出立①
リリアンヌ視点
まだ陽が昇りきらない時間に、ビッケと一緒に自室を後にした。
白い上衣に、焦げ茶のズボン。
特注のマントと靴は、まだ少し着慣れない。
背嚢も、なんだかんだで大きく膨らんでいる。
「…えっ」
玄関広間へ繋がる階段で、リリアンヌは思わず足を止めた。
使用人が、玄関広間にずらりと並んでいた。
こんなこと、初めてだ。
ステファンが、端で苦笑いを浮かべている。
「ビッケ…お別れなんて、寂しい」
使用人歴の長いスーザンが、一番最初に口を開いた。
その目は、潤んでいる。
「ビッケ…私のこと、忘れないでくださいね」
モアナが続いて、ビッケの手を固く握った。
「これ、餞別だ。旅の途中で食えよ」
料理人のタナーが、ビッケに大きな袋を手渡した。
随分と、仲良くなっている。
一応…私も、今日から旅立つのだけれども。
「……」
リリアンヌは家令の隣へ並び、ビッケと使用人たちが挨拶するのを見守った。
「お嬢様…奥様とは、ご挨拶はお済みで?」
ステファンが、そっと尋ねた。
「ええ、昨夜のうちに…。戻ってきたら、今度はお茶会に参加しましょうって言われちゃった」
「ふふ…せっかく再教育をなさいましたからね。旅の間に、また忘れないようお気を付けください」
「…頑張ります」
多分…無理だ。
「お嬢様、お気を付けて行ってらっしゃい」
使用人たちは一通り挨拶を終えると、はっと思い出したようにお辞儀した。
「みんな、お母様のことよろしくね」
気を取り直し、ステファンの開ける扉をくぐっていった。
「おはよう、キリ」
「おはよう」
屋敷の上から降ってきたキリに、リリアンヌとビッケは歩きながら挨拶した。
キリは、いつも荷物が少ない。
今日は、その背に久しぶりの弓矢があった。
「…!」
リリアンヌは、はっと前に顔を向けた。
門の前に立つアランフォースに、一瞬で目が釘付けになった。
軍服でも、町民のような服でもない。
旅用の黒い服に、黒いマント。
背中には、いつもの大剣を背負っている。
“物語”と、まったく同じ格好だ。
「おはようございます、リリアンヌ殿下」
「あっ…おはようございます」
慌ててアランフォースにお辞儀して、足を進ませた。
門番たちに挨拶して、厩舎までみんなで歩いて向かった。
そういえば…ネウロとは、どこで合流するのだろう。
出立の日にちは、アランフォースを通して伝えてもらっている。
それに結局、もうひとりの護衛のことについても聞けていない。
国王直属騎士団じゃないなら、守衛隊の騎士だろうか。
準備万端だと思っていても、あとから思い出すことがいくらでもある。
ついてきてくれる守衛隊の十人の兵たちとも、今日が初顔合わせだ。
厩舎に着くと、濃緑のマントを羽織った人たちが馬を引いていた。
彼らが、ついてきてくれる兵たちなのだろう。
マントの色が違うネウロに、すぐ気付いた。
ゆったりと布を重ねた異国風の長衣に、濃青のマントを羽織っている。
背中には、大きな槍が掛けられている。
柄の部分が青く、彼の瞳の色とお揃いだった。
…ネウロも、物語と同じ装いだ。
「おはようございます、リリアンヌ殿下」
ネウロはこちらに気付くと、笑顔でやってきた。
「おはようございます、ネウロ」
「今回は、僕の我儘を聞いてくださって本当にありがとうございます」
「いいえ。私も、ネウロと一緒に行けることを楽しみにしていたから」
「一番後ろからついて行きますので、どうぞ、僕はいないものと思ってください」
「えっ?」
「え?」
目を丸くしたリリアンヌに、ネウロはきょとんと目を瞬いた。
「ええと…せっかく一緒に行くのだから、どうぞ近くにいらしてください」
どういう配置で行くのかは、まだ分からないけれど。
「そうですか。では、遠慮なくそうさせてもらいましょうかね」
ネウロはにっこり笑うと、兵たちの方へ向かっていった。
何か話している。
もう、仲良くなったのだろうか。
「リリアンヌ」
「えっ…」
いるはずのない人物の声が聞こえ、慌てて振り返った。
「おはよう、リリアンヌ」
「ブライアン様…!?」
首まで詰まった黒い上衣に、焦げ茶のマント。
なぜか、旅用の装いだ。
「…その驚き方を見ると、聞いていないな?」
ブライアンが、苦笑しながら言った。
「え…何をですか?」
「私も、行くよ」
「どこに?」
「君の旅に」
「ブライアン様が?」
「私も、護衛のひとりとして君と行く」
「…ええっ!」
ブライアンが、一緒に?
「そんなっ、それじゃあ…」
それじゃあ――
物語の仲間が、揃ってしまった。
“マドカ”以外の。
「…今度こそ、君を護れる」
ブライアンの声が、わずかに硬くなった。
「そういうことではなくて…」
リリアンヌは驚き顔のまま、ゆっくりと首を振った。
「ブライアン様は、王太子です」
「君だって、王族だ」
「…王族を、王太子が護衛してくれるのですか?」
「…そうなるな?」
なぜか、疑問で返された。
「…ふふっ…それは、贅沢ですね」
自分で言って、おかしかった。
「…どうか、私を受け入れてくれないだろうか」
「ブライアン様。とても心強いです。どうぞよろしくお願いします」
リリアンヌはにっこり笑い、深々と頭を下げた。
一緒に行くのなら、これほど頼もしいことはない。
「こちらこそだ」
ブライアンは、ふっと優しい笑みを浮かべた。
「荷物を預けたら、もう行こう」
そう言って、馬の方へ向かっていった。
入れ違いに、兵士のひとりがこちらへやってきた。
「リリアンヌ殿下、荷物をお預かりします」
「あっ、はい…」
はっと、背嚢を下ろした。
「ええと…これです」
「お預かりさせていただきます」
「…あの」
荷物を受け取った兵士を、リリアンヌはそっと呼び止めた。
「はい、なんでしょうか」
「あの、お名前をお聞きしてもいいでしょうか?」
「…私の?」
兵士は、きょとんと目を丸くした。
「ええ。これから、長いお付き合いになるから」
往復だけでも、二十日近く一緒にいることになる。
「…私は、副班長のバッシュと申します」
バッシュは、丁寧に一礼しながら名乗った。
真面目で、優しそうだ。
「バッシュ…さん」
「どうぞ、バッシュとお呼びください。敬語も不要です」
「ええと、バッシュ。班長はどちらにいるかな?」
「…あちらに」
バッシュは苦い顔を浮かべ、後ろへ振り向いた。
その視線の先では、兵士が二人、積み上げられた荷物の前で屈んでいた。
「お前なぁ…気持ちは分かるけど、生肉を持ってくるなよ」
「だって、遠征の時のご飯、美味しくないんですもん」
「そりゃそうだけど。どうすんだよ、これ」
「焼けば、食べられるじゃないですか」
「あのなぁ、保存ってもんが――」
「…オルト班長」
「あん?…あっ、リリアンヌ殿下!」
振り返った兵士は、慌てて立ち上がった。
「…彼が、班長のオルトです」
「オルト。遠征中は、どうぞよろしくお願いします」
リリアンヌはバッシュが指した兵士へ向かい、ぺこりと挨拶した。
「はっ!…ええと、私はオルトと申しまして」
「もう、伝えた」
「あっ、そうか…ええ…こ、こちらこそ、よろしくお願いします!」
オルトは、勢いよく頭を下げた。
周りの兵たちが手を止め、一斉にリリアンヌたちへ視線を向けた。
「よ、よろしく…」
声も仕草も大きい、とても元気な班長だ。
「リリアンヌ殿下。僕は、コリンって言います」
オルトと話していた兵士が、にこにこと挨拶した。
明るくて、人懐っこそうだ。
「コリン。生肉は、今日中に食べちゃおうね」
リリアンヌは、くすっと返した。
「ええっ…!そうしたら、明日からどうするんですか!」
「お前…!」
オルトが、コリンの背中をばしりと叩いた。
「う~ん…それは、なんとかなるかも?」
「どういうことですか?」
叩かれたコリンは、気にしていないようだった。
「料理は、任せて」
「ええ?」
オルトとコリンは同時に首を傾げた。
「バッシュ。せっかくだから、みんなに挨拶をしたいな」
リリアンヌは答えず、バッシュに顔を向けた。
「…兵たちにですか?」
「ええ、そう」
オルトの大声により、全員が振り向いている。
今なら、邪魔にもならないだろう。
「では…簡単に」
バッシュが、左側から手を向けていった。
「左から、ドュニ、ピーター」
穏やかな顔つきの二人が、頭をぺこりと下げた。
ピーターは、ネウロと歳が近そうだ。
ドュニは、まだあどけなさが残っている。
「それから、ジェイソン、マーク」
さらに横の二人が、頭を下げた。
ジェイソンは、騎士と見間違えるくらい逞しい。
対照的に、マークはひょろりと細身だ。
「あと、テッド、トウマ、カイルです」
三人の若い兵士が、一斉に頭を下げた。
青髪、黄髪、赤髪で、なんだか前世を思い出す並びだ。
「…んん?」
リリアンヌは、そのうちの二人へじっと目を向けた。
「…!」
目を向けられた二人は、びくりと肩を強張らせた。
見覚えのある兵士がいる。
どこかで…
第二城壁内で、すれ違いでもしただろうか。
「リリアンヌ。満足したか?」
後ろからブライアンの声が飛んできた。
「あっ…はい…!」
しまった。
もう、私以外はとっくに準備が終わっている。
「ええと…皆さん、遠征の間はどうぞよろしくお願いします」
兵たちへ挨拶すると、慌ててブライアンの方へ足を向けた。
「あ、あの…!」
「えっ?」
すぐに呼び止められた。
青髪のテッドに、赤髪のカイル。
見覚えのあった二人だった。
「どうしたの?」
「その…あの時は、本当に申し訳ありませんでした」
カイルが、おずおずと切り出した。
「…あの時?」
あの時とは、どの時だろう。
「…三年前、リリアンヌ殿下が手紙を託されたのは、我々です」
「…ああ!」
テッドに言われて、思い出した。
アランフォースを呼びたくて書いた手紙を、巡回していた守衛隊に託した。
だから、見覚えがあったのか。
「二人とも、あの時は」
「本当に、申し訳ありませんでした…!」
二人が、勢いよく頭を下げた。
「…ええと?」
なぜ、謝られたのだろう。
「…もしかして、何も聞かれていないのでしょうか」
テッドは顔を上げ、慎重に尋ねた。
「…何を?」
「我々が…アランフォース様に、手紙を渡し損ねたことをです」
「えっ…!そうだったの?」
「言い訳はしません。本当に、申し訳ありませんでした」
再び、二人が頭を下げた。
あの手紙は――
アランフォースに、届いていなかった。
「その…もし、我々がこの遠征について行くことが不快でしたら――」
「…良かったぁ」
「…は?」
「良かった…?」
テッドとカイルは、きょとんと顔を上げた。
「そういうことだったの…」
リリアンヌは、安堵の笑みを浮かべた。
アランフォースに、無視をされたわけではなかった。
「……」
「あれは、私が間違えたの。こちらこそ、守衛隊の方にあんなことお願いして、ごめんなさい」
驚いている二人に、ぺこりと謝った。
「…我々に、罰は」
テッドは、戸惑うように尋ねた。
「罰?…あ、もしかして、そのことを気にして遠征についてきてくれたのかな?」
「違います」
二人は、声を揃えて即答した。
「それなら、もう気にしないで」
リリアンヌは、にこっと笑って答えた。
「テッド、カイル。これからよろしくね」
二人に手を振り、ようやくブライアンのもとへ向かった。




