


こんなに人に囲まれるのは、初めてのようだった。



「だがユーリ、大丈夫か?この間、王都の捜索隊があそこの森まで来てただろ」


「そうだな、見つかったら大変だ。飛んでっちまわないように、気を付けろよ」



「この精霊、あんまり元気がないみたいなんだ。多分、飛べないんだよ」

ヒューが男たちに答えた。



「可哀想になぁ。もしかしたら、王都から逃げてきたかもしれねぇな」


「捕まった精霊は、城の地下に閉じ込められちまうって噂だ」


「こんな子を閉じ込めて、どうするってんだろうねぇ」



「とにかく、家に連れて行こうと思う。通ってもいいかな」


まだ周りで話し込む大人たちに、ユーリが苦笑をこぼした。



「そうだな、村長の家なら安全だ」


「元気になったら、村の中だけでも飛ばせてやれよ」



「分かった、ありがとう」


大人たちに答えながら、ユーリとヒューはさらに坂道を進んでいった。



畑や家々を抜け、小川の小橋を渡っていく。


その先には、石造りの門が構えていた。


門の奥には、ひと際大きな建物が建っている。



大きな弧を描いた入り口の上には、丸い色硝子が埋め込まれている。


高い屋根の上には小さな鐘楼があり、今は、その周りで鳥たちが休んでいた。


他のどの建物よりも立派で、村人が皆集まっても余るほど大きかった。



少年たちはその建物の前を通り過ぎ、隣の家の中へ進んでいった。


ひとつの部屋に入り、ようやく足を止めた。



「…こんな狭いところに、ごめんな」


ユーリは、部屋の隅に置かれたテーブルの上にそっと精霊を置いた。


精霊は、まだ目を瞬かせている。



「泥を拭いてやろう」


手拭いを当てられても、じっとしていた。



「精霊って、こんな大人しいんだね」


ヒューは椅子に座り、頬杖をつきながら兄が精霊を拭くのを見ていた。



「攻撃されて、怪我した人もいるって聞いてたのにね」



「きっと、僕たちに危害を加える気がないと分かっているんだろう。精霊は、聡いからな」


ユーリは手拭いを置くと、まっすぐ精霊に目を向けた。



「あのままではお前は捕まってしまうから、ここまで連れてきた。

今は特に、精霊の捜索隊がこの辺りを巡回しているから危険なんだ」



「…ホ~」

精霊は小さく首を傾げ、ユーリを見上げた。



「しばらくしたら、お前を放してあげられるだろう。…僕の言葉が、通じていればいいんだが」

ユーリは、小さく苦笑いを浮かべた。



「ねぇ、兄ちゃん!この子に名前を付けてあげようよ!」



「精霊は、動物ではない。名付けることは、失礼だ」



「でも…お前じゃあ呼びにくいよ。…セイレイは、どう?」



「ヒュー…それだと、外では絶対に呼べない」



「じゃあ、間の文字を取ってイレ!」



「…イレ、か。少し独特だな」

ユーリは、再び苦笑を浮かべた。



「だが、いい名だ」



「お前は、イレ!今日からよろしくな」

ヒューは、にっこりと笑いかけた。



「ホ~」


精霊は小さく応え――


少年二人を、ふわりと白い光で包んだ。



「…あっ」


「うわわっ」


ユーリとヒューは、驚きで目を丸くした。



「い、今の…」



「…すごいな。この子が何をしたのか、分かった」



「…うん。イレが、オレたちに加護をくれたね」

ヒューの目が、みるみる輝いた。



「すっげぇ兄ちゃん!オレたち、加護を貰っちゃったよ!」



「…そうだな」



「加護を持ってる人なんて、ほんの一握りって聞いたよ!うわ、自慢しちゃお!」



「…いいや。この話は、しない方がいい」


ヒューと違い、ユーリは複雑そうだった。


難しそうな顔を浮かべ、どこか困っている。



「ホ~…」


精霊まで、困ったような表情になった。



「…ああ、ごめん。いや、嬉しいよ。僕たちを好いてくれたんだな」

ユーリは、すぐに笑みを浮かべた。



「お前は、優しい子だな。…ありがとう、イレ」


そうして精霊は――


イレと呼ばれるようになった。



それから少年たちは、イレと毎日を過ごすようになった。



「精霊の寝床はどうしてんだ?添え木、作るか?」


「精霊って、飲み食いはしないんだろ?でも光が弱くて、心配だねぇ」


「ヒュー、お前のちからをいっぱい送ってやれよ」


村人たちは、ユーリとヒューの見つけた精霊を気にかけ、何かと世話を焼いた。



「おっ、今日はヒューの肩にいるのか」


「ユーリ!イレを見せて」


「今日も可愛いねぇ。また、肩に乗るってのがいい」


毎日、代わる代わる村人たちがイレに会いに来た。



「よお、ユーリ、ヒュー、イレ!」


「イレ、見てみろよ。鹿を獲ったんだぜ!でけぇだろ」


「今日も機嫌が良さそうだねぇ、イレは。表情で分かるよ」


そして、いつしか少年たちとイレが一緒にいることが村でも当たり前となった。



時は経ち――



「おーっ!ユーリ、ヒュー、来たか!」


顔を赤らめた男が、近づいた二人に手を上げた。



「おい、おっちゃん。もう酔っぱらってんのか?まだ祭りは始まったばかりだぞ」


青年姿となったヒューが、顔を赤らめた男の隣に腰掛けた。



「けっ、祭りの日くらい飲ませてくれや」


「よお、イレ。今日はユーリの肩の方か」


村の広場にいくつもテーブルが置かれ、村人たちが集まっている。


テーブルには料理が並び、それ以上に酒の注がれたジョッキが目立っていた。



「なあ、ヒュー!オレの酒に、お前のちからを込めてくれよ!」

顔を赤らめた男が、ヒューにジョッキを向けた。



「いいけど…別に、味は変わんないぞ?」



「いいんだよ。お前のちからが入ってるとな、こう…胸が熱くなって、気持ちよくなるんだ」


「そりゃ、酒の飲みすぎだよ」


別の男の言葉に、どっと笑いが起こった。



「とにかくさ、どっか気分よくなって、安心すんだ。頼むよ」



「ははっ…分かったよ」


ヒューは苦笑いをこぼしながら、差し出されたジョッキに触れた。


ジョッキがふわりと空色に光り、すぐに消えた。



「…かぁーっ!やっぱ、うめぇな!体中に染み渡る」


「お前、今日の一口目も同じこと言ってたぞ」


再び笑い声が上がる中で、ヒューは、自分とユーリのジョッキにもちからを送っていた。



「そら、次期村長よ!乾杯の挨拶!」


テーブルの奥から声が飛んできた。



「乾杯も何も…もう、飲んでいるだろう」


ユーリは、困ったように笑って立ち上がった。



「よっ、次期村長!」


「結婚、おめでとう!」


「嫁さんに、尻に敷かれるなよ!」


暖かな拍手と、少しだけ乱暴な声援が送られた。



「…イレが私たちのもとへ来て、十年が経った」

ユーリが、静かに口を開いた。



「イレはもう、私とヒューにとって家族同様だ」



「オレたちにとってもだぞ!」


「そうだ、そうだ!」



「ふっ…そうだな。今では、この村にとっても欠かせない大切な存在だ。

みんなのおかげで、こうしてイレは無事に暮らせている。

王都に知られたら…こうはいかなかっただろう」


ユーリの言葉に、村人たちの表情がわずかに曇った。



「私は、イレを王都へ連れて行きはしない。

イレには、この村で何の憂いもなく生きていってほしい。そのためには、引き続きみんなの協力が必要だ」


村人たちは、うん、うんと頷いている。



「だが…私は心配していない。みんなを、信用している。

今ここにいる全員が寿命でこの世を去ろうが、イレがこの村で平和に暮らしている姿も想像できる」


ユーリの笑みにつられるように、村人たちにも笑顔が広がっていく。



「せめてここだけでも、精霊にとって居心地のよい村であり続けよう。――乾杯」



「乾杯っ!!」


村人たちの声が、村中に響き渡った。



「兄さん、いい挨拶だったぞ」


「ふっ…ありがとう、ヒュー」


兄弟たちは、コンッとジョッキを当て合った。



「…ああ、お前のちからはやっぱり、優しいな」



「イレのおかげだな。毎日使ってたら、ちからも強まった気がするんだ」


ヒューのちからが入った酒を、二人とも美味しそうに飲んでいる。


イレはユーリの肩から、じっと二人のジョッキに目を落とした。



「イレ、お前も飲んでみるか?」



「ヒュー…精霊は飲み食いしない」



「兄さんは、相変わらず固いな。たまには、イレにも楽しい思いをさせてやんないと」


ヒューは、飲んでいたジョッキをイレの前に差し出した。



「ほら、舐めてみろ」


イレは身を乗り出し、ゆっくり酒に口をつけた。



「…ホ~!」


イレは嬉しそうに鳴き、また酒に口をつけた。


身を乗り出しすぎて、ジョッキに顔が突っ込んでしまいそうなほどだった。



「はははっ…気に入ったか!」


ヒューが、おかしそうに笑った。



「毎日でも飲ませてやるからな」



「おい、ヒュー!イレを酒飲みにさせんなよ!」


「いや、そりゃいい!ついでに、オレたちの分の酒にも混ぜておいてくれ!」


また、村人たちから笑い声が上がった。



ふいに、ドンッ、ドンッと、一定の調子で音が響いた。


誰かが、即席の楽器で音を奏でた。



続いて、別の者が歌い出す。


やがて村人たちは席を立ち、踊り出した。



一気に、辺りがいろいろな音で包まれた。


イレは、じっとその様子を見つめていた。



「…イレ、楽しいか?」



「ホ~…!」


イレは返事をすると、ユーリの肩から飛び立ち――



夜空へ、ふわりと舞い上がった。



「おおっ!イレが飛んだぞ!」


「良かった、良かった!」


喜ぶ村人たちの上を、ゆっくりと旋回する。



「イレ、お前も踊ってんのか!」


「楽しいんだろうな」


「イレに続けぇ!」


村人たちは、さらに楽しそうに踊り出した。


イレは、長い間みんなの上を飛び続けた。



夜が更けても、村から笑い声が途絶えることはなかった。



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