第一章Ⅵ(善意と同情)①
リリアンヌ視点
お茶会のあと、さらに二日も薬療院に行くことができなかった。
慣れないお茶会に疲れ果て、翌日に目が覚めた時には、もう昼近かった。
その次の日には、商人がエラドリオール邸へやって来て、午前を使って母と買い物することになった。
気付けば、三日も間が空いてしまった。
誰も待っていないかもしれない。
シルヴィアだって、もう呆れてしまっているかもしれない。
それでも、行かないという選択はなかった。
「…あれ?」
いつもと違う景色に、リリアンヌははたと足を止めた。
薬療院と孤児院の建物の奥から、もくもくと煙が上がっている。
ほんのりと、香ばしい匂いがここまで漂ってきていた。
どうやら裏にある竈で、何かを焼いているようだ。
低い柵をぐるりと回り、裏側の門へと向かった。
近づくにつれて、煙の匂いはいっそう濃くなった。
竈の火が、ぱちぱちと小さく鳴っている。
その脇に並ぶ長椅子の前で、孤児院の子供たちが輪になって座っていた。
「あーっ!リリィだぁ!」
輪の中からメルが顔を上げ、こちらに向かって大きく手を振った。
「お、リリィ!」
「あ、よかった、また来たよ!」
「心配したよ~」
サムたちも顔を上げ、同じように手を上げた。
「こんにちは…!」
リリアンヌは安堵の溜息を小さく漏らし、皆のもとへ近づいた。
「何しているの?お昼ご飯の準備?」
サムたち年上組は、ナイフを使い、野菜を切っている。
メルたち年下組は、豆の鞘を外し、籠に次々と放り込んでいた。
「炊き出しの準備をしているのよ」
「!」
「リリィ、いらっしゃい。よく来たわね」
孤児院の方から歩いてきたシルヴィアは、変わらず穏やかな表情だった。
「シルヴィア…しばらく来られなくて、ごめんなさい」
リリアンヌは、申し訳なさそうに謝った。
「え?いいえ、来られる時に来てくれればいいのよ」
シルヴィアはくすっと笑うと、年少組が下処理した豆の籠を手元へ引き寄せた。
「豆は、これでいいわね。それじゃあ、メルたちは調理場の方を手伝ってくれる?」
「は~い!」
「水をはこぶんだね!」
メルたちは元気よく返事すると、孤児院の方へ駆けていった。
「リリィ、ごめんなさいね。今日の午前はこの通り、炊き出しの準備をしなくてはいけないの」
「…ねぇ、シルヴィア。炊き出しって、なあに?」
前回、薬療院を訪ねてきたボノも話していた。
炊き出しの言葉の意味は分かるけれど、
避難しているような人たちが、多くいるのだろうか。
「通りの方へ行って、食事を配るの。そうしないと、食べるものがない人もいるから」
「…あ」
リリアンヌは、はっと口を噤んだ。
「週に三度、炊き出しをしているのよ」
シルヴィアは籠を抱えながら、淡々と続けた。
「…週に三度で足りるの?」
もし食べるものがないのなら、週に三度では少ない気がした。
「貧民区にある他の薬療院も、炊き出しを行っているの。六塔と十二塔の方だから、ここからは少し離れているけれど、町のどこかで炊き出しは毎日行われているわ」
「…そうなんだね」
六塔と十二塔近くにも、貧民区と呼ばれる場所があることは分かった。
「リリィ、あなた今日はどうする?昼過ぎでよければ、時間は作れるわ」
「あ…私も、切るの手伝う」
リリアンヌは、ちらりと野菜を切る年長組に視線を向けた。
「ええ?」
「できるの?」
すぐにヌイとワンスが反応した。
「多分…小麦の収穫よりは、うまくできると思う」
今世で包丁を握るのは初めてだけれど、きっと大丈夫。
「それじゃあ、ここでサムたちと野菜の皮剥きを頼むわ」
「うん」
「まずは、手を洗ってからね」
シルヴィアは盥を指さすと、豆の入った籠を抱えて孤児院の中へ入っていった。
リリアンヌは袖をまくり、盥の水で手を洗った。
手拭いでしっかり拭くと、サムの隣に両膝をついて座った。
中央には、人参や芋が山のように積まれている。
サムとヌイが手際よく皮を剥き、ワンスはその横で、野菜を細かく切っていた。
「ほら、リリィ」
サムが、柄を向けてナイフを差し出した。
「危ないから、気を付けろよ」
「うん、ありがとう」
リリアンヌはナイフを受け取ると、山の中から人参を一本手に取った。
果物用ナイフに見えるけれど、刃先はそれよりも鋭い。
皮の部分に刃を当てると、さく…と簡単に食い込んだ。
六歳の手には、ナイフも人参も大きい。
皮は思ったよりも千切れてしまい、身まで多く削ってしまった。
「おお、うまい、うまい」
それでも、サムは褒めてくれた。
「この人参は、畑で収穫したものなの?」
リリアンヌは、二本目の人参を掴みながら尋ねた。
「人参は、そうだな。だけど芋とか、国から支給されたものも混ざってる」
サムが手を動かしながら答えた。
「国からの支給があるの?」
「そりゃ菜園のだけだと、オレたちの食べる分がなくなるって。国が炊き出しをここにお願いしてんだから、週三度の炊き出し分は届くよ」
ヌイが、芋に手を伸ばした。
「正確には、町の寄付も入っているらしいけど。そんなの、ここではあんまり関係ないかな」
ワンスは板の上で切った芋を、手際よく籠の中へ移した。
「どれくらいの人が、炊き出しに来るの?」
「数えたことないけど、だいたい二百人くらいかな。もっとかも。…あ、リリィ。それ終わったら、ここに入れて」
ヌイが答えながら、籠を指した。
「うん、分かった。人参は終わり?」
「皮剥きは、終わり。今度は、細かく切ってくんね?」
「分かった」
リリアンヌはヌイに渡された板を膝に置くと、人参を角切りにしていった。
「子供たち全員で、炊き出しの手伝いをしているんだね」
「そりゃ、ここの施設は国と寄付によって成り立っているからな。そうやって恩返ししないと、ただ飯食いになるから」
サムが、さらりと答えた。
「…そうなんだ」
危うく、偉いねなんて言うところだった。
なんだか、とても失礼なことを尋ねてしまった気がした。
「そんな気を遣って喋らなくたって、いいって」
サムはリリアンヌの表情を見て、ははっと笑った。
「お前にとったら、すべてが新鮮なんだろ?」
「…うん。いろいろ聞いて、ごめんね」
年長組には、自分がこの辺りの出身でないことは気付かれているのだろう。
「だから、オレたちに気を遣う必要なんてないって」
「リリィはさ、不思議だよね。ここが貧民区って分かっても、来てくれるんだから」
サムの横から、ワンスが会話に加わった。
「ううん…まだ、よく分からない」
リリアンヌは正直に言った。
「貧民区は、治安が悪い場所のことを指すの?」
「う~ん…貧民区自体が治安悪いかっていうと、そうでもない。ここから一番近い通りに住む奴らは、みんな良い人ばっかりだし」
ヌイが首を傾げながら答えた。
「でも、これから炊き出しに行く場所は、結構治安が悪い」
「これから行くところも、四塔近くの貧民区なんだよね?」
「そう。まあ、六塔とか十二塔に比べたらましだってギタンが言ってたけどな」
「ましだよ。十二塔は、本当にひどかった」
ヌイの言葉に、サムが顔をしかめた。
「サムは、十二塔近くの出身なの?」
「違う。オレは、王都の外にある村の出身」
「へぇ、そうなんだ…!」
「本当は親父が生きてるんだけどさ、暴力がひどくて、メルを連れて逃げてきたんだ」
「……」
リリアンヌは、きゅっと口を結んだ。
「あ…いや、そんな顔されるような話じゃねぇって」
サムが、ふっと苦笑を浮かべた。
「逃げてきたって…メルと二人きりでということ?」
「うん、そう。荷馬車に紛れて王都に入ったはいいけど、何も分からないまま十二塔の方に行ったら、攫われそうになってさ」
「さ、攫われそうに…!?どうして!?」
「孤児は、いろいろ使い道があるからな」
サムは肩をすくめて答えた。
「たまたまギタンに助けてもらって、ここにいる」
「……」
リリアンヌは、そっと目を伏せた。
ここは、孤児院だ。
孤児院ということは、みんな親がいない。
そんなこと、分かっていたはずなのに。
自分を取り巻く環境との違いに、かなり衝撃を受けた。
「ここの生活はさ、前だったら考えらんないくらい、贅沢なんだ」
「…え」
「屋根のあるところで、ベッドで寝られる。それに一日二食、おやつ付き。
しかも、めちゃくちゃ美味い。――羨ましいだろ?」
サムが、にっと口角を上げた。
「…うん。シルヴィアの作るお菓子は、美味しい」
リリアンヌは、ふっと頬を緩めて返した。




