兄のたったひとつの条件①
サイラス視点
「――弱き者を助け、苦しむ者に手を差し伸べ、かの者たちの守護者となれ」
伯父の声が、頭の上から降り注いだ。
「主を護る盾となり、主の敵を討つ矛となり、その身をもって国を支えよ」
切れ味の良さそうな剣が、自分の肩に置かれている。
「国に、忠誠を誓え」
最後の、締めの言葉だ。
「……」
サイラスは跪いたまま、より深く頭を下げた。
肩へ、三度剣が軽く触れた。
やがて、目の前へ剣が差し出された。
その剣に手を添え、軽く口づけをした。
「騎士サイラス・エラドリオール。今後も、誠実さと謙虚さを忘れずに励め」
「はっ!」
謙虚さを、強調された気がしたが。
気にせず返事をし、立ち上がった。
「ここにまた、ひとりの騎士が生まれた。我が国が誇る騎士が増えたことを祝おう」
国王の言葉に、玉座の間が拍手に包まれた。
サイラスは後ろへ振り返ると、忠誠の儀を見届けた人々に向けて一礼した。
十九歳にして、ようやく騎士になった。
遅くなったのは、自分の性格に問題があったことは分かっている。
この性格を変えなければ騎士になれないと言うのなら、別にそれでもいいと思っていた。
それでも、妹が目覚める前には騎士になれて良かった。
本当は…この儀を、彼女にも見てほしかったが――
ザンビア砦の戦いから、二年。
リリアンヌは、まだ目覚めない。
―――
「サイラス、騎士叙任おめでとう。私も、感慨深い」
宴の中盤で、ようやく一番会いたかった人物を見つけた。
「ナイジェル隊長…!本当にありがとうございました」
サイラスは、今までよりも丁寧に頭を下げた。
「私はどんな立場となっても、あなたには一生頭が上がりません」
「いや、お前はもう私の従騎士ではない。お前が王族として動く時は、私はお前の駒として戦おう」
「やめてください…!隊長だけには、絶対に逆らいません」
「そこまで私を買ってくれるとは、光栄だな」
ふっ、とナイジェルが笑った。
「しばらくは、王都を離れるのか」
「はい。一年ほどかけて辺境を巡り、防衛について学んでくる予定です」
「どの辺境の騎士も、色があり癖もある。お前には、よい勉強になるだろうな」
「ただ、その間に妹が目覚めたら、何を差し置いても王都に戻ってくる予定です」
「…サイラス」
ナイジェルの声が、わずかに低くなった。
「はい、なんでしょうか」
「お前はいずれロデオ総長の後を継ぎ、この国の軍を司る立場となる」
「いいえ、必ずそうなるとは限りません。マルウィン王子が訓練校に入ったようですから、彼が就く可能性もあります」
「…私が言いたいことは、そういうことではない。たとえ総長にならずとも、いずれは領地を治めるなり、部隊を持つなりするだろう」
ナイジェルは眉を寄せながら、ゆっくりと言葉を選んだ。
「お前はこれから、人に命令を下す立場となる」
「ええ、そうですね」
「いいか?お前が、人の上に立つのだぞ」
「はい。分かっています」
サイラスは、こくりと頷いた。
「……」
「振り回したりは、しません」
「…その言葉が出てくること自体、不気味だが」
ナイジェルが、小さく溜息を漏らした。
「今日は、めでたい場だ。この辺にしておこう」
「えっ、もう行かれるのですか?」
「主役のお前を、私が独り占めするわけにはいかない。痛いほど視線を感じているからな」
ナイジェルは苦笑すると、ぽんっとサイラスの肩に手を置いた。
「そろそろ、妹以外の女性に目を向けろ」
すぐに手を離すと、そのまま賑わう会場の中へ紛れていった。
「……」
ひとりになってしまった。
「サイラス殿下、騎士叙任おめでとうございますっ!」
「少し、お話ししてもよろしいでしょうか?」
すかさず、目の前に令嬢二人が現れた。
「…キャスリン嬢、ラフィーネ嬢。久しぶりだ」
サイラスは、貼り付けた笑顔で返した。
「きゃっ…覚えていてくださったのですね」
「あなた方は、印象的だからな」
「そんな、サイラス殿下にお名前を覚えていただけるなんて、本当に光栄ですわ」
「……」
ああ…面倒くさい。
今すぐ逃げたい。
防波堤として呼んだ二人は、まだか。
「…それで、サイラス殿下。リリアンヌ様は、まだお目覚めになられないのでしょうか?」
キャスリンが、深刻そうな表情を浮かべて切り出した。
「…ああ、残念ながらそうだ。だが、きっともうすぐ目覚める」
「本当に…ご心配です」
ラフィーネは眉を下げ、瞳を潤ませた。
「リリアンヌ様には一度、お目にかかったことがあるのです。あんな小さなお体で国を護られたなんて、心が痛みますわ」
「…うるせぇな」
「あら…ごめんなさい、サイラス殿下。よく聞き取れませんでしたわ」
「心配してくれてありがとう、と言ったのだ」
サイラスは、ふっと笑って目を細めた。
「まっ…」
「きゃあ…」
令嬢たちは、ぽっと頬を赤くした。
ふいに、会場の入り口がざわついた。
…やっと来たか。
「…令嬢方、話しているところすまない。どうやら、私の従弟が来たようだ」
「…えっ!?」
「いとこって…!」
令嬢たちは、勢いよく入り口へ振り返った。
「また、ゆっくり話そう」
その間をすり抜け、サイラスは足早に扉へ向かっていった。
入り口の扉付近に、すでに人だかりができている。
その奥で、嫌でも目立つ男が、案内の者と何か話していた。
令嬢たちが構え、すぐにでも現れた人物のもとへ駆け込もうとしている。
「…やあ、ブライアン殿下!」
サイラスは、駆け込まれるより先に大きな声を出した。
「私のためにエラドリオール邸にお越しいただき、ありがとうございます」
「!サイラス、このたびはおめでとう」
ブライアンは扉から入ってくると、まっすぐサイラスのもとへ近づいた。
「遅くなって、すまなかった」
「そんなことは、どうでもいいのです!ブライアン殿下、少しお話しませんか!」
「え?ちょっ…」
サイラスはブライアンの肩に腕を掛けると、会場の端まで引っ張っていった。
「…おい、ブライアン」
端に着くなり、低く口を開いた。
「お前、もう十八になるっていうのに、なぜ婚約のひとつもしていないんだ」
「……」
「お前、まさか…本気でリリィを待ってるんじゃねぇだろうな」
「まったく…お前は、本当に変わらないな。離せ」
ブライアンは呆れたように溜息をつくと、サイラスの腕を振り払った。
「私は、先を見据えて考えているだけだ。お前と一緒にしないでもらおうか」
「…あ?」
サイラスは、訝しげに眉を寄せた。
「いつまでも妹離れしないと、リリアンヌに嫌われるぞ?」
「なんだ、てめぇ。随分、生意気になったな」
「お前にいじめられていた頃のままだと思うな」
「いじめていたわけじゃないだろ。ただの躾だ」
「…あれを躾と呼べるお前が、すごいよ」
「アランフォースの従騎士になって、頭をやられたか」
「アランフォース副団長は、関係ない」
ブライアンは言いながら、入り口の方へ目を向けた。
「きゃああっ…!アランフォース様だわ」
「ほら、ついてこい。副団長へ挨拶に行くぞ」
「はぁ…本当に格好いいわ…」
「どうしてまだ独り身なのかしら」
ブライアンに続いて入場してきた男が、あっという間に囲まれた。
「まあ…おかげで、随分と鍛えられたが」
その様子を見ていたブライアンが、くっと笑みをこぼした。
「あの人のあんな表情は、初めて見るな…ふっ、困ってる」
「…本当に、生意気になったな」
サイラスは目を細め、従弟を睨みつけた。
ついこの間までは、いつも俯いていたくせに。
心なしか、また体格も良くなった気がする。
背丈までほとんど変わらなくなってきたことも、気に食わない。
「…それで、サイラス」
ブライアンは入り口から目を離し、サイラスに向き直った。
「来月から、しばらく各地を巡るのだろう?」
「…ああ。北土諸侯会議が終わったら、マシュー長官について行く」
「まずはアッシカル領に行くのか。寂しくなるな。気を付けて行ってこいよ」
「はっ…微塵も思っていないこと言うな」
「そんなことはない。訓練校時代から数えても、お前とひと月以上会わないのは初めてじゃないか?」
「リリィより、お前と顔を合わせていた事実を突きつけるなよ」
「事実だろう」
ブライアンは、ふはっと思わず吹き出した。
「きゃぁっ…ブライアン殿下が笑ったわ!」
「何を話されているのかしら」
「本当に、絵になるわ…」
「お二人は、兄弟のように似ていらっしゃるものね」
辺りが、一気に騒めき立った。
「……」
サイラスとブライアンは、静かに目配せをした。
「…ほら、待っているぞ。主役」
「違う。俺を待っていない。お前だろ」
「一緒に挑みますか?兄上」
「お前に兄上と呼ばれることも不快だし、挑まない」
「…おいっ!」
サイラスは素早くブライアンの後ろに回り込むと、令嬢たちの方へ押し込んだ。
「ブライアン殿下っ!お久しぶりですわ」
「私のこと、覚えていらっしゃいますか?」
「あ…やあ、令嬢方。もちろんだとも」
サイラスはブライアンの気まずそうな声を満足そうに聞き、その場を離れた。
「捕まえたぞ」
離れた途端、後ろから襟首を掴まれた。
「…父上。さすがに、社交の場ではやめてください」
「そう言うなら、逃げるな。ついてこい」
ロデオはそのまま、一組の親子の前までサイラスを連れていった。
「サイラス殿下!騎士叙任ならびに十九歳の誕生日、おめでとうございます」
「サイラス殿下、おめでとうございます」
「オーニル長官と、そのご息女マリドーナ嬢だ」
ロデオは囁き、息子を二人の前に押し出した。
「…オーニル長官、マリドーナ嬢。祝いの言葉をありがとうございます」
サイラスは、口角を無理やり上げて返した。
「ますます逞しくなられて!また、御父上に似てきましたな」
人の善さそうなオーニルが、笑みを浮かべて言った。
「それは…何よりの褒め言葉です」
「さっそく次回の馬上槍試合には、参加されるので?」
「いや、息子は来月から一年ほど、実地の軍務を学ぶため国を巡る。
試合に参加できるのは、少なくとも一年後のことだろうな」
サイラスに代わり、ロデオが答えた。
「ほう…!そうでしたか!それはまた、素晴らしい」
オーニルが、わずかに目を光らせた。
「着々と、総長である御父上の跡を継がれていますな」
「いいえ…ただ修行の一環として、辺境の地へ赴くだけです。父には、まだ遠く及びません」
サイラスは、いつもよりずっと静かな声で答えた。
「ふむ…辺境ということは、我が領にはいらっしゃらないのですかな」
「ええ、残念ですが。隣領であり、栄えているターリ領には、修行ではなく観光で行きたいものです」
「ええ、ええ!ぜひ、いらしてください。私の一族は全員、音楽が得意でしてね…」
「ああ、そうだ。その話の途中だったな」
ロデオが、はっと会話に加わった。
「なんでも、マリドーナ嬢はハープの名手だとか」
「名手だなんて、恥ずかしいですわ。少しばかり、嗜んでいる程度でございます」
オーニルの後ろに立っていたマリドーナが、ほほっと小さく笑った。
「サイラス殿下、私の娘はついこの間、成人を迎えましてね。今日が初めての社交の場なのですよ」
「そうでしたか」
そろそろ、頬の筋肉が疲れてきた。
「サイラス殿下…初めまして。お会いできて、本当に光栄ですわ」
「マリドーナ嬢、こちらこそ。あなたのような美しい女性に出会えて、大変光栄だ」
「ま…」
マリドーナは、嬉しそうに頬を染めた。
実際、マリドーナは美しい。
成人したばかりとは思えないほど豊満な体つきでもある。
世の男はこういう令嬢が好きなのだろうなと、他人事のように思った。
「私は、オーニル長官と話すことがある。若者同士、話してきなさい」
「えっ」
サイラスは、ばっとロデオに顔を向けた。
「それはいいっ!マリドーナ、行ってこい」
すぐにオーニルが賛同した。
「まあ、よいのですか?それでは少し、庭の方へ行きませんか?」
「…喜んで」
サイラスはマリドーナに向かい、すっと腕を差し出した。
騎士になったばかりだ。
女性には、紳士であれ。
「行きましょう…!」
マリドーナは、勢いよくサイラスの腕に両腕を絡ませた。




