兄の小さな変化①
サイラス視点
「ご苦労様です」
「……」
サイラスは見張り兵たちの間を無言で通り抜け、地下の階段を下りていった。
心許ないランタンの灯りが、より陰気な空気を醸し出している。
「!サイラス殿下、ご苦労様です」
階段の下に立つ兵が、最敬礼を向けた。
「ここで、その名を呼ぶな」
「…はっ!失礼いたしました」
兵の謝罪を背に受け、サイラスは暗い廊下を進んでいった。
壁際には、延々と牢屋が並んでいる。
「騎士さんよぉ…オレ、悪いことしてねぇよ」
牢の中から、ぬっと手が伸びた。
「出してくれよぉぉ!」
別の牢では、ガシャン、ガシャンッと檻を揺らす音が響いている。
サイラスは無視しながら廊下の奥まで進み、ひとつの牢屋の前で足を止めた。
牢の中の男は、左右の壁へ伸びる鎖に両手を繋がれ、両足を投げ出して座っていた。
「…おい、その綺麗な顔。見たことあるぞ。てめぇ、国のイヌだったのか」
男はぎりっと歯を食いしばり、サイラスを睨みつけた。
「ここから出たら、覚えてろよ」
「安心しろ。お前が地上に出ることは、二度とない」
サイラスは鍵を開け、躊躇いなく牢の中へ足を踏み入れた。
「オウラ。お前に聞きたいことがある」
「言うかよ、馬鹿野郎」
オウラは、サイラスの足元に向かってぺっと唾を吐いた。
――ゴッ…!
「ごぁっ!」
躊躇いのない蹴りが、オウラの顔面にめり込んだ。
「ぐ…ぁぁっ…!」
鼻が潰れ、ぱたたっと血が垂れた。
「俺の機嫌が良いうちに、口を開くことを勧める」
サイラスは、何事もなかったかのようにオウラを見下ろした。
「お前は、リザリの葉の神経毒を使い、獣人族のガキを攫ったな」
「ぐっ…くそっ」
「誰の入れ知恵だ」
「…さぁな」
「依頼された貴族に教えてもらったのか」
「お貴族様は、そんなこと知らねぇだろ」
オウラは、はっと馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「ということは、お前の前の仲間たちか?」
「……」
「そうなんだな」
呆れるほど、分かりやすい。
「…それを知って、どうするってんだよ」
「最近、なぜかリザリの葉を高く買い取る集団がいてな」
サイラスは、淡々と答えた。
「その集団が、お前の属していた山賊一味と繋がっていた」
「それが、なんだよ」
「そんなにリザリの葉を集めて、一体何をする気だ?」
「知らねぇ。オレはもう、とっくに抜けてる」
「山賊を抜けるのは、そんなに簡単なことなのか?」
「……」
「お前は…試したんだろう?」
サイラスは、黙り込んだオウラへ顔を近づけた。
「リザリの葉の神経毒が本当に獣人族に効くか…ガキで、試したんじゃねぇのか」
「…知るか。ばーか」
――シュッ…!
鋭い音だけが、静かに響き渡った。
「…てぇぇぇっ!」
オウラの左耳が裂け、ぶしゅっと血が噴き出した。
「俺は、まだ機嫌が良い」
サイラスは指先でナイフを回し、刃先をオウラの右耳へ向けた。
「もうひとつ、無事な耳があるな」
「このやろぉぉっ…!」
「リザリの葉の神経毒は、獣人族に効いたな」
サイラスは、構わずに続けた。
「次は、獣人族がいる村でも襲う気か?」
「しっ、知らねぇって!本当に!」
――シュッ…!
再び鋭い音が響き、オウラの右親指が、ぽとりと落ちた。
「…ぐぁぁぁっ!」
「ああ…悪い。右耳の約束だったな」
サイラスは、悪びれる様子もなく言った。
「山賊どもが、リザリの葉を大量に集めてんのは事実だ!本当に、そこまでしか知らねぇ!」
オウラは、息も絶え絶えに叫んだ。
「神経毒は、確かにそいつらに貰った!それを使って獣人族を攫ってみろと言われた!本当にそれだけだ!」
「…勝手なことをするな」
冷えるような声が、背中から聞こえた。
「ちっ…もう、ばれたか」
サイラスは小さく舌打ちすると、静かにナイフをしまった。
「今すぐ出てこい」
ナイジェルが、牢の外からサイラスを睨みつけていた。
「手当してやれ」
「はっ」
兵たちが、サイラスと入れ違いに牢の中へ入っていった。
「お前は、なぜ勝手に動く。死んだらどうする気だ」
「耳と指を切ったくらいでは、死にませんよ」
サイラスは牢から出ながら、平然と答えた。
「捕らえる際に、半殺しにしたお前が口にする言葉ではないな」
ナイジェルは、深い溜息をついた。
「攫われたのは獣人族だけではない。まだ、奴には聞きたいことが山ほどある」
「もし神経毒を獣人族に使う気なら、ラジャタ村が襲撃される可能性があります」
愛しの妹が向かおうとしている村だ。
「お前な…気持ちは分かるが、やり方が間違っているだろう」
「もう、妹が旅立つまで一週間もありません」
法に則って、ゆっくりやっている場合ではない。
「…もう、いい。この件は私に任せろ」
「なぜですか!」
監獄内ということも忘れ、サイラスは声を張り上げた。
「……」
ナイジェルはサイラスを睨みつけると、無言で天井を指さした。
続きは、監獄を出てからということだろう。
二人は無言のまま、地上への階段を上がっていった。
「私から、陛下に伝えておく」
地上へ戻るなり、ナイジェルが口を開いた。
「私も同行します」
サイラスは間髪入れずに返した。
「駄目だ」
「ナイジェル隊長。私の、妹の件なのですよ」
「サイラス。お前が今任されている仕事は、何だ?」
「人攫いの残党がいないか、六塔付近で引き続き捜査をすることです」
「分かっているじゃないか」
ナイジェルは、渋い顔を浮かべたまま歩き出した。
「お前は人攫いの一味を捕縛した後、勝手に一日休んだ。反省しているなら、任務に励め」
「……」
反省は、していない。
そのおかげで、リリアンヌと二人きりでデートができた。
「それに、リリアンヌ殿下には護衛がつくだろう。…あと、エルフもいるな」
「あいつらに、何ができると言うのです」
サイラスは、むっと口調を荒げた。
「少なくとも、興奮しているお前よりは何倍も頼りになる」
「心外です」
興奮は、していない。
リリアンヌとデートができたことで、機嫌が良いだけだ。
「そう思うなら、部下たちを困らせるな」
ナイジェルは、これ見よがしに溜息をついた。
「しかも、お前はもうすぐ結婚する。少しは落ち着け」
「婚約者は、私のことを理解しています」
「そういう問題ではない」
「では、どういう問題ですか」
「何度も言っているだろう。お前の仕事は、リリアンヌ殿下を護ることではない。民の安寧を護ることだ」
「……」
サイラスは、ぐっと言葉を噤んだ。
「私が、このまま陛下のところへ報告に行く」
第一城壁の正門前で、ナイジェルは同じ言葉を繰り返した。
「お前は着替えて、さっさと持ち場に戻れ」
「…分かりました」
サイラスは不承不承返事をし、正門から離れていった。
軍服のままでは、さすがに町へ出ることはできない。
騎士の塔へ戻り、着替えてくるか…
潜入に戻れば、妹の出立も見送れないだろう。
リリアンヌは、一か月前に目覚めたばかりだ。
なぜ、そんな慌てて出立する必要があるのか。
まだ、人攫いの件は解決しきっていない。
不安要素は、山ほど残ったままだ。
そもそも…獣人族が住む村に、リリアンヌが向かうなど。
何もかも、不服だ。
「……」
ここからエラドリオール邸までなら二十分ほどだ。
騎士の塔とは反対方向になる。
それでも、せめて顔が見られれば…
最近リリアンヌが、護衛をつけてどこかへ出かけていることは知っている。
さすがに…この時間なら帰ってきているだろう。
サイラスは踵を返し、エラドリオール邸へ向かった。




