市井に届いたもの②
サム視点
「ただいま~」
メルが、孤児院の扉を開けた。
「…?兄ちゃん、入らないの?」
すぐに振り返り、不思議そうに首を傾げた。
「…ちょっと、ギタンのとこ行ってくる」
「じゃあ、オレも」
「お前は、もう寝ろよ。明日も早いんだからさ」
サムはメルを置いて、ひとり菜園の方へ進んでいった。
菜園の奥に広がる森の中に、ぽつんと小屋がある。
そこに、ギタンはひとりで住んでいる。
オレたちを拾った頃から、ずっとここにいた。
薬療院の番人のような、シルヴィアの付き人のような…
よく、役割は分からないけど。
オレに生き方を教えてくれたのは、ギタンだ。
小屋に近づくと、扉がゆっくりと開いた。
オレの気配に、気付いたのだろう。
「…派手にやられたな」
扉から出てきたギタンが、ふっと低く笑った。
「…あ」
言われて、気付いた。
前掛けが、大皿の料理でべっとり汚れている。
「…ちょっと、下手を踏んだ」
サムは前掛けを腰から外すと、ぽいっと小屋の脇に落とした。
洗うのは、明日でいい。
メルも今頃、前掛けを着けたままだったと気付いているだろう。
「そうか」
ギタンは身を引き、小屋の中にサムを招き入れた。
「怪我してんなら、シルヴィアに軟膏でも塗ってもらえ」
「喧嘩したわけじゃないから。これくらい、大丈夫」
灯りの下で、肘をすり剥いていることにも気付いた。
「酒か茶しかねぇ」
「…茶を貰っていい?」
「ほら」
ギタンは、すぐにコップをテーブルに置いた。
「ありがとう」
サムは椅子を引き、コップの前に腰を下ろした。
「今度は、何の噂を拾ってきた」
「…え?」
「今度は、何が不安なんだ」
ギタンは向かいの椅子を引き、どかりと腰掛けた。
「…リリィは、本当に眠ってるのか?」
ギタンには、なんでもお見通しだ。
だからこそ、いつでも答えを求めてしまう。
「そう城から公表されただろ。なら、それが事実だ」
「…本当に、生きているのか?」
メルにはそうだと答えたけど、
不安で、仕方ない。
「当たり前だ。そこまであいつらは嘘つきじゃねぇ」
「…あいつら?」
ギタンは、たまに誰かのことを“あいつ”と言う。
「噂に振り回されるな。公表されたことだけを信じろ」
「…なんで、リリィが戦わなきゃいけないんだ」
サムは、ぎりっとコップを握りしめた。
「騎士も兵士も、何してたんだ」
「戦ったんだろ。敵わなくて、大勢死んだ」
ギタンは、淡々と答えた。
「そんな相手を…リリィが本当に倒したのか?」
「お前は、リリィを見ていてそれが嘘だと思うか?」
「…いや。リリィなら、本当にやりそうだ」
剣の腕は、オレとほぼ互角だ。
でも、そういうことじゃない。
病が治る作物を、毎日収穫できる菜園に変えてしまうようなちからがある。
実際に、肩に乗る精霊をこの目で見た。
物語でしか見たことのないエルフだって、傍にいた。
リリィはいろいろ、規格外だ。
「気になるなら、次に来た時、本人に聞けばいい」
「…でも、今は眠ってるって」
「だから、目覚めたらの話だ」
「…また来るかな」
「約束している。必ず来る」
ギタンは、きっぱりと言い切った。
「リリィは、必ずまたここに来る。だから、人の心配より自分の心配をしろ」
「…えっ?オレの?」
「お前はあと二年で成人だ。今のまま、日雇いの仕事を続ける気か?」
ギタンは、くいっとコップを傾けた。
「…そうだな。どうしようか」
つられて、一口飲んだ。
いつもシルヴィアが淹れてくれる、ぽかぽか茶だった。
「仕事は…楽しいんだよ」
日雇いの仕事は、どれも好きだ。
たまに今日みたいな目には遭うけど、それでも思った以上に金を稼げている。
組合で、成人した後の働き口も斡旋してもらえる。
字の読み書きも計算もできると言ったら、いくらでも紹介できると言われた。
想像していたより、ずっと選べる未来があった。
だからこそ逆に、何を選べばいいのか決められない。
「お前は、兵士になる気はないのか」
「…!」
サムは、はっと顔を上げた。
兵士。
考えたこともなかった。
「それだけ剣が扱えりゃ、問題なく入隊できる」
「…貧民区出身でも?」
「今の王になってから、入隊条件は緩くなったはずだ」
「だけど、守衛隊になるためには素性調査もあるんだろ?」
「俺が言ってんのは、王領内で募集している兵士のことだ」
「ああ…関所とかを護ってる兵のことか」
「まあ、そうだ」
「…兵士か」
サムはコップを置き、頬杖をついた。
兵士になれば――
もっと、リリィのことを知れるだろうか。
何か少しでも、役に立てるのだろうか。
それとも、
ザンビア砦で死んでいった兵士のひとりになるのだろうか。
「リリィは、関係ないぞ。お前が何をやりたいか考えろ」
「……」
ギタンには、すべてお見通しだ。
兵士の給金は…悪くない。
領内どこへでも行かされる可能性があるし、戦争が起きれば駆り出される。
危険な任地では、給金も増えるらしい。
薬療院に仕送りする余裕だってできるだろう。
「やりたいこと…」
働くことは、好きだ。
自分のやったことが金になって返ってくる瞬間が、一番嬉しい。
それなら、危険な分だけ稼げる兵士は、オレに向いているんじゃないか。
ただ…そうなると、メルとは一緒に住めない。
それに、あいつが成人する頃には、オレは死んでいるかもしれない。
…あのメルが働けるような場所なんて、あるだろうか。
今は嬉々として煙突掃除に行っているけど、体が大きくなったら、もうできない。
メルは、我慢ができない。
身内が傷つけられると、すぐにかっとなる。
それが良いところでもあるけど、それではどこからも仕事が貰えない。
自分たちは、差別されて当たり前なのだから。
「……」
…当たり前?
違う。
それが普通ではないと、
あいつが、気付かせてくれただろ。
「…うん、そうだよな」
サムは、ひとり納得して頷いた。
貧民区出身だからと、差別を受け入れる必要はない。
今日のような酒場で、メルが我慢して働く必要はない。
「オレ…チビどもが働けるような場所を、作りたい」
ただの、思いつきだ。
「貧民区の奴らが、気兼ねなく働けるような場所を作りたい」
それでも口に出したら、急にやる気が出てきた。
「そりゃ、いいな。お前に、向いてる」
ギタンが、ふっと笑った。
「本当?」
「お前は誰かの下で働くより、連中の先頭に立つ方が似合う」
「…ありがとう」
なんだか、気恥ずかしい。
「…まだ、何をやるかも決めてねぇけどな」
サムは誤魔化すように、頬をぽりっと掻いた。
「あと二年ある。ゆっくり考えろ」
「そうだな」
貧民区出身でも、気兼ねなく働けるような場所――
きっと…口で言うよりも大変だ。
経営の、けの字も知らない。
それに、貧民区出身という偏見はどこまでも付きまとう。
それでも…もし、実現できたら。
成人を迎えた貧民区の子供が、働ける場所がなくて、また貧民区に戻ってくる。
そんなことは、なくなる。
そうしたら、いつかは貧民区もなくなるかもしれない。
…なんて、気が早いけど。
なんだか、楽しみになってきた。
次にリリィが来た時、オレが店を出していたら、驚くだろうか。
あの満面の笑みで、すごいと褒めてくれるのだろうか。
「…ふっ」
市場を案内した時のことを思い出したら、勝手に笑みがこぼれた。
王族の娘が、あんな美味そうに王都揚げを食うなんて、ずるいだろ。
「元気出たな」
「だな。戻るわ」
サムは茶を飲み干し、がたりと立ち上がった。
「あまり、根詰めるなよ」
「うん。話を聞いてくれて、ありがとう」
おやすみとギタンに言い、小屋を後にした。
流れているリリィの噂が本当か嘘かなんて、どっちでもいい。
ギタンの言うように、気になるなら、本人に聞けばいい。
そんな心配をしている暇があったら、自分のやりたいことを進めるべきだ。
二年なんて、あっという間だ。
何を…やるかな。
ふいに、ひとつの言葉が頭をかすめた。
『――まるで、便利屋さんみたいだね』




