精霊たちの時間②
リリアンヌ視点
「ただ…ヌシカは、特別だったんだ」
静かな声が、ぽつりと落ちた。
「…特別、ですか?」
「簡単に言うと…ヌシカには、我の一部が混じっていた。
だから、“精霊のなれの果て”となってもちからを使うことができたんだ」
「…血縁関係だったということですか?」
もしかして、ヌシカはオーリアの子供だったのだろうか。
「…違う。そういうことではないんだ」
オーリアは、悲しそうに微笑んだ。
少しだけ、沈黙が流れた。
「…ごめん、話が逸れたね」
ふっと、小さく息をついた。
「特別と言っても、結局ヌシカも同じように忘れ去られ、二度と精霊に戻れなかった。結末は、同じだった」
「…あの、オーリア様」
リリアンヌは姿勢を正し、決意の込めた目を向けた。
「封印している瘴気を消すことは、できますか?」
「…え?」
「封印を強化するより、もし…もしも、瘴気を消すことができたなら。
そうしたら、二度と異形の存在は生まれませんね?」
“精霊のなれの果て”を、消さなくても。
瘴気がなければ、異形の存在となることもない。
「……」
オーリアは、考えるように黙り込んだ。
「…だが、我にはできない」
しばらくして、そっと首を振った。
「私なら、どうでしょうか」
リリアンヌは、即座に尋ねた。
「…君に?…白のちからのことなら、それでは瘴気は消せないよ」
「いいえ、白のちからのことではありません」
ここからは――“物語”の知識だ。
「私は、ヌシカだった異形の存在に攻撃を受けました」
そっと、自分の左肩に触れた。
今は、まったく痛みを感じない。
意識下だからだろうか。
「何か…ちからを得たと思います」
物語本編の、序盤――
ひとり“死の大地”へ足を踏み入れたリリアンヌを、異形の存在となったヌシカが襲う。
キリに助けられ、なんとか逃げ延びるけれど、
ヌシカにより、背中に消えない傷を負う。
傷を負ったリリアンヌは、“黒のちから”を使えるようになる。
黒のちからは、瘴気を操ることができるちからだ。
リリアンヌは――
死の大地に広がった瘴気を、自分の体へ取り込む役だった。
「私が封印している瘴気を取り込めば、消すことはできますか?」
貫かれた箇所も、時期も違うけれど。
結局、物語通りにヌシカにより傷を負った。
それなら、同じように黒のちからを使えるようになったはずだ。
同じように、瘴気を操れるはず。
「そのちからは…黒のちからと呼ばれるものだ」
オーリアは、低く口を開いた。
「それは、とても危険なものだ。君といえど、使ってほしくない」
「…瘴気を操ることが、危険なのですね」
それは、分かる。
このちからを悪用すれば――
「黒のちからを使い…ヌシカは、瘴気を人族に送った」
「…えっ!」
リリアンヌは、はっと顔を上げた。
「瘴気を送られた人族は…簡単におかしくなってしまう」
「…あ」
どうして、気付かなかったのだろう。
ヌシカだってもちろん、このちからを使えたはずだ。
瘴気を送られたから、聖守護騎士団やザンビア兵が…
私自身も、おかしくなった。
あの時、一瞬見えた黒い靄が瘴気だった。
あのまま、深く沈んでいたら…
「いいかい…瘴気を取り込むということは、君自身に瘴気を送ることになる。
決して、消えるわけではないんだ。体の中に、瘴気は残る」
オーリアはいつもよりずっと厳しい口調で、言い聞かせるように言った。
「封印している瘴気を、すべて体に取り込んだら――今の君では、絶対に耐えられない」
「…よく、分かりました」
だから、物語のリリアンヌは。
「それに…君は特に、瘴気に飲み込まれてしまっては駄目だ」
「どうして…でしょうか」
リリアンヌは、慎重に尋ねた。
「君が瘴気に飲み込まれれば――異形の存在になるから」
オーリアの言葉が、ゆっくりと胸に沈んでいった。
物語の、最後――
異形の存在となったオーリアを倒した後に、
リリアンヌは突然、異形の存在になってしまう。
異形の存在となったリリアンヌは、仲間たちに襲いかかる。
“オーリア”が、最後の敵で。
“リリアンヌ”が――真の敵だ。
「でも…私は、人族です」
リリアンヌは、不思議そうに首を傾げた。
「人族が瘴気に飲み込まれたら…虚ろ人になるはずです」
冷静に考えたら、変だ。
精霊のなれの果てが瘴気に飲み込まれて、異形の存在となるのなら。
人族である“リリアンヌ”が異形の存在になることは、おかしい。
「異形の存在になるのは、“精霊のなれの果て”だけではないのですか?」
「…それは、君がヌシカに攻撃されたことに深く関係がある」
オーリアは、とん…と自分の左肩を指した。
「どういうことでしょうか?」
「……」
左肩に触れたまま、黙り込んでしまった。
「…あの」
「…すまない」
「どうして…オーリア様が謝るのでしょうか」
「君に…一生の枷を、負わせてしまった」
苦しげな声が、静かに落ちた。
「枷…?」
リリアンヌは、さらに首を傾げた。
「…必ず、我が瘴気を完全に封印してみせるから」
オーリアは手を伸ばし、そっとリリアンヌの手を包んだ。
「そうすれば、何も問題はないから」
その手は、想像以上に温かかった。
「教えては…いただけませんか?」
何か、私の行動が制限されるのだろうか。
黒のちからを使えるようになったことと、関係あるのだろうか。
「…伝え方を考える時間を、くれないか」
オーリアは、ゆっくりと伏せた目を上げた。
「今伝えても…君は、誤った選択をしてしまいそうだから」
「…誤った選択?」
「そう。そしてそれは、一番良くない方法だから」
「……」
どうしよう。
まったく意味が分からない。




