解き放たれた英雄①
リリアンヌ視点
翌日は、よく晴れた祭り日和だった。
どんな祭りなのか、どれくらいの規模なのかも分からないけれど、
今日の主役は、私だ。
昨日よりも気合の入ったニアと、さらに三人の侍女に囲まれ、何時間もかけて身支度を整えた。
屋敷の入り口へ向かう頃には、もう、くたくただった。
「…ステファン、行ってきます」
「…お嬢様。本番は、これからですよ」
家令が、苦笑いを浮かべた。
「はい…頑張ります」
リリアンヌは、軽く頬を叩いて姿勢を正した。
「…あれ、お父様は?」
「ご主人様は、今朝早くに王城へ向かわれました」
「…それじゃあ、ひとりで向かうのかな?」
てっきり、父と一緒に馬車で大正門まで向かうのかと思っていた。
「お迎えが来ております」
ステファンが、にっこりと笑って言った。
「お迎え?」
「どうぞ」
「…?ありがとう…」
リリアンヌは首を傾げながら、家令の開ける扉をくぐった。
エラドリオール邸の門は開かれ、すでに馬車が待っている。
馬車の前には、昨日会ったばかりの人物が立っていた。
「…!」
その人物に気付いた瞬間、長い前庭をできる限り速く駆けた。
「リリアンヌ、急がなくていい」
門に近づくと、すぐに声が飛んできた。
「いいえっ…」
急がないわけにはいかない。
「ブライアン様…どうされたのですか?」
相手は、王太子なのだから。
「君の迎えだ」
ブライアンはそう言うと、リリアンヌに向かって手を差し出した。
「大正門まで、一緒に向かおう」
「ブライアン様が、お迎え?」
驚きながらも、差し出された手に手を重ねた。
「…あっ、行ってきます…!」
馬車へ乗り込む前に、門番とついてきていたステファンに慌てて手を振った。
「行ってらっしゃいませ」
それぞれが一礼して見送った。
「ふっ…君は、変わらないな」
「あの、ブライアン様。お久しぶりですね」
昨日は、きちんと挨拶ができなかった。
「ブライアン様は、変わられました」
座りながら、じっと正面のブライアンを見つめた。
背も伸びたし、かなり逞しくなった。
何より、雰囲気が全然違う。
美しさは変わらないけれど、凛々しさが増して、かなり格好良い。
「とても、格好良いです」
「…ありがとう。そういう意味なら、君も変わった」
ブライアンは腰を下ろしながら、ふっと笑った。
「とても綺麗になった」
「ありがとう…ございます」
リリアンヌは、恥ずかしそうに目を逸らした。
すごい。
社交辞令だとしても、こんな言葉がさらりと出るなんて。
「…あの、お元気でしたか?」
「それは、私の台詞だと思うが」
ブライアンは小さく苦笑いを浮かべた。
「三年間、君の分まで元気だった」
「ふふっ…それは良かったです」
「足は、もう平気なのか?杖を使っていたと、昨日言っていたが」
「はい。筋力はまだ戻りきっていないですが…でも、今も走れました」
「食事は摂れているのか?」
「大丈夫です。しっかり食べています」
「三年も寝ていたのだから、体に負担も掛かっていただろう。どこかつらいところはないのか?」
「いいえ…すごく元気です」
緩みそうになる頬を、そっと手で隠した。
まるで、お母さんみたいだ。
だけどブライアンは、真剣に心配してくれている。
「…ブライアン様」
リリアンヌは表情を引き締め、姿勢を正した。
「三年前は、助けてくださってありがとうございました」
「…助けられていない」
わずかに、ブライアンの声が強張った。
「いいえ。ブライアン様がいなかったら、私はあの部屋でとっくに命を落としていました」
あの部屋から一歩も出られないまま、兵に襲われて死んでいただろう。
「私を護ってくださって、ありがとうございました」
座ったまま、深く頭を下げた。
ブライアンだって、実戦は初めてだったはずなのに。
護られるべき立場のはずなのに。
それなのに、ずっと私を護ってくれていた。
「…君は、すごいな」
「え?」
リリアンヌは、ぱっと顔を上げた。
「私の三年間を、無駄にさせないでくれ」
ブライアンは、困ったように笑っていた。
「…?」
「しばらくしたら、精霊を探しに行くのだろう?」
「あ…はい。まだ、何も決まっていませんが」
「分かった」
「…?」
何が、分かったのだろう。
「ええと…ブライアン様は、今も水上特別隊にいらっしゃるのでしょうか?」
三年前は、水上特別隊の隊長のもとで従騎士として働いていたはずだ。
「いや、もう従騎士の期間は終わった。今は王城で仕事をしている」
「!それでは、王国騎士となられたのですね」
「そうだな。十九歳になってからだから、まだ二週間しか経っていないが」
「…その節は、大変ご迷惑をおかけしました」
リリアンヌは、気まずそうに眉を下げた。
「君は、私の誕生日を邪魔するのが好きらしいな」
ブライアンは、ははっと笑った。
私が長い眠りから目覚めたのは、ブライアンの誕生日だった。
父たちは、ブライアンへの挨拶も、その後の祝宴への参加も取りやめていた。
…お兄様が、どうでもいい行事と言うから。
何の行事か、その日に聞かなかった私が悪いけれど。
「その…本当に、ごめんなさい…」
「いや、冗談だ」
ブライアンは、優しく目を細めた。
「君が目覚めてくれて、本当に良かった」
「……」
先ほどから、落ち着かない。
こんな表情をされると、どう返していいか分からない。
あっという間に目的地に着き、馬車がゆっくりと止まった。
「足元に気を付けて」
先に降りたブライアンが、手を差し出した。
「…!」
降りた瞬間、はっと息を呑んだ。
馬車の前から大正門まで、国王直属騎士団が道の両側にずらりと並んでいる。
今日は、剣を掲げるような敬礼はしていない。
後ろで手を組み、微動だにせず立っている。
「あの…ブライアン様」
リリアンヌは、小さく囁いた。
「式まで、まだ時間はありますか?」
「あると思うが…どうした?」
「国王直属騎士団の皆様に、お礼を言いたいのですが…」
「…本気?」
ブライアンが、わずかに眉を上げた。
「…駄目でしょうか?」
「…いや。それなら、私も付き合おう」
そっと、腕が差し出された。
「ありがとうございます」
リリアンヌはブライアンの腕に手を通し、並ぶ騎士たちに近づいた。
「フーリン…!」
一番手前は、よく見知った騎士だった。
「…お久しぶりです」
間を置いて、フーリンが小さく一礼した。
「フーリン。三年前は、ありがとうございました」
「礼を言うのは、こちらです」
今度は、間髪入れずに返ってきた。
「いいえ。フーリンが、私を助けてくれたと聞きました」
ヌシカが現れ、騎士たちが吹き飛ばされた時。
フーリンが、すぐにアランフォースに助けを求めてくれたと聞いていた。
「フーリンが助けを呼んでくれなければ…私も精霊たちも、どうなっていたか分からない」
あのままヌシカに、瘴気を送られ続けていたら…
…想像もしたくない。
「だから、本当にありがとう」
「……」
フーリンは目を伏せ、動かなくなった。
「あの…フーリン、大丈夫…?」
「リリアンヌ。この調子だと間に合わない」
ブライアンが、優しくリリアンヌの手を引いた。
「あっ、はい…フーリン、またね」
俯いたままのフーリンに手を振り、次の騎士の前まで進んだ。
「!見張り塔で、助けてくれた方ね」
「ソヴェルと申します」
リリアンヌに視線を向けられた騎士が、すぐに名乗った。
「ソヴェル。あの時は、ありがとうございました」
「何も…していません」
「いいえ。体を張って、私を護ってくれました。
動けなかったのに、それでもみんな私を護ろうとしてくれて…とても格好良かった」
私は、地面に這ったまま何もできなかったというのに。
「本当に、ありがとう」
「…っ」
「…あの?」
ソヴェルが、顔を逸らしてしまった。
「リリアンヌ」
「あ、はい」
ブライアンに引かれ、次の騎士の前まで進んでいった。
次は、貫禄のある髭を生やした騎士だった。
エドガーと同じくらいか、少し下だろうか。
「セクー、お久しぶりです」
「…私の名を、ご存じで?」
「もちろん」
地下探索の時に、レックスが彼の名を呼ぶところを聞いている。
遠征の時にも、何度か見かけた。
それに。
「いつも、優しい目で私を見ていてくれたから」
リリアンヌは、ふっと嬉しそうに微笑んだ。
「見守ってくれているなって、思っていました」
「…殿下と歳の近い娘がおりまして」
セクーが小さく苦笑いを浮かべた。
「いいえ。いつも、ありがとう」
にっこり笑い、礼を言った。
「これからも、よろしくお願いします」
「もちろんです」
セクーは、力強く返した。
初めて、国王直属騎士団が並んでいるのを見た時――
みんな、同じように黒く染まって見えた。
全員屈強な体で、国王に忠実で、物静か。
けれど、その印象はすぐに変わった。
王城へ通っている時に、護衛してくれた人たちも。
王城の地下を、一緒に探索した人たちも。
遠征で、一緒に料理をした人たちも。
それから、ザンビア砦で私を護ってくれた人たちも。
性格も、見た目も、何もかも違う。
そして、みんな優しくて、強い。
本当に頼もしい人たちばかりだ。
一緒にデューゼの森へ行こうとしてくれて、ありがとう。
いつも護ってくれて、ありがとう。
やっと、この気持ちを伝えられた。




