兄の小さな変化②
サイラス視点
エラドリオール邸まで、あえて通りの端を歩いて向かった。
道の端に植えられる樹の下を進んでいく。
「…!」
屋敷の東側から現れたいくつかの人影に、サイラスは咄嗟に樹の陰に隠れた。
「また、お土産たくさん貰っちゃったね」
人影の中から、愛する妹の声が聞こえた。
「どうしよう…お腹いっぱいで、夕食を食べられる気がしないや」
「……」
サイラスは樹の陰から顔を覗かせ、リリアンヌへ目を向けた。
「ニアに、なんて言い訳しようかな」
「中央市場で食ってきたって言えばいいだろ」
リリアンヌの右隣で、マントをかぶった子供が答えた。
あれは、獣人族のガキだ。
リリアンヌの左側には、エルフが並んでいる。
その後ろには、嫌でも目立つ護衛が私服でついていた。
「あっ、そうだね…!じゃあお願い、ビッケも話を合わせて」
リリアンヌは、ぱんっと両手を胸の前で揃えた。
「何を食べたことにしようか。甘いお菓子にしたら、ニアに食いつかれそう」
「その前に、その格好で市場をうろついたのかって小言が飛んできそうだけど」
「あっ、またビッケ、難しい言葉を覚えてる」
可愛らしい顔で、笑いかけている。
「…?」
サイラスは、ふと眉をひそませた。
なぜ、東側から現れた?
リリアンヌたちが来た方角には、何もない。
正確には、森の先に第二城壁しかないはずだ。
「ただいま帰りました…!」
「お帰りなさい、お嬢様」
「今日はお早いですね」
門番たちまで、妹に声を掛けている。
随分と馴れ馴れしい。
「アランフォース、今日もありがとうございました」
門を入ったところで、リリアンヌは足を止めて振り返った。
「今日もいろいろと付き合わせてしまって、ごめんなさい」
「…いいえ。自由になさってくださいと話したはずです」
「そう…ですね。あの、アランフォース。明日もまた、サムの――」
「リリアンヌ殿下」
アランフォースが、素早くリリアンヌの言葉を遮った。
「それ以上は、結構です」
「?…分かりました」
「明日、また同じ時間に参ります」
「はい…また明日、よろしくお願いします」
リリアンヌは首を傾げながらお辞儀すると、離れて待つエルフたちのもとへ向かった。
獣人族の子と話しながら、屋敷へ入っていく。
「ご苦労様でした」
門番たちは、出ていくアランフォースに敬礼をしてゆっくりと門を閉めた。
アランフォースは、迷いなくサイラスの隠れる樹へ歩み寄った。
「…屋敷に入られないのですか」
「サムとは、誰だ」
サイラスは、樹の陰から姿を現した。
「リリアンヌ殿下の個人的なことを話すわけにはいきません」
アランフォースがすぐに答えた。
「なぜ、東側から来た」
「それも教えられません」
「……」
サイラスは目を細め、アランフォースを睨みつけた。
サムか…
どこかで、その名を――
「気になるなら、本人に直接聞けばいいでしょう」
「馬鹿野郎。そんなことをしては、妹に嫌われてしまうだろう」
妹の前では、良き理解者の兄でいたい。
こんな、つきまとうようなことをしていると知られたくない。
「…そろそろ、失礼します」
やがて、アランフォースは諦めたように口を開いた。
「まだ働くのか?」
「訓練場に行きます。まだ同僚がいるはずですから」
一礼すると、その場から去っていった。
「……」
サイラスは、去っていくアランフォースの背を目で追った。
たった数分で…リリアンヌに関して知らないことが次々と増えた。
屋敷の東側から帰ってきたこと、
中央市場以外で誰に土産を貰ったのか、
あんな砕けた言葉遣いをどこで覚えたのか、
サムというのが何者なのか。
何も、知らない。
すべて、調べ上げておきたい。
妹に関わることを、知らずにいるなど耐えられない。
だが――
サイラスは、先を行く騎士を追いかけた。
「アランフォース」
「……」
アランフォースは足を止め、無言で振り返った。
「ひとつ、お前に伝えておくことがある」
「…なんでしょう」
「先日、獣人族の子を攫った一味を捕らえた。その話を聞いているか?」
「ええ、もちろんです」
「そいつらは獣人族の子を捕まえるために、リザリの葉の神経毒を使った」
「そちらも聞いておりますが」
「人攫いの頭目は、ドーガ国側のリヨラル山脈に根城を置く山賊の元一味だった」
「…リヨラル山脈?」
アランフォースは、わずかに目を細めた。
「そうだ。ラジャタ村から半日で行けるあの山脈だ。そこの山賊どもが、リザリの葉を集めている…この意味が分かるか」
「…獣人族を襲う気か」
低い声が落ちた。
「俺は、そう予測した。その山賊どもが、すでにドーガから侵入している可能性がある」
サイラスは頷いた。
「ナイジェル隊長がその件について、つい先ほど陛下へ報告に向かった。
場合によっては、陛下より妹の旅程の変更を申し出るかもしれない」
「それはないでしょう」
アランフォースは即答した。
「…あ?」
「リリアンヌ殿下の希望がある限り、旅程をずらすことはない」
「……」
「陛下も、同じ判断をするはずです」
「……」
サイラスは露骨に顔をしかめ、アランフォースを睨みつけた。
本当に、腹立たしい。
男どもが、妹について語ることさえ腹立たしい。
「サイラス殿下、ご報告感謝いたします」
アランフォースは、構わずに続けた。
「旅路は、十分に気を付けます」
「…待て」
去ろうとするアランフォースを、サイラスは鋭く呼び止めた。
「リリィに…二度と、剣を持たせるなよ」
怒りを宿した目を、まっすぐにぶつけた。
「当たり前です」
アランフォースは、きっぱりと返した。
「妹に何かあったら、お前の右腕を斬り落としてやるからな」
「…お好きにどうぞ」
「死ぬ気で、護れよ」
「言われずとも」
「……」
もっと、言ってやりたいが。
「…リリィの意思を、尊重しろ」
とにかく、一番はそれだ。
「その上で、お前らが護れ」
サイラスは言い切ると、返事を待たずにその場を後にした。
そのまま、エラドリオール邸から離れていった。
分かっている。
リリアンヌの人生に、いつまでも過保護な家族はいらない。
俺もまた、来年になれば結婚する。
そのことを、まだ妹に伝えられもしていない。
妹に関して知らないことがあるのも、
勝手に周りに男どもが増えていくことも、
俺の手の届かないところまで行ってしまうことも、不満だが。
あれだけ、笑っていてくれるのなら。
心から楽しそうにしているのなら。
それが、何よりも嬉しい。
リリアンヌが旅から戻ってきたら、結婚のことを伝えよう。
彼女のことだから、驚きつつも喜ぶのだろう。
戻ってきたら、たくさん話そう。
自分の話をして…それから、旅の話を聞こう。
俺も、楽しみにしているのだから。
あの、小さな戦士の物語を。




