精霊たちの時間④
リリアンヌ視点
「…リリアンヌ。君は、今の人生を楽しんでいるかい?」
「…え」
話が、丸きり変わってしまった。
「人族の子として、この時代を生きていて、満足しているかい?」
オーリアは、吸い込まれるような瞳をまっすぐに向けた。
「……」
私が前世の記憶を持っていることに、気付いているのだろうか。
さすがに、“物語”のことは知らないはずだ。
だけどオーリアの言い方は、まるで――
異なる世界で、この世界を知った君にとって、今の人生はどうだい。
そう、尋ねられているように聞こえた。
「ずっと昔はね…世界中が、ここのような景色だったんだ」
返事をする前に、オーリアが口を開いた。
「広がる自然と、精霊の世界。そこに、他の種族が共生していた」
「この世界は…どれくらい前に創られたのでしょうか?」
ずっと、気になっていた。
「この大地に初めて生命が吹き込まれたのは、三千年前の話だよ」
「…そんな前から」
気の遠くなるような年月だ。
「いろいろ…あった。あったはずなのに…まだ、すべてを思い出せない」
「でも…私はたった十年の間でも、思い出せないことがいっぱいあります」
三千年分すべてを覚えているなんて、それは少し無理じゃないだろうか。
「そういう意味ではないよ」
オーリアは、ふふっと笑みをこぼした。
「でも…きっと、大丈夫。ちからがもっと戻れば、記憶も返ってくるから」
「あ…オーリア様。白のちからを送ります」
今回は、まだ一度も送れていない。
「いや、今は駄目だ。いくら意識下とはいえ、ちからを使えば、君の本体に影響が出てしまうからね」
「まだ…私の体は、回復していないのでしょうか」
時間の感覚が、分からない。
だけどもう、ここで目を覚ましてから一時間は経っている気がした。
現実では、もう何か月と経ってしまったのだろうか。
「そうだね…まだ、もう少し」
オーリアは両手を岩の上に置くと、視線を遠くへ向けた。
再び会話が途切れた。
小川が、きらきらと陽に反射して輝いている。
精霊たちは鳥から離れ、今は花畑の上で遊んでいた。
黄色い花には蜜蜂が寄り、ふわふわと飛んでいる。
穏やかな景色が、心を温めていく。
「…ずっと、ここにいたい」
ぽつりと、本音がこぼれた。
目が覚めたら…
現実が、待っている。
私は、人を殺めた。
彼らは、ヌシカにより瘴気で操られていただけだった。
私だって…瘴気を送られて、誰かを攻撃してしまった。
遺族たちは、私のことを恨むだろう。
人殺しと、罵倒されるだろうか。
その方が、いい。
憎んでくれた方が、ずっといい。
もう、オーリア様が瘴気に飲み込まれる心配はない。
それに、私は十八歳で異形の存在になる可能性があるのならば。
もう、目覚めない方がいいのではないか。
「それは、駄目だ」
きっぱりとした声が返ってきた。
「そう…ですよね」
ここは、人族がいていい場所ではない。
「そういう意味ではないよ」
「え…?」
リリアンヌは、ゆっくりと顔を上げた。
「我は、君がここにいてくれることが嬉しい。精霊たちも、同じ気持ちだ」
オーリアは、優しい笑みを向けていた。
「だけど、君の帰りを待っている者がたくさんいる」
「…たくさん?」
「そうだ。君は、とても愛されている」
オーリアは思い出すように、ふふっと笑った。
「君は、予知夢の出来事をどう防ぐか、ずっと考えてきた。違うかい?」
「…はい」
正直に、頷いた。
「これからは、君が望むことをして生きていくといい」
「望むこと…」
「君に、今の人生を楽しいと思ってほしい」
「…!あの、嫌だってわけではないんです」
先ほど、答えを濁してしまったから。
心配させてしまった。
「その…今までの人生が楽しかったかと聞かれると、はいとは即答できません」
リリアンヌは、そっと目を伏せた。
この世に生を受けてから、ずっと、“デューゼの森の悪夢”が頭から離れなかった。
加護を授かってからは、今度は、どうやって防ぐかを考えてきた。
それに…いろいろな事件も起きた。
何度も、苦しい思いもした。
けれど。
「その分、かけがえのない出会いが、いくつもありました」
私が踏み出さなければ、出会えなかった人たちだっている。
もう、その誰しもが大切な人たちだ。
「…君の望みは、何だい?」
オーリアは、もう一度尋ねた。
「…大好きな人たちと、大切な時間を過ごしたい」
リリアンヌは、囁くように答えた。
私の世界は、まだまだ狭い。
やっと、城下町にだって出られるようになったばかりだ。
町巡りは…とても楽しい時間だった。
初めて、物語の未来のためではなく、自分の意思だけで決めた。
その気持ちを、大好きな人たちと分かち合いたい。
出会ってきた人たちと、もっとたくさんの時間を一緒に過ごしたい。
もっと――この世界を、知りたい。
「そうだね」
オーリアは、にっこりと笑った。
「人族の寿命は、短い。我からしたら、一瞬だ」
「そう…ですね」
三千年から見たら、百年も生きられない人族の一生は一瞬だ。
「人族として生きるなら、愛する者たちと過ごすべきだ。
大切な思い出を心に残して、また次の生に繋げる」
オーリアは、そっと自分の胸に触れた。
「君が愛する者の中に、我々精霊も入れてもらえれば、とても嬉しい」
「もちろんです」
リリアンヌは、力強く頷いた。
「オーリア様。私は、精霊探しを続けたいです」
デューゼの森の悪夢が防げたら、やりたかったことがあった。
「精霊を見つけて…デューゼの森へ、お返ししたい」
「そうすれば、我の封印するちからも強まるからね」
「それだけでは、ありません」
オーリアの言葉に、ゆっくりと首を振った。
「また…この世を、精霊と人が共生する世界にしたい」
王城地下にあったものを見て、
そして今回の襲撃で、よく分かった。
人は――精霊に対して、無知すぎる。
何も知らないから、簡単に精霊を傷つける。
実験しようなどと、愚かな考えが生まれる。
何も知らないからこそ、簡単に操られてしまう。
強さも知らず、自分のものにできると思い込むから。
何も知らないまま…異形の存在を憎み、恨む。
異形の存在が生まれた理由を、誰も知らないから。
「精霊は純粋で…とても優しい。愛してくれる人族のことを、同じように愛してくれます」
スノウも、ナナも、ルルも、ポポも。
みんな、私の願いに精いっぱい応えてくれた。
「私が生きている間には、きっと間に合わないけれど…」
そんなにすぐ、何かを変えられるとは思わない。
それでも。
「こんな優しい気持ちになれる存在がいることを、私は、みんなに伝えたい」
精霊は、遠い存在じゃない。
書物や物語に出てくるだけの存在ではない。
現実に――すぐ目の前で、生きている。
「それに…精霊たちが望むような世界に変われれば、私も嬉しい」
精霊は、人が大好きだ。
あれだけ虐げられてもなお、笑顔を向けてくれる。
それを人族も理解して、精霊を愛してくれれば、きっと――
『君は、世界を変えられる』
世界は、変われるから。
「…我ですら、諦めていた」
オーリアはふわりと微笑み、優しく体の光を膨らませた。
「君は、精霊たちの希望だ」
「…いいえ。まだ、何もできていません」
まだ、オーリアはちからを取り戻しきれていない。
それにまだ、何ができるのかも分からない。
「君はもっと、自信を持ちなさい」
「…!」
「君が思っているより、君の存在は、大きい」
オーリアは、そっとリリアンヌの手に手を重ねた。
「人族にとっても、精霊たちにとっても。君は、大切な存在だ」
「……」
それは…どうだろうか。
『この――悪魔め』
『お前が、憎い』
知らない間に誰かを傷つけ、憎まれている。
「前を向けば、それを妬む者は必ず出てくる」
オーリアは、そっと言葉を続けた。
「だけどそれ以上に、君の傍には味方がいるだろう?」
「…味方」
『まずは、味方をつくれ』
『やりたいことをしたいなら、信用できる味方を増やせ』
七歳の時に、ギタンに言われた言葉。
あの時は…まだ、本当にそんな存在ができるのか不安だった。
けれど。
『私を信用して、頼ってください』
アランフォースと、出会って。
『精霊の加護を授かった者を手助けするため、里から出てきた』
キリが、私のもとに現れた。
『俺を、信じられるか』
ようやく、レックスとも分かり合えた気がした。
『頼りないかもしれませんが、私も殿下の味方です』
アイラたち霊拝師が、私を受け入れてくれた。
ブライアンが、命懸けで一緒に戦ってくれた。
国王直属騎士団も、私を護り、立ち上がった。
ルイージだって、何度も王城で庇ってくれた。
兄は、いつだって私を優先してくれた。
エラドリオール邸のみんなも、いつでも私に笑いかけてくれた。
シルヴィアだって、サムたちだって――
いつの間にか…周りには、味方で溢れていた。
「……」
勝手に、涙がこぼれ落ちた。
『誕生日のお祝いに、なんでも買ってあげるわ』
『約束。だから、気を付けて行ってくるのよ』
母と。
『なんでも買ってやるから、必ず戻ってこい』
『待ってるからな』
父と、約束を交わした。
どうしてだろう。
つい、この間会ったばかりのはずなのに。
みんなの顔が、
声が、
ひどく、懐かしく感じた。
「みんなに…会いたい」
一度思ったら、もう、堪らなくなった。
「…もう、起きる時が来たようだね」
その言葉に、精霊たちがすぐに集まった。
「…元気でね」
リリアンヌは両手を伸ばし、三つの優しい光に触れた。
ナナたちはくすぐったそうに、ちかちかと光を揺らした。
「また、必ず会おうね」
この子たちとは、また会える。
絶対に。
「…いいかい、リリアンヌ」
オーリアは、そっと口を開いた。
「決して、ひとりで無理をしては駄目だ。我たち精霊も、君の味方なのだから」
「はい」
ここにも、心強い味方がいた。
「すぐに精霊を見つけようとしなくていいんだ。同じくらい、君の時間を大切にしなさい」
「…分かりました」
私にとって、精霊探しも大切な時間だ。
「また…会おう」
オーリアは優しく囁き、
リリアンヌの目元をそっと手で覆った。
すぐに、静かな闇に沈んでいった。
もっと、自信を持て――
その通りだ。
待っている現実から、目を背けては駄目だ。
私がしたことから逃げていては、いつまでも変われない。
護られてばかりでは、いけない。
私だって、誰かを護りたい。
このちからを…もっと、使いたい。
誰かを、助けられるように。
『あなたのその優しいちからで、世界を変えてください』
…変わろう。
――リリアンヌが目覚めたのは、
ザンビア砦の戦いから、三年後のことだった。
第九章・完




