便利屋サムリリィの開業準備③
リリアンヌ視点
「こんにち…うわっ!」
食堂に入った瞬間、焦げた臭いが鼻を突いた。
奥の扉から、黒い煙が漏れ出ている。
「…ここで、お待ちください」
アランフォースはそう言って、ひとり煙の中へ進んでいった。
キリが手を向けると、上部にある小窓がばたんと開いた。
その間に、アランフォースが男を担いで戻ってきた。
「…ぐっ…はぁっ、はぁっ…」
床に下ろされた男は胸を押さえ、苦しそうにうつ伏せになった。
「…!」
リリアンヌは男の脇に屈むと、すぐに白のちからを送った。
食堂の中に、白い光が広がった。
「はっ…はっ…は…」
「…大丈夫ですか?」
「はっ…えっ?」
息を落ち着かせた男は、はっと顔を上げた。
「…君は?」
「私は、リリアンヌと言います」
「えっ!」
男はぎょっと上体を起こすと、素早くリリアンヌと肩にいるスノウを見比べた。
「…こ、これは、大変失礼しました」
「そんなこと、しないで」
その場で頭を下げようとした男を、リリアンヌはすぐに止めた。
「り、リリアンヌ様…こんなところで、一体…?」
「ええと…今度、隣に友人が店を出すので、一緒に確認に来ていました」
「あ…はぁ……え?」
「それで…この建物から、焦げるような臭いがしたので、お邪魔させていただきました」
「ああ…私は、倒れた」
男は、思い出したように頷いた。
「調理をしている最中に倒れられたのでしょうか?」
「あっ、窯…」
「窯の中にあった食材なら、もう出した」
「そっ、それは、ありがとうございます。騎士様」
男は小さく肩を揺らし、アランフォースへ礼を言った。
「…ええと、それで…私は、ずっと心臓を患っていたんです」
「まだ、苦しいですか?」
リリアンヌは、そっと尋ねた。
「いや…それが、なんともなくて――」
男は胸元を押さえると、はっと言葉を止めた。
「…もしかして、白のちからを」
「…無事で、良かった」
リリアンヌは、ふっと微笑んだ。
「そんな…本当に、どうしたら…」
男は顔を強張らせ、混乱したように辺りを見渡した。
「…!」
その目が、はっと大きく見開かれた。
「獣人族…!」
「…あっ!」
ビッケは、ぱっと頭巾をかぶり直した。
「…ビッケ、おいで」
「……」
「大丈夫だから」
「……」
ビッケは両手で頭巾を握ったまま、リリアンヌの隣に屈んだ。
「ええと…店主さん」
「…は、私はドグリと申します」
「ドグリさん。焦げた臭いに気付いたのは、この子なの」
リリアンヌは、ビッケの腕に優しく手を伸ばした。
「この子が、最初に異変に気付いたの」
そのまま腕を引き、そっとビッケを抱き寄せた。
「…ああ、すまない。つい、驚いてしまって」
ドグリは、申し訳なさそうに謝った。
「驚かせてしまったな。ビッケ君、助けてくれてありがとう」
「…いいえ」
ビッケは、小さく答えた。
「…それで、リリアンヌ様。友人が、隣に店を出すとおっしゃいましたが」
ドグリの声が、最初よりずっと落ち着いた。
「ええ、そうです」
「あの店を借りたのは貧民区出身の若者と聞いたのですが、間違いだったんでしょうか」
「…それは」
「隣に店を出す、サムと申します」
サムは、リリアンヌの隣に素早く跪いた。
「…君が?」
「はい。私は、確かに貧民区出身です」
「とても…そうは見えないが」
「私以外の店の者もみんな、貧民区出身です」
「そんなに出入りするのか?」
ドグリの表情が険しくなった。
「みんな、私の大切な友人です」
リリアンヌは、さっと口を挟んだ。
「とても良い子たちなの」
「……」
ドグリは、眉を寄せたまま口を閉じた。
ふいに、入り口の扉が、カランッと鐘を響かせて開いた。
「お父ちゃん、ただいま~」
入ってきたのは、サムと歳が近そうな女性だった。
「…ええっ!」
そのままぎょっと顔を上げ、扉にへばりつくように後ずさりした。
「お、お父ちゃん…!なに、この状況!?」
「…ああ、ジーナ。お帰り」
「えええ!待って、リリアンヌ様!?」
ジーナの視線が、こちらへ向いた。
「ええっ、アランフォース様までいる!」
大忙しだ。
「…父ちゃん!エルフがいるよ!」
「えっ、エルフまでいるのかい」
ドグリが振り返り、ようやくキリに気付いた。
「ジーナ、お邪魔しています」
「いやいや…な、なんで床に座ってるんですか?」
「あ…そうだね」
「リリアンヌ様が助けてくださったんだ」
ドグリはリリアンヌに合わせ、ゆっくりと立ち上がった。
「…まさか、また倒れた?」
ジーナはぎゅっと眉をひそませた。
「もう、リリアンヌ様のおかげで平気だ」
「…どういうこと?」
「白のちからを、送ってくださった」
「…り、リリアンヌ様。うちには、払えるお金がなくて」
「待って、ジーナ」
リリアンヌは、はっとジーナの言葉を止めた。
「お父さんが、元気になって良かった。ね?」
「ね、って…」
「ジーナ。彼はね、サムと言うの」
リリアンヌは、今度はサムの腕を引いた。
「隣に店を出すから、仲良くしてね」
「えっ、隣って…お父ちゃん」
「…どうやら、私たちは偏見があったようだ」
ドグリが、静かに答えた。
「みんな…リリアンヌ様のご友人らしい」
「へぇ…」
「…便利屋をやってます。掃除とか修理とか、何か手伝いが必要な時はご依頼ください」
サムはジーナに向かい、ぺこりと頭を下げた。
「ドグリさん、ジーナさん。絶対に、迷惑をおかけしません」
「…そんな心配は、もうしていない」
ドグリは、サムの肩をぽんっと叩いた。
「君も、私を助けてくれてありがとう」
「…!」
「リリアンヌ様…このたびは命をお救いいただき、ありがとうございました」
ドグリはサムから手を離すと、深々とリリアンヌへ頭を下げた。
「この助けていただいた命で、今後は精いっぱいご恩に報いたいと思います」
「……」
リリアンヌは、困ったように眉を下げた。
「…あのね。サムが隣にお店を出すから、今日、私はここに来ていたの」
しばらくして、ぽつりと呟いた。
「ビッケが焦げた臭いに気付いて、ドグリさんのお店まで様子を見にきた」
「……」
ドグリは、ゆっくりと顔を上げた。
「この縁を…大事にしてくれたら嬉しいな」
リリアンヌは、そっと微笑んで続けた。
「助かった命を、大切にしてください」
「…良かったねぇ、お父ちゃん…!」
えぐぅっと、泣き声が店内に響き渡った。
「あっ、ええと…開店の準備中だったのでしょう?」
リリアンヌは、はっと辺りを見渡した。
黒い煙はすでに引き、焦げた臭いもほとんど残っていなかった。
「…ええ。ここはいつも、夕方の五時からやっています」
「窯は、もう使えそう?」
「確認してみますが…騎士様が食材を取り出してくださったので、大丈夫だと思います」
「開店までに、間に合うかな。何か手伝えることはありますか?」
「いいえ…もう、十分です」
ドグリは、ふっと笑みを浮かべて答えた。
「ぐずっ…」
ジーナは、たたっと店内を突っ切ると、食堂の奥へ消えた。
「…サム君。いつから開業するんだい?」
「まだ未定ですが、できる限り早くとは思っています」
「そうか。応援してるよ」
「…!ありがとうございます!」
サムは、勢いよくドグリへ頭を下げた。
「あの…リリアンヌ様」
ジーナは戻ってくると、おずおずとリリアンヌへ近づいた。
「良かったら、これどうぞ」
両手で、小瓶を差し出した。
「…綺麗!」
渡された小瓶には、色とりどりの小さな飴がぎっしりと入っていた。
「おばあちゃんが作ってたのを引き継いで、私が趣味で配ってるものです」
ジーナが恥ずかしそうに言った。
「貰ってもいいの?」
「こんなものしか、お返しできませんが…」
「ありがとう…!とっても嬉しい」
リリアンヌは、にっこりと礼を言った。
「…うわぁぁんっ!」
「……」
なぜか、ジーナがさらに大泣きしてしまった。
「ええと…サム。そろそろ戻ろうか?」
「そうだな」
サムが小さく苦笑して頷いた。
「…本当に、お二人は友人なのですね」
ドグリは、静かにリリアンヌとサムを見比べた。
「はい。大切な友人です」
リリアンヌは、満面の笑みで答えた。
「ジーナ。これ、ありがとうね」
「こちらこそぉっ…!」
大泣きするジーナに見送られながら、食堂を後にした。




