英雄の目覚め①
リリアンヌ視点
「ホ~」
何度も聞いてきた鳴き声に、リリアンヌは、ぱちりと目を開けた。
胸元に、スノウがちょこんととまっている。
首を傾け、こちらをじっと見つめている。
とても可愛い。
思わず、くすりと笑みがこぼれた。
「おっ、お嬢様ぁ…!」
「うわっ」
突然の大きな声に、びくっと肩が強張った。
「あっ…ああ…お、お嬢様…」
侍女が、扉の前で呆然としていた。
「ニア…!」
声を出したつもりだったのに、かすれてしまった。
「…?」
体を起こそうとしても、力が入らない。
「そっ、そのままで…!ちょ、ちょっと、お待ちを!」
ニアはそれだけ言うと、扉を開けたままバタバタとどこかへ行ってしまった。
廊下を走るなと、何度も私に注意してきたのに。
「ふふっ…」
おかしくて、また笑った。
「ホ~」
スノウが胸元から離れ、窓辺まで飛んでいった。
わずかに窓が開き、涼しい風が入ってきている。
見慣れた景色――
ここは、エラドリオール邸の自室だ。
なぜだろう。
とても懐かしく感じる。
一体私は、どれくらい寝ていたのだろう。
ニアの騒ぎ方からして、半年くらいは目覚めなかったのだろうか。
頭が、まだぼんやりしている。
ザンビア砦で、異形の存在となったヌシカを倒して…
デューゼの森で、オーリア様とたくさん話をして…
「…!」
そうだ。
“デューゼの森の悪夢”は、ちゃんと防げたのだろうか。
夢の中で、オーリア様とずっと一緒にいた。
だから、精霊王が瘴気に飲み込まれる未来は避けられた。
それでも、ヌシカが異形の存在となる未来は変えられなかった。
私が今、自室で寝ているということは、
少なくとも、この屋敷が異形の存在に襲われるようなことはなかったはずだ。
いや、どうだろう。
あれから、まだ二か月も経っていないのなら――
廊下から、慌ただしく走る複数の足音が聞こえてきた。
「リリィ!!」
「リリアンヌ…!」
すでに開いていた扉が、さらに勢いよく押し開かれた。
「お父様、お母様…!」
視界に飛び込んできたのは、両親だった。
「えっ…その格好は、どうしたのですか?」
二人とも、祝宴にでも行くような装いだ。
「リリィ…!良かった!」
ロデオは答えず、まっすぐベッドへ駆け寄った。
勢いよく膝をつき、娘を抱きしめた。
「…!」
「良かった、本当に…!」
父の体が、微かに震えている。
肩に、何か冷たいものが当たった。
「あなた、待って。リリアンヌは起きたばかりよ。あまり無理をさせないで」
アヴェリーンは夫の隣に立ち、窘めるように言った。
「ああ、そうだな…」
ロデオは体を離すと、そっと目元を拭った。
「お父様…あの」
リリアンヌは、もぞりと体を動かした。
起き上がろうとしても、力がうまく入らない。
「リリアンヌ、そのままでいいわ」
「お母様、綺麗…」
着飾った母は、いつもよりずっと美しい。
「それどころではないでしょう」
アヴェリーンは、困ったように笑った。
「父上、母上。私にも譲ってくれませんか」
両親の後ろから、もうひとり姿を現した。
その人物は――
「おにい…さま!?え…っ!」
リリアンヌは、ぎょっと目を丸くした。
「そう、お前の兄だ。リリィ、待っていたぞ」
サイラスは満面の笑みを浮かべ、妹の手を握った。
「ええ…」
兄は、十七歳だったはずだ。
最後に見た時は、涼しげな美少年だったのに。
すっかり精悍な顔つきだ。
肩で切り揃えられていた髪は、今では一本に束ねられ胸元にかかっている。
もともと逞しかった体が、さらに鍛え抜かれたものに変わっていた。
「私は…長い間、眠っていたのですね?」
やっと、理解した。
「三年間、眠っていた」
「三年間…」
兄の言葉を、呆然と繰り返した。
「お兄様が、二十歳…」
「お前も、十三歳になっている」
「ふぇ…」
知らぬ間に、三つも歳を取っていた。
「あ…だから、こんなにも体が動かないのですね」
「筋力が落ちてしまっているからな。今日は、そのままでいろ」
答える父の表情は、すでにいつも通りだった。
「…あの、お父様。聞きたいことがあります」
「今は駄目だ。お前の回復が先だ」
ロデオは即座に首を振った。
「…分かりました」
リリアンヌは、素直に頷いた。
「もう少ししたら、アイラ殿が来る」
サイラスが、妹の手を優しくさすりながら言った。
「…!アイラ様が?」
「お前に毎日、白のちからを送っていた」
「そうだったのですね…」
本当に、お世話になりっぱなしだ。
「その後に、ノエル先生が来るわ。いろいろと診てもらいましょうね」
「お母様たちは、どこかお出かけされるところだったのでしょうか?」
兄も、正装だ。
何か催しがある日だったのだろう。
「お前が気にすることはない。もう、出かけない」
サイラスが笑顔で答えた。
「えっ?いいのですか?」
「もともと、どうでもいい行事だ。気にするな」
「そうなのですか…?」
父も母も、兄の言葉を否定しない。
一体、何の行事だったのだろう。
「どこか、体で痛いところはない?」
アヴェリーンが優しく尋ねた。
「今のところ、特に…」
まだ、体に力が入らない。
「…お腹が、空きました」
お腹の虫が鳴っているだけだ。
「ノエルが来たら、食べられるものを聞こう。リリィ、もう少し我慢してくれ」
「お父様…やっぱり、どうしてもひとつだけ聞きたいです」
リリアンヌは、真剣な目を父へ向けた。
「なんだ?」
「あの…王都で、何かありましたか?」
「…?」
アヴェリーンとサイラスが、首を傾げた。
「……」
とても変な聞き方になってしまった。
だけどまさか、異形の存在が攻めてきましたかと尋ねるわけにもいかない。
「お前が寝ている間、何もなかった。王都も、国も」
ロデオは、きっぱりと答えた。
「…そうですか」
何か、察していることがあるのだろうか。
…だけど。
「良かった…」
その言葉が聞けて、良かった。
私が十三歳になっていて、
ここに、父も母も兄もいる。
十一歳の時に死んでしまうはずだった家族が、揃っている。
みんな――生きている。
「…良かったぁ」
リリアンヌは声を震わせ、同じ言葉を繰り返した。
未来が、変わった。
変えることが、できた。
「…ぐぅっ…!」
「…あなた。目覚めたのだから、もう泣くことはないでしょう」
顔を背けたロデオに、アヴェリーンが困ったように微笑んだ。
「…そうだな。リリィ、本当に良かった」
ロデオは目を赤くしたまま、娘に笑みを向けた。
「はい。ご心配をおかけしました」
リリアンヌも、にっこりと笑って返した。




