解き放たれた英雄②
リリアンヌ視点
「…お前、まさか全員にそれをやったのか」
「えっ?」
ふいに聞こえた声に、リリアンヌは後ろへ振り返った。
レックスが、エドガーとアランフォースを伴って真後ろに立っていた。
「…伯父上」
ブライアンの腕から手を離し、さっとお辞儀した。
「本当に、全員に礼を言ったのか」
レックスが、呆れ顔でもう一度言った。
「…はい」
ちょうど、最後のひとりに挨拶をしているところだった。
正確にはまだひとり、お礼ができていないけれど。
「お前は、馬鹿か」
「…伯父上が、いいとおっしゃいました」
むっと、頬が膨らんだ。
「まさか本当にすると思わねぇだろ」
「う」
レックスはリリアンヌの頭をくしゃりと撫でると、そのまま階段へ進んでいった。
「……」
昨日と言い、どうして頭を撫でるのだろう。
「君も、そんな顔をするのだな」
頬を膨らませたままでいると、ブライアンに言われてしまった。
「…子供っぽいのは、分かっています」
まだ気持ちは、十歳のままだ。
「いや、そんなことはない」
ブライアンは優しく微笑むと、再び腕を差し出した。
「私たちも行こうか」
「はい」
レックスたちの後ろに続き、階段を上がっていった。
さらにその後ろから、並んでいた国王直属騎士団の騎士たちが続いた。
大正門の上では、ルイージが、従者や進行役たちとすでに待機していた。
レックスが、ルイージとすれ違いざまに何かを囁いた。
「…ああ、なるほど」
ルイージは小さく頷くと、まっすぐリリアンヌたちの方へやってきた。
「ルイージ宰相…!昨日はちゃんとご挨拶できなくて、申し訳ありませんでした」
「昨日は、どうも。あなたは今日も元気そうで何よりです」
「…お疲れですか?」
昨日に続き、疲れているように見えた。
「ええ。あなたが目覚めてから、大忙しです」
「…ごめんなさい」
「嫌味ですが、謝ってほしかったわけではありません」
ルイージは苦笑すると、じっとリリアンヌに目を向けた。
「…まさか、こんなに長い間、あなたと会えなくなるとは思いませんでした」
「ご心配をおかけしました」
つい、眉が下がった。
「あの…ルイージ宰相、ありがとうございました」
「…何の礼です?」
間を置き、ルイージが静かに尋ねた。
「きっと、私の知らないところでたくさん動いてくださったと思うので…そのお礼です」
三年前、私たちが無事に王都を出立できたことも。
ザンビア砦の後始末も。
昨日、国王と決めた多くのことも。
そのどれも、きっとルイージが動いてくれていた。
「…分かってくださっているなら、十分です」
ルイージは、ふっと笑みをこぼした。
「本当はここで、あなたと話をしたかったのですが。どうやら、その時間を下で使い切ってしまったようで」
「あっ…ごめんなさい」
「いいえ。その代わり、これを説明する時間はありませんので、ご了承ください」
ルイージは言いながら、丸められた羊皮紙を差し出した。
「…これは、何ですか?」
リリアンヌは受け取りながら首を傾げた。
「あなたが作った物語です」
「えっ、もうできたのですか?」
考えたのは、昨日のことだ。
「今日の祭りの場で、公表するつもりでしたから」
「物語とは?」
ブライアンが、不思議そうに口を挟んだ。
「昨日、伯父上と、異形の存在の正体について公表しようという話になったのです」
「ああ、なるほど…それで、物語?」
「それは、いろいろあって…あの、ルイージ宰相。見てもいいでしょうか?」
「ええ、もちろん」
「……」
羊皮紙を広げ、ブライアンと並んで目を落とした。
読み進めていき――
「…な、なんですか、これ…!」
思わず、小さく叫んだ。
「え?君が作ったのだろう?」
「途中までは、私が考えたものです。そんな、これじゃあまるで…」
「君が、主人公だな?」
ブライアンが、面白そうに笑った。
「ルイージ宰相、どうしてこんなことになったのですか…!」
リリアンヌは、抗議するように顔を上げた。
「ですから、それを説明する時間はありません」
ルイージは肩をすくめてみせた。
「陛下からの指示とだけ言っておきましょう」
「…!」
リリアンヌは、ぱっと壇上の方へ目を向けた。
壇上にいるレックスが、にやっと笑った気がした。
「…ルイージ宰相、すみませんが、もう一度考える時間を――」
「残念ながら、もう間もなく公表されます」
「…うぅ」
がっくりと、肩が下がった。
いつの間に、こんな文章を考えたんだ。
「リリアンヌ、時間だ」
ブライアンが、ぽんっとリリアンヌの肩を叩いた。
「…はい」
大正門の下からは、がやがやと声が聞こえている。
そういえば…壇上に立って、私は何をすればいいのだろう。
そんな大事なことも聞かされていないまま、時間になってしまった。
国王の登場を知らせる喇叭の音が鳴り響き、しんと静まり返った。
壇上に立つレックスが前に進み、民の前に姿を見せた。
「王様ぁ~!」
「国王様だぁっ!」
すぐに、わっと歓声が上がった。
「皆、よく集まった。今日という日が迎えられたことを嬉しく思う」
国王の低くよく通る声が、大広場中に響いた。
「もうすでに公表したことだが、先日、我が姪が目覚めた。皆も、その姿を待ち望んでいただろう」
レックスが振り向き、こちらへ手を差し出した。
ブライアンはリリアンヌの手から羊皮紙を取ると、優しく前へ押した。
「……」
とにかく、お辞儀をすればいいだろうか。
リリアンヌは短い階段を上がりきり、差し出された手を取った。
レックスの横に並ぶと、すぐにドレスの裾を摘まみ、ゆっくりお辞儀した。
伏せていた目を、正面に向けた。
広場が、よく見える。
ここに立つのも、もう四度目だ。
慣れはしないけれど、集まった人たちを見渡す余裕はできた。
みんな、一様に驚いた表情を浮かべている。
「…え?」
リリアンヌは、きょとんと目を瞬いた。
初めての反応だ。
「…いいぞ」
「…何がですか?」
小声で言ったレックスに、こそりと尋ねた。
「彼女は加護のちからを使い、国を滅ぼしかねない巨大な異形の存在を消し去った。その代償に、三年間眠ることになった」
レックスはリリアンヌを無視して、再びよく通る声を響かせた。
「異形の存在とは、何なのか。どこから来るのか。長い間、分からなかった」
国王の言葉に、聴衆が騒がしくなった。
異形の存在の正体に触れることは長年の禁忌だったのだから、当たり前だろう。
「リリアンヌは、眠っている間に精霊王オーリアから啓示を受けた」
「……」
間違っては、いない。
精霊王と、話はした。
「その啓示によれば――この世から異形の存在を消すことは可能だ」
ひと際、大きなざわめきが起こった。
「精霊王からの啓示を、皆と共有したいと思っている。後ほど公表されるだろう」
突然、精霊王の名が出てきて…理解できているだろうか。
「異形の存在を消したいならば、後ほど公表する内容を必ず守れ。すべての民が協力する必要がある」
町の人たちは、それでも国王の言葉に必死で耳を傾けている。
「しかし今日は、精霊の申し子が目覚めた祝いの日だ!」
レックスの声が、より一層大きくなった。
「皆、盛大に祝え!」
その言葉に、町民たちが、どっと大歓声を上げた。
「…精霊の申し子?」
「いいから、手を振れ」
レックスは手を振って応えながら、口もほとんど動かさずに言った。
「……」
リリアンヌは言われるがまま、空いている方の手を小さく振った。
町の人たちが、やっと笑顔になった。
こちらに向かい、手を振ってくれている。
万歳して、跳ねている子供までいる。
その様子を見て、思わずくすっと笑った。
そのまま視線をずらし――
「…あっ!」
「あ?」
リリアンヌはレックスの手を離すと、
大正門の上から、飛び降りた。




