孤独なエルフの帰還
キリ視点
無数の太い根が、地を這うように広がっている。
何百、何千もの幹が複雑に絡まり合い、ひとつの巨大な樹を創りあげていた。
絡み合う幹の間を、栄養を送り届けるかのように、ゆっくりと光が流れている。
遥か頭上では、聖樹の特徴である青い葉が風に吹かれ、柔らかく揺れていた。
大きく二つに分かれた根元には、人が通れるほどの隙間がある。
キリはその隙間の前で足を止め、そっと聖樹の幹に触れた。
「ホ~…!」
スノウが、嬉しそうに体の光を揺らした。
精霊は、聖樹が好きだ。
同じく、エルフも好きだ。
ゆったりとした聖樹の脈動が、心を落ち着かせる。
デューゼの森にも聖樹があったらしいが、自分が生まれた頃には、すでに一本も残っていなかった。
スノウのちからのおかげで、この辺りで精霊の反応を捉えた。
だが、一か月近く探しても目視では確認できていない。
そんなに簡単に見つかるとは思っていない。
むしろ、たった三年で精霊の反応を捉えたことの方が奇跡に近い。
「……」
人の気配を感じ、キリはスノウごとマントをかぶって顔を隠した。
後ろから、足音がゆっくりと近づいてくる。
「よう、旅のお方。今日も来ていたか」
現れたのは、人族の老人だった。
足元まで隠れる白の長衣をまとっている。
リリアンヌに白のちからを送った女の服と、よく似ていた。
「お前さんは、よほどここが気に入ったんだの」
老人は、よいせと聖樹の根元に座り込んだ。
「お前こそ、毎日来ている」
「そりゃ、祈りはかかせんよ」
答えながら右手で額に円を描き、両手を胸の前で組んだ。
「こちらの旅人さんに、どうか精霊王オーリアの祝福がありますよう」
この不思議な仕草が、人族の祈りの方法らしい。
「……」
老人が祈る間、キリはゆっくりと辺りを見渡した。
ここは湖が近く、生き物が多い。
いたるところから動物の気配を感じる。
だが、その気配の中には精霊はいない。
「…お前さんの波動は、心地よいな」
ふいに、低い声が落ちた。
「…アウラ?」
キリは、静かに視線を老人に向けた。
「魂の気配とでも言えばいいか…改めて説明するのは、難しいの」
老人は顎をさすり、困ったように笑った。
「祈っておるとな、人の“色”が見えてくる。お前さんからは、優しい白が見える」
「……」
「それから、濃い紫だな。それが混じり合っている」
「……」
「不思議なもんでな、“波動”は、環境で大きく変わる」
老人は、気にすることなく言葉を続けた。
「長い間凝り固まった紫を、白が、優しく溶かしておる」
「…よく分からない」
「つまり、お前さんは今、随分と優しい環境にいるということだ」
「……」
キリは再び黙り込んだ。
「院長っ!」
元気な声が、湖の方から飛んできた。
少年が舟から下り、勢いよく駆けてきた。
「おお、ビッケ」
老人が手を上げて答えた。
「お前、またここまでひとりで来たのか?」
「舟で来たから、平気だって……わっ、またいる」
駆けてきた少年はマントをかぶるキリを見上げると、訝しげに足を止めた。
「それでビッケ、どうした。ラガーグが呼んでいるのか?」
「あ、うん。父ちゃんが、リヨラル砦の方まで巡回に行くって」
「また、何か不穏を感じ取ったかの」
老人は立ち上がると、申し訳なさそうな顔を浮かべた。
「旅のお方よ、話の途中ですまんな」
「……」
話を続けていたつもりは、なかった。
「お前さんは、今ある繋がりを大切にせにゃいかんぞ」
老人はキリに手を上げ、少年と共に去っていった。
「…なあ、院長。あの人、誰」
「旅のお方だ」
「それは、分かるけど。なんでずっとこの辺りにいるの」
「それは、お前にもいずれ分かることだ。ビッケ」
「?…ふ~ん」
やがて老人たちは森の中へ紛れ、見えなくなった。
「……」
キリは目を離し、再び聖樹に向き直った。
精霊の反応は、この聖樹の近くからしている。
探し方を変えてみるか。
それとも、私には見つけられないのか。
…もしかしたら、彼女なら。
精霊に愛される、彼女なら――
「…ホ~」
マントの下から、小さく鳴く声が聞こえた。
「!」
すぐに頭からマントを払いのけた。
スノウは大きく胸を膨らませると、羽を広げ、
ふわりと宙に舞い上がった。
「ホ~!」
嬉しそうに鳴き、空高く飛んでいく。
「……」
キリは、じっと遠ざかる白い光を見つめた。
やがて、その姿が見えなくなり――
「…目覚めるのか」
静かに呟き、遠い王都の方角へ目を向けた。
第十章・完




