市井に届いたもの①
サム視点
「おい!山みてぇな巨人の化け物が現れたって、本当かよ…!」
騒がしい酒場の中で、ひと際大きな声が耳に入ってきた。
「南から帰ってきたら、町中どこもその話で持ち切りだ。しかも、中央ザンビア砦なんてそう遠くねぇじゃねぇか」
「おう。あの砦で何かあったことは、間違いねぇ」
別の声が、自信ありげに答えた。
「どうしてだ?」
「近くの山まで行った奴が知り合いにいてよ。遠くからでも分かるくらい、砦が崩壊してたらしいぜ」
「あそこには、山ほど兵士がいるだろ」
「ほとんど、死んじまったってな」
「おい、兄ちゃん!エール二つ持ってきてくれ」
「…はい!ただいま!」
別の場所から上がった声に、サムは慌てて返した。
「本当に巨人の化け物なのか?山賊じゃなくて?」
エールを注文した男たちもまた、大きな声で話し込んでいた。
「山賊で、兵士が大勢死ぬかよ!あんなとこ、誰が襲うってんだ」
「かぁ…本当かよ。それで?リリアンヌ様が、その巨人の化け物を倒したって?」
「…!」
聞き慣れた名前に、ぴくりと体が反応した。
「そう発表があったな」
「精霊の加護を貰った姫さんが、巨人の化け物と相討ちして眠りについた…か。まるで、お伽話だな」
「おい、不敬で捕まるぞ」
「…エール二つ、お待ち」
サムが、どんっとジョッキを置くと、男たちは口を噤んだ。
「おい!ここ、飲み物こぼれてんじゃねぇかよ!汚ぇな」
「今、拭きます!」
雑巾を手にして、声の飛んだ方へ向かった。
「だってよ、お前は信じられるか?」
呼びつけた客たちは、床を拭くサムを気にせず話を続けた。
「オレは一度、巨人の化け物を見たことあるからな。あんなもんを、加護があるからって、姫さんが倒せるとは思えねぇな」
「だが実際、まだ眠ったままなんだろ?」
「それも、どうだか。もともと、あまり表に出てくるような方じゃなかっただろ」
「……」
サムは、いつもより念入りに床を拭いていった。
「何かをさ、誤魔化したかったんだろうな」
男二人の会話に、隣の席の男が加わった。
「何かって?」
「知らねぇが、兵士が大勢死ぬような何かだ」
「あ?なんだそれ」
「兵同士で、争ったのかもな」
「何のために?」
「そこまで知るかよ」
会話に加わった男は、小さく肩をすくめた。
「だが、リリアンヌ様を利用して誤魔化したんだ」
「そんじゃ、姫さんは何もしてないのか?」
「違う。オレは、眠るリリアンヌ様を運んでるアランフォース様を見た」
「あ?あの黒の騎士のアランフォース?」
「それ以外に、誰がいる」
「じゃあ、本当に…」
「まあ、何かにゃ巻き込まれたんだろうな」
「…襲われたのか?」
「大巨人の化け物を倒した、よりはよほど現実的だ」
「おい、いつまで床拭いてんだ!役立たず」
調理場から、怒鳴り声が飛んだ。
「…すみません」
サムは雑巾を脇に置き、空いた食器をテーブルから回収していった。
「ありゃ、本当に精霊の生まれ変わりだ」
「本当に、リリアンヌ様が巨人の化け物をお倒しくださった。間違いねぇ」
また別の席から、リリアンヌの名前が出た。
「自分が生きている時代に、あんな尊い方がお生まれになるなんてなぁ」
「そのうち、聖院に像がひとつ増えるかもしれんな」
「一番奥のテーブルだ」
店主が、どんっと大皿料理を台に置いた。
「…はい」
サムは慎重に大皿を両手で持ち、指示されたテーブルへ向かった。
「リリィは、そんな奴じゃない!」
「…!」
甲高い叫び声に、はっと顔を上げた。
店内の喧騒が、一瞬途切れた。
「…あ?なんだ、このチビ」
座る男たちが振り向き、前掛けを着ける少年を睨みつけた。
「リリィは、本当にすごいんだ!馬鹿にするな!」
「リリィって…姫さんのことか?…ぶはっ!お前、大正門の上で見た姫さんに惚れたのか!」
「…ちがうっ!」
「勝手に愛称で呼びやがって!不敬で、しょっぴかれちまうぜ」
ぎゃはははっ!と男たちが笑った。
「おい、メル…!やめろ」
サムは大皿を持ったまま、慌てて弟のもとまで近づいた。
「…取り消せ!リリィが目立ちたがり屋だなんて、取り消せ!」
メルは眉を吊り上げ、男たちに向かって叫んだ。
「うるせぇんだよ、ガキが」
別のテーブルで飲んでいた男が、メルの背中を蹴り飛ばした。
「!」
メルはサムにぶつかり、料理の載った大皿が、ガシャーンッと床に散らばった。
「おいっ!クソガキども!」
店主が顔を真っ赤にして、調理場の奥から飛んできた。
「安いから使ってやったのに、余計な仕事まで増やしやがって!」
勢いのままに、ぐいっとサムの胸倉を掴んだ。
「…申し訳ありませんでした」
「出てけ!お前らに、金なんて払うか!」
店主は扉に向かい、サムを突き飛ばした。
後ろに倒れ込み、ガンッと扉に背中が当たった。
「貧民区に戻れ、クソガキども!」
その言葉に、一瞬、店内が静まり返った。
「…貧民区のガキどもかよ!道理で臭うと思った」
「小銭稼ぎもできねぇとは、本当にカスだな」
「さっさとお家へ帰んな!…あれば、だけどな!」
すぐに、ぎゃははっと下卑た笑いが響き渡った。
「兄ちゃん…!ごめん、オレ…」
「…出るぞ」
サムは素早く立ち上がると、メルの腕を引っ張り、酒場を後にした。
外へ出るとメルから手を離し、黙々と通りを進んでいった。
道行く人たちが、不思議そうな視線を送っている。
そういえば、前掛けを着けたままだ。
だけど、外す気力もなかった。
「…本当に、ごめん」
メルは、小走りで兄を追いかけた。
「どうしても許せなくって…かっとなっちゃった」
「…オレも、全然集中してなかった」
サムは、ふっと息を吐いた。
「兄ちゃん…ごめんな。ここの仕事、もう二度とできなくなった」
「もういいよ。どうせ、長くは続かなかった」
落ち込む弟の肩を、ぽんっと叩いた。
「帰って、早く寝よう。明日もまた仕事だ」
通りはまだ、がやがやと騒がしい。
「巨人の化け物が」
「リリアンヌ様が」
「眠ってるって」
耳に入る単語は、どこも一緒だ。
誰もが、同じような話ばかりしている。
「…リリィのこと、目立ちたがり屋の姫さんだって言ったんだ」
ぽつりと、メルが口を開いた。
「兄ちゃんを治して、菜園まであんなにすごくしたリリィを…どうして馬鹿にできるんだ」
「…メル。それは秘密にしろって、ギタンにも言われただろ」
「…だってさ!ギタンばっかり、ずるいよ!オレだって、全部気付いたのに!」
メルは、がばっと顔を上げた。
「それなのにっ…ギタンにばっか、いろんな話してさっ…何も教えてくれなくて」
「…それは、八つ当たりっていうんだ」
「…なあ、兄ちゃん。リリィは、大丈夫だよな…?」
「……」
「眠ってるって…死んでないよな…?」
「…絶対に目覚める。そう発表があっただろ」
サムは前を見たまま、静かに答えた。
ザンビア山脈の砦に、かつてないほどの巨人の化け物が現れた。
また多くの兵が犠牲になったけど、騎士と共に向かったリリアンヌがそれを討伐した。
相討ちになり、リリアンヌもまた倒れた。
今は深い眠りについているが、必ず目覚める。
突然、そんな内容が国から発表された。
精霊の加護を授かった時と同じように、町は大騒ぎになった。
噂が飛び交っていて、どこまでが本当なのかも分からない。
発表から一週間以上経った今でも、町中、リリィの話だらけだった。
また、リリィは急に来なくなった。
二か月間、毎日のように来ていたのに、ぱたりと姿を現さなくなった。
またな、と言い合ったのが最後だった。
「あら、あんたら可愛い顔してんね。うちで働く?」
「やめときなってぇ。そいつら、貧民区のガキだよ」
「可愛けりゃ、貧民区のガキでも稼げるさ」
店の前に立つ娼婦たちに笑われながら、サムとメルは裏路地へ入っていった。
貧民区出身と分かれば、必ず差別を受ける。
差別しなかったのは、リリィだけだ。
大切な友達だとまで、言ってくれた。
だけど――オレは、リリィのことを何も知らない。
リリィは初めて孤児院に現れた時、ひとりきりだった。
半年間、ずっと。
今なら、分かる。
王族の娘がたったひとりで貧民区まで来るなんて、異常だ。
数多くいる使用人や衛兵にもばれず、こっそり抜け出していたのだろう。
リリィは、自分の話をほとんどしなかった。
孤児院に来る時は、いつでも笑っていた。
怒ったり泣いたりするのは、いつもオレたちのことだった。
だから、何も気付けなかった。
来られなかった時は…どこかに閉じ込められていたのではないか。
つらい思いを、していたのではないか。
もし発表された内容が、すべて本当の話なら。
加護を持っているからって、巨人の化け物と戦わせるなんておかしすぎる。
一緒に向かった騎士たちは、一体何をしていたのか。
たった十歳の少女が、天災のような存在に立ち向かうことに…
誰も、何も感じなかったのだろうか。




