英雄の目覚め②
リリアンヌ視点
「失礼します」
ニアが、桶と手拭いを持って部屋に戻ってきた。
「あなた、サイラス。一度出てくださいな」
「ああ、そうだな」
「リリィ、またあとで来る」
ロデオとサイラスが、部屋から出ていった。
「お嬢様~!もう、ほんっとうに良かったです~!」
扉が閉まると同時に、ニアがベッドの脇まで勢いよくやってきた。
「心配をかけて、ごめんなさい」
「本当ですよ~!さ、体を拭きますよ」
「ニア、私にも一枚貸して頂戴」
「そんな、お母様…」
「あら、あなたが眠っている間もやっていたのよ」
アヴェリーンは手拭いを受け取ると、リリアンヌの顔を優しく拭いていった。
「…お母様。元気そうで、良かったです」
顔色も良いし、体調も良さそうだ。
「人の心配をしている場合ではないでしょう。あなたは三年間も眠っていたのよ?本当に痛いところはないの?」
「はい…なんとも…」
リリアンヌは答えながら、顔の前まで右手をゆっくりと持ち上げた。
腕を上げるくらいの力は、まだあるみたいだ。
「…ん?」
手が、大きくなっている気がする。
視界に入りきるよう、さらに腕を高く伸ばした。
ひょろりとしているけれど、長くなっている気もする。
「成長してる…?」
「当たり前でしょう」
アヴェリーンが呆れたように言った。
「あなたは、もう十三歳なのだから」
「……」
冷静に考えると…
三年も経っているって、結構な衝撃だ。
七歳から十歳までの三年間も、いろいろあった。
それと同じ時間が過ぎている。
「…キリは?」
はっと、尋ねた。
「エルフさんなら、あなたが眠った後からいないわよ」
「そう…ですか」
風の里に、帰ってしまったのだろうか。
それは、そうだ。
いつ目覚めるかも分からない私を、ここで待っているわけもないだろう。
…一緒にいられたのは、たった二か月だけだった。
もう、風の里が襲われることもない。
エルフの仲間たちと、精霊探しをしているのかもしれない。
寂しいけれど、キリにとってはその方がいいだろう。
どこかで、また会えたらいいけれど――
「そろそろ、戻ってくるのではないかしら」
「…えっ?」
「あなたが目覚める頃には戻ると言って出かけたのよ」
アヴェリーンは娘の体を拭きながら、さらりと答えた。
「そうなのですか…?」
じわりと、涙が滲んだ。
「キリ様は、お嬢様のことを好いていましたからね」
ニアが、足元を拭く手を動かしながら会話に加わった。
「絶対、戻ってくるに決まっていますよぉ」
「…早く、会いたいな」
戻ってきてくれると分かったら、すぐにでも会いたくなった。
体を拭き終わったところで、扉がノックされた。
「霊拝師様がいらっしゃいました」
使用人の声を聞き、ニアは桶を端へ寄せて扉を開けた。
「リリアンヌ殿下…!」
アイラが、笑顔で入ってきた。
「アイラ様…!お久しぶりです」
自然と、久しぶりと言いたくなった。
「お目覚めになられたのですね…良かった」
小走りで近づくアイラの桃色の前髪が、さらりと揺れた。
相変わらず、綺麗だ。
アヴェリーンがベッドの脇を空け、そこにニアが椅子を置いた。
アイラが一礼して、その椅子に腰掛けた。
「ご体調はいかがでしょうか」
アイラはリリアンヌに触れると、すぐに白のちからを送った。
強張った筋肉が、和らいだ気がした。
「アイラ様のおかげで、とても元気です」
リリアンヌは、嬉しそうに答えた。
「ずっと、白のちからを送ってくださったと聞きました。アイラ様、ありがとうございます」
「いいえ。恩人に、これくらいのことはさせてください」
「え…?」
「殿下は、国を救った英雄なのですから」
「…英雄?」
一体、何の話だろう。
「ええ。殿下のおかげで、多くの命が救われました。本当に、ありがとうございました」
アイラは、その場で深く頭を下げた。
「そんな、アイラ様――」
「まだ起きられたばかりです。話は、また後日にしましょう」
「あ…はい…」
「リリアンヌ殿下。毎日白のちからを送っていたとはいえ、あくまで補助の域を出ません」
「はい」
アイラに合わせ、表情を引き締めた。
「衰えた筋力は、白のちからで治すことはできません。ご自身で取り戻すしかないのです」
「はい。アイラ様に教わったことですね」
「あと…左肩の傷ですが」
アイラは、そっと目を伏せた。
「その傷跡は、どうしても消すことができませんでした」
「…はい。なんとなく、理由は分かっています」
やっぱり――ヌシカの攻撃で受けた傷は、残ったようだ。
「…申し訳ありません」
「アイラ様が謝ることは、何もありません」
リリアンヌは枕に頭をつけたまま、慌てて首を振った。
「三年間も、ありがとうございました」
「…私ができるのは、ここまでです」
アイラは、ふっと優しく微笑んだ。
「元気になったら、また大聖堂へお越しください」
「はい!その時は、またご指導ください」
私が白のちからを使えることは、父たちにもとっくに知られているだろう。
大聖堂に入ったら、アイラは上司だ。
それが、とても心強い。
アイラは立ち上がると再び一礼し、「失礼します」と部屋から出ていった。
「…相変わらず、綺麗なお方ですね」
ニアは、まだ扉の方を見つめていた。
「ニア、やっぱり体を起こしてくれるかな?」
リリアンヌは、もぞりと体を動かした。
「はいはい、もちろんです」
「ゆっくりね。背中を支えているから」
「ありがとうございます」
ニアと母に手伝ってもらいながら、ゆっくりと上体を起こした。
「目線が…違う」
座高まで変わっている。
それに、髪が腰の辺りまで伸びている。
「…ぼさぼさ」
あまり、いい状態の髪質とは言えない。
「早く、入浴できるようになるといいですね」
「ニア…手鏡を見せてもらってもいい?」
「ええ、どうぞ」
ニアは棚から手鏡を取ると、リリアンヌの顔の前へ掲げた。
映ったものを見て――
「…うわぁぁぁっ…!」
悲鳴が部屋に響き渡った。
頬が、こけている。
ぼさぼさの黒髪に紅い瞳がぎらりと光り、まるで幽霊のようだ。
こんな顔で、人と会ってしまったのか。
「大丈夫よ。あなたは十分可愛らしいわ」
アヴェリーンは絶叫する娘の脇で、おかしそうに笑った。
「成長した分、綺麗になったわ」
「…お母様。私、早く元に戻りたいです」
体は、成長している。
元に戻るも何もないけれど。
とにかくまず、このこけた頬をどうにかしたい。
「慌てないの。手伝うから、少しずつやっていきましょう」
「…はい。頑張ります」
リリアンヌは、こうして三年ぶりに目覚めた。




