出立②
リリアンヌ視点
「ブライアン様、ごめんなさい。お待たせしました」
「…ああ、挨拶は終わったか?行こうか」
ブライアンはアランフォースとキリとの話を切り上げると、それぞれ馬のもとへ向かった。
この場では、珍しい組み合わせだ。
いや、今は三人とも私の護衛だ。
「リリアンヌ殿下…こちらへ」
「はいっ」
すぐに、呼ばれた方へ向かった。
「…ここからロックに乗っていただきます」
アランフォースは、リリアンヌを黒い馬に乗せた。
「ロック、久しぶり」
手を伸ばし、ロックの背をそっと撫でた。
「また、よろしくね」
ロックが、ぶるると一鳴きして応えた。
厩舎から大きな通りへ出たところで、アランフォースが後ろに乗り込んだ。
横に、茶毛の馬に乗るブライアンが並んだ。
目が合うと、優しく微笑んだ。
リリアンヌは大きく身を乗り出し、後ろを覗き込んだ。
すぐ後ろに、ビッケを乗せるキリが続いていた。
その横に、ネウロがいる。
ひらひらと、こちらに手を振った。
兵たちは、少し距離を置いてさらに後ろからついてくるようだ。
「…どうかされましたか?」
「あっ、いいえ…」
慌てて顔を引っ込め、前を向いた。
子供っぽいことをしてしまった。
「…何か、良いことでもありましたか?」
「…良いこと?」
リリアンヌは、きょとんと後ろを見上げた。
思った以上にアランフォースの顔が近くて、どきりとした。
「とても嬉しそうな顔をされているので」
見下ろすその目は、優しかった。
「…私がですか?」
「ええ。昨日よりも嬉しそうです」
「昨日よりも…」
顔を俯け、頬を両手で隠した。
昨日は確かに、ビッケの母が無事と分かったことと、看板ができたことで嬉しかった。
それよりも嬉しそうな顔をしてしまっているのか。
「その…ずっと引っかかっていたことが、解決したので」
「それは、良かったですね」
アランフォースの声も、優しかった。
「…はい。とても安心しました」
良かった。
本当に。
もう、三年も前の話だ。
ザンビア砦でいろいろあって、手紙の件に触れられないまま眠りについた。
起きても、心のどこかで引っかかってはいた。
そういえば…
『いや、あれはアランフォースが悪い』
『アランフォースが悪い。お前は悪くない』
あのレックスの言い方…
私が抜け道の件をアランフォースに伝えようとしていたことを、明らかに知っていた。
『…もしかして、何も聞かれていないのでしょうか』
それに、先ほどのテッドの言葉。
もしかして…アランフォースは、知っていたのだろうか。
私が手紙を出したことを、知っていて…
それが届かなくて――
『怒って…いらっしゃるのでしょうか』
「…!」
リリアンヌは、ぱっと後ろに振り向いた。
「…どうされました?」
アランフォースは、小さく目を瞬かせた。
「怒ってなど、いません」
勢いのままに、きっぱりと言い切った。
「…見れば、分かりますが」
「そのことではなくて。アランフォースに、何も怒っていないです」
「…先日の話でしょうか」
「私は、アランフォースに怒りの感情を持ったことは一度もないです」
「……」
「本当です…」
「…分かりましたから」
アランフォースはリリアンヌの肩をそっと掴み、前を向かせた。
第二城壁の南門を通るところだった。
門番たちが、静かに敬礼している。
「行ってきます」
手を振るリリアンヌに気付いた門番たちが、小さく一礼した。
南門から町へ出るのは、初めてだ。
整備された綺麗な通りで、大きな屋敷が続いている。
とても静かだ。
馬の歩く音だけが響いている。
はたと、もうひとつ思い出した。
ブルックと話さないまま、ラジャタ村へ行くことになってしまった。
準備を進めると言っていたのに、レックスは忘れているのだろうか。
私も…忘れていたけれど。
もう、いまさらだ。
戻ってきたら、また尋ねてみよう。
「…伝えるのは、難しいですね」
静かな声が、そっと耳に届いた。
「私は、言葉が足りない」
「…?何のお話でしょうか」
リリアンヌは、前を見たまま首を傾げた。
「私に、怒ってもいいのです」
「アランフォースに?」
「ええ。思うままに私と接してください」
「…今、すでにそうですけれど」
「もっと、遠慮しないでください」
「それは…」
なかなか、無理難題だ。
「…本当に、うまく伝えられない」
アランフォースの声は、困っているようだった。
何を…伝えたいのだろう。
専属護衛になってから、何度も困った顔をさせてしまっている。
そんな時…何を言っていただろうか。
『そんな窮屈そうになさらないでください』
『私とも、あれくらい話してほしいのですが』
「……」
もしかして、アランフォースは。
「…申し訳ありません。私は護衛として」
「あの、アランフォース」
「…はい」
「アランフォースも、スノウの加護があると…オーリア様から聞きました」
「!…ええ、私も驚きました」
「私たちは…加護仲間、ですね」
「…加護仲間?」
「…その」
リリアンヌは、恥ずかしそうに目を伏せた。
「アランフォースのことは、とても頼りになる仲間だと…思っています」
少しずつ、声が小さくなっていった。
「仲間なら、遠慮しないから…」
どうしよう。
言っていて、恥ずかしくなってきた。
ビッケが言ってやれよと話していたのは、サムとキリのことだ。
手紙の件で安堵して、どこか調子に乗ってしまっている。
「仲間…」
アランフォースが、小さく呟いた。
「…ええと、ごめんなさい。なんでもないです」
「それは困ります」
「っ…」
ぎゅっと、言葉が詰まった。
「そ、そうですよね…騎士様に」
「なんでもないことに、しないでください」
「仲間だなんて…え?」
「仲間…私はあなたに、そう思えていただけているのでしょうか」
「……」
そっと、後ろを見上げた。
「私たちは、仲間ですね?」
アランフォースは、見たことがないほど柔らかく微笑んでいた。
「…はい」
その笑顔が、強く胸を締めつけた。
なぜか、無性に泣きたくなった。
視線を逃がすように、空を見上げた。
白み始めていた空が、明るくなっていく。
今日も、良い天気だ。
第三城壁の南門を、一行が通過した。
第二城壁の南門と比べて、かなり大きい。
門番の守衛隊兵たちが、一斉に敬礼して見送った。
城壁の外へ出ても、まだ建物は続いていた。
大きな煙突のある建物が並んでいる。
どの建物も蔦に覆われ、長い間使われていないようだった。
ふと、反対側へ視線を向けた。
「…!」
レイセント湖が、目の前に広がっていた。
東側から朝陽が昇り、水面をきらきらと輝かせている。
息を呑むほど、美しい風景だった。
「…リリアンヌ」
「はぇっ…はい…!」
不意打ちの呼び捨てに、ぴっと背筋が伸びた。
「旅路は長いです。どうぞ、もっと楽にしてください」
アランフォースが、優しく耳元で囁いた。
「十分…楽にしています」
その証拠に、別のことを考えていた。
「前回のように、寝ていても構いません」
「…八歳の時のことを、言っていますね?」
異形の存在の初討伐の帰り道。
ずっと眠っていて、あまり覚えていないけれど…
アランフォースに、背を預けていた記憶はある。
我ながら…よくあんなことができた。
「あの時も、この道を通りました」
「あ…そうですね」
リリアンヌは、もう一度湖へ目を向けた。
あの時はマントをかぶっていて、どの門から出たのかも分からなかった。
それでも、この景色だけは覚えている。
けれど――
「…不思議ですね」
後ろから、ぽつりと声が落ちた。
「何がでしょうか?」
「あの時とは、どこか景色が違って見えます」
「…!」
「…すみません、うまく説明できませんが」
ふっと笑う気配が、耳をかすめた。
「いいえ。私も、同じことを思っていました」
リリアンヌは湖を見つめたまま、小さく笑った。
「あの時とは…まるで違う」
あの頃には、想像もできなかった――
初めて、自分のために決めた旅。
物語と比べる必要はないけれど…
結局、みんなと旅に出ることになった。
それが嬉しくもあり、少しだけ怖くもある。
…それでも。
やっと、始まった気がする。
『精霊の申し子とセスランディア王国の物語は――いま、始まった』
あの物語のような、大仰なものではないけれど。
私自身の物語が、
ようやく動き出した。
第十二章・完




