兄のたったひとつの条件②
サイラス視点
「今日は、たくさんの騎士の方がいらっしゃいますわね。サイラス殿下のご人望が厚いことが、よく分かりますわ」
「…皆、自慢の上司や同僚だ」
奴らは、何をしている。
身代わりになるような若い騎士を大勢呼んだのに、結局捕まってしまった。
「わたくし、今日が初めての社交の場で本当に良かったですわ」
マリドーナは、サイラスの腕に絡みついたまま嬉しそうに言った。
「お父様からこの祝宴の話を聞いた時から、わたくし楽しみで――」
「……」
サイラスは足を進めながら、心の中で深い溜息をついた。
――王族が十九歳にもなって婚約者もいないなど、前代未聞だわ
――いいこと?今日、必ず。結婚相手を見つけてきなさい
いつまでも動かない父と自分に、とうとう母が吠えた。
分かっている。
俺は、嫡男だ。
いつかは、エラドリオール家を継がなくてはいけない。
分かってはいるが…
正直、誰でもいい。
相手もどうせ、王族という身分しか見ていない。
こんな駆け引きのようなことをせずとも、父が勝手に選べばいい。
容姿も性格も、何も気にしない。
ただひとつの条件さえ、満たせればだが。
「まぁっ…月がとても綺麗に見えますわ!」
甲高い声に、サイラスは思考を止めた。
「まるで、わたくしたちを祝福しているようではありませんか?」
「…今日は、ちょうど満月だったのだな。ここからは、よく夜空が見える」
サイラスは笑みを作ったまま、マリドーナの言葉を流した。
「エラドリオール邸に初めて訪れましたが…王城のように大きな屋敷で、とても驚きましたわ」
「君の住んでいるタシュドラ城の方が、ずっと大きいだろう」
「いいえ…古くて、陰気臭いところですわ」
マリドーナは一瞬、馬鹿にするような表情を浮かべた。
「エラドリオール邸みたいに綺麗で豪奢な屋敷に住めたら、きっと毎日が楽しいでしょう」
「…私も、そう思っていた」
エラドリオール邸に帰ってくれば、
いつでも楽しい日々が待っていると思っていた。
「…ま、わたくしったら、ごめんなさい」
大袈裟に、はっと息を呑んだ。
「その…リリアンヌ様は、今もこの屋敷で…?」
「まだ眠っている」
サイラスは短く答えた。
「わたくし…リリアンヌ様と、何度も話をしたことがあるのです」
マリドーナは目を伏せ、ぎゅっとサイラスの腕に絡みついた。
「どなたにでも優しくいらっしゃって、大変可愛らしいご令嬢でしたわ」
「……」
「お可哀想に…女性でありながら、戦場にお立ちにならなければいけないなんて」
「……」
「早くお目覚めになりませんと、ご婚約も遅れてしまいますわね」
「心配してくれて、感謝する。私も、何も考える気になれなくてな」
「ええ、ええ…そうでしょう。わたくしにも、妹がおりますが――」
「妹が目覚めるまで、私は結婚しないつもりだ」
「…えっ?」
マリドーナは、ぱっと顔を上げた。
「妹が目覚めた時に、あまり状況を変えておきたくないからな」
サイラスは前を見つめたまま、きっぱりと言った。
「で、ですが…いつお目覚めになるか、分からないのでしょう?」
「そうだな。明日かもしれないし、十年後かもしれない」
「じゅっ…!?」
「十年後なら、私は二十九になる。だが、それでも妹を優先したい」
「……」
沈黙が落ちた。
「…戻ろうか」
サイラスは、庭から会場へ足を向けた。
「わ、わたくしは、待てますっ…!」
マリドーナは、サイラスの腕をぐいっと引き寄せた。
「十年後でも、わたくしはまだ二十六歳ですわ!ですから」
「私は何よりもリリアンヌを優先するが、それでもいいだろうか」
「…へ?」
「私は、誰よりも一番妹を愛している」
サイラスは、真剣な表情で言い切った。
「それは、絶対に今後も変わらない自信がある」
「……」
マリドーナの絡めていた腕が、緩んだ。
「子が生まれたら、妹に名付けてもらいたいと思っている」
サイラスは、構わずに言葉を続けた。
「妹が望むなら、私と一緒に住み、妻を別邸に置くつもりだ」
「……」
「妹が望むなら、跡継ぎの座を譲ってもいいと思っている。それでもいいだろうか」
「…リ、リリアンヌ様は…愛されていらっしゃいますわね…」
マリドーナは、ひくりと口を引きつらせた。
「そうだな。私の自慢の妹だ」
サイラスは、今までで一番自然な笑顔を浮かべた。
相手に求める条件は、ただひとつ。
リリアンヌを、何よりも優先して考えられる者。
妹は、まだまだエラドリオール邸で暮らす。
もし俺が結婚すれば、妻も同じ屋敷に住むことになる。
リリアンヌに、何ひとつ負担をかけさせたくない。
妹を立て、邪魔をせず、脇役として振る舞えるような女性。
それが理想だ。
「…もう、戻ってきたのか」
ロデオは正面を見たまま、小声で囁いた。
「どうやら、お眼鏡に適わなかったようです」
サイラスは笑顔を浮かべ、同じように囁き返した。
「…はっ…それで、オーニル長官。何の話だったか」
「あ、ええ…ロデオ総長、我が領に派遣されている騎士たちについてですがね…」
「……」
マリドーナはサイラスから離れると、静かに父親の陰に隠れた。
「……」
サイラスも同じように静かに下がると、
そのまま、逃げた。
この返しは、いい。
完璧だ。
だいたいの令嬢は、これで引くだろう。
再び庭に出たサイラスは、屋敷の陰に身を潜めた。
「…はぁ」
というより…すべて、事実だ。
俺は、何よりも妹が一番大切だ。
妹の前では格好つけ、良き理解者のふりをしていたが。
本当は毎日会いたくて仕方なかったし、ずっと抱きしめていたいくらいには愛している。
精霊の加護を貰い、王城へ通うようになったことも。
エルフが護衛について、城下町へ行くようになったことも。
俺に何も言わず、リリアンヌが伯父たちとデューゼの森へ行こうとしたことも。
すべて、納得いっていなかった。
援軍として、ザンビア砦に向かった時――
砦に着くまでは、伯父を殴り倒す気でいた。
いい加減にしろ、と。
勝手にリリアンヌを連れて行くな、と。
しかも、聖守護騎士団とザンビア兵が妹たちを襲う気でいるという。
もう、許さない。
妹と二人で、王都から出ていってやる。
そう、思っていた。
だが、あの巨大な異形の存在が現れて、
考えが、まるきり変わった。
城塞の下から、リリアンヌが異形の存在と対峙する姿を、ただ見つめていた。
戦う妹は、勇ましかった。
あの場にいた男どもの、誰よりも格好良かった。
俺なんかより、ずっと戦士だった。
精霊王が現れた時は、驚きよりも、やはりなと納得の方が大きかった。
妹は、選ばれし者なのだ。
精霊王からも好かれるような、特別な存在なのだ。
妹が、誇らしくて仕方ない。
どんな女性でも、リリアンヌには到底及ばない。
可愛さでも、優しさでも、勇ましさでも。
誰も勝てない。
重度の妹馬鹿と陰口を叩かれようが、関係ない。
実際に、我が妹はすごいのだから。
早く…目覚めてくれないだろうか。
また「お兄様」と呼び、可愛らしい笑顔で飛びついてくれないだろうか。
…飛びつかれたことなど、ないが。
「…あっ」
茂みの方から、がさっと人影が現れた。
「…サイラス殿下。大変失礼いたしました」
現れた人影は、女性だった。
「…こんなところで、何している?」
真面目そうな印象の令嬢だ。
首元まで詰まるドレスを着ていて、髪も後ろできっちり束ねている。
「サイラス殿下こそ。本日は、主役のはずです」
「少し…疲れた」
仕事口調に、つい正直に返した。
「あら…同じですわ」
「邪魔なら、ここから消えるが」
「いいえ。どうぞわたくしのことはお気になさらず、こちらでごゆっくりお休みください」
令嬢はそう言うと、壁際に身を寄せた。
本当にそのまま、気配まで消すように黙り込んだ。
「……」
それはそれで、落ち着かない。
「…あなたは、何から逃げている?」
思わず、尋ねていた。
「父と兄からです。わたくしの結婚相手を、何がなんでも見つけたいようでして」
令嬢は、肩をすくめて答えた。
「わたくしは、結婚する気などありません。家督を継ぐわけでもありませんから、放っておいてほしいのですが」
「…そういうわけにはいかないだろう」
一族繁栄のため、親はできる限り娘を良い条件のところへ嫁がせたがるものだ。
まったく、人のことは言えないが。
「わたくしは、仕事が好きなのです。正直、それ以外のことは考えられません」
「仕事をしているのか」
王族相手に、随分と正直に話す令嬢だ。
「はい。端くれですが、文官として文官塔に勤務しております」
「それはすごいな」
女性が働くことは珍しくないが、文官に女性がいるとは知らなかった。
「いいえ、何もすごくはありません。わたくしは…もっとすごい女性を知っております」
令嬢の声色が一瞬、熱を帯びた。
「…それは、私でも知っている人物か?」
「ええ、もちろんです。…サイラス殿下の、妹様ですから」
「……」
サイラスは、訝しげに眉をひそめた。
これは…社交辞令か。
妹の名を、利用されているのか。
「リリアンヌ殿下はまだお若いのに、国を背負い、戦いの前線に立たれて――」
「……」
…可哀想に、か。
結局、一緒だ。
誰もが、リリアンヌを可哀想な少女へ仕立て上げる。
「…本当に、勇敢で格好良いです。とても、尊敬しています」
まっすぐな声が、そっと落ちた。
「…!」
「あ…もちろんサイラス殿下や、騎士の皆様方も尊敬しています」
「…無理に、世辞を言わなくていい」
取って付けたような言い方に、思わず苦笑した。
「…あのっ」
令嬢は、意を決したように顔を上げた。
「あの…もし、よろしければ…」
「…なんだ?」
「リリアンヌ殿下の話を、お聞かせくださいませんか?」
令嬢の目は、真剣だった。
「……」
「父や兄からも聞くのですが、二人とも文官なものでして、噂程度しか知らないのです。サイラス殿下でしたら、よくご存知でしょうから…」
令嬢の声が、どんどん小さくなっていった。
「…王族相手に、大変失礼なことを言いました。申し訳ありません、忘れてください」
「…ぶはっ」
サイラスは、堪らず吹き出した。
「…くくくっ…」
変な令嬢を見つけた。
隣にいる主役を差し置いて、少しでも妹の話を聞こうとしている。
「…わたくし、そんな面白いことを言いましたでしょうか」
令嬢は、冷ややかな視線をサイラスに送った。
「…はあ、失礼した」
「いいえ、こちらこそ」
「いくらでも妹の話をしてやろう。だがその前に、ひとつ教えてくれ」
だが、この令嬢なら――
「あなたの名前は?」
「わたくしは――」




