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セスランディア王国物語  作者: あきよし りん
第九章/ザンビア砦の戦い
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精霊たちの時間①

リリアンヌ視点



「…リリアンヌ」


優しい声が、耳元をくすぐった。



「まだ…眠っているかい?」


温かいものが、頭に触れた。



「…オーリア様」


リリアンヌはゆっくりと目を開け、笑みを浮かべた。



「ご無事だったのですね」



「…我は、無事だよ」


オーリアが、悲しそうな顔を浮かべて覗き込んでいた。



「…今の我では、漏れ出てしまった瘴気にも、異形の存在(ゼノプーパ)にも近づけない」


額に触れる手が、そっと強張った。



「君に、すべてを任せてしまった。…本当に、申し訳なかった」



「いいえ。安心しました」


リリアンヌは、静かに上体を起こした。



あの異形の存在は――恐らく、ヌシカだ。



それでも、オーリア様である可能性も拭いきれなかった。


ナナたちを見つけてから、一度も夢に訪れてこなかったから。



「…あれ?ここは?」


目に入った光景に、思わず目を丸くした。


いつもの真っ暗闇ではなかった。



森の中…だろうか。


周りには樹々が生え、葉が優しく風に揺れている。



座る場所には柔らかな草が生い茂り、ふかふかだ。


空から、ピィィ…と鳥の鳴き声が聞こえた。



「ここは、デューゼの森だよ」



「…えっ!?」


リリアンヌは、ぎょっとオーリアに顔を向けた。



私の知っているデューゼの森とは、全然違う。


それに…確か、中央ザンビア砦までしか進めなかったはずだ。



「我のちからが、だいぶ戻ったからね」


オーリアは、ちらりと横に視線を向けた。



「精霊たちと一緒に、君の意識も連れてきた」



「…あ!」


その視線の先から、三つの光がやってきた。



「ナナ、ルル、ポポ…!助けてくれて、ありがとう」


リリアンヌは三匹に礼を言うと、すぐに辺りを見渡した。



「…スノウは?」


スノウが、どこにもいない。


まさか…



「スノウは、君の本体の方についているよ」

オーリアが、そっと答えた。



「…スノウは、消えていない?」



「もちろん。君が、ずっと白のちからを送っていたのだから」



「…良かったぁ」


リリアンヌは胸を押さえ、ほっと息をついた。


それが、一番不安だった。



「…まず、精霊たちのことを心配してくれるんだね」


微笑む顔は、悲しそうだった。



「あの…私は、死んだのでしょうか」


薄々…そうかなと、思っていたところだ。



「大丈夫、死んでいないよ」

オーリアはすぐに首を振った。



「ただ、君は体を酷使した。白の使い手が君へちからを送っていたけれど、それでもすぐに目覚めることはできない」



「そう…ですか」


白の使い手…マコだろうか。


マコからはすでに、白のちからを全力で送ってもらっていたのに。



異形の存在を倒す時、自分の体の中が崩れる感覚がした。


“物語”のマドカも、ちからを使いすぎて七年間眠ることになった。



…七年。


起きたら、十七歳だ。


いや…まもなく誕生日を迎えるはずだったから、十八歳だ。



そうしたらもう、物語の本編と同じ年になる。



「心配しないで。人族の時間でも、そこまで長くはないから」

オーリアが、心を読んだかのように言った。



「…分かりました」

リリアンヌは、こくりと頷いた。



「…それなら、これは夢でしょうか?」



「夢に近いかな。ただ、君の意識下に我が訪れた時とは違って、今回は君自身の意識をここへ連れてきている」



「…?」


いまいち、分からない。


幽体離脱みたいなことだろうか。



「この方法で連れてくると、現実より時間が経つのが早くなってしまう。

先ほどここで君が目を覚ましてから…もう、一週間は経っているかな」

オーリアは、さらりと言った。



「え…ええ…っ」


まだ、たった数分だ。


あまりにも、時間の間隔が違いすぎる。



「……」


でも、しばらく目覚められないなら。


ちょうどいいのかもしれない。


聞きたいことも、たくさんある。



「君が目覚めるまで、ここで話をしようか」


オーリアも、同じことを考えてくれていたみたいだ。



二人の周りを飛んでいた精霊たちが、ひゅい…っと離れていった。


揺れる草に紛れ、光がちらちらと見え隠れした。



「まず…ヌシカの件について、話をさせてくれ」


オーリアはナナたちに顔を向けたまま、ぽつりと口を開いた。



「ヌシカが、ああなるまで追い詰められたのは…我のせいなんだ」



「…異形の存在になってしまったことですか?」

リリアンヌは、そっと尋ねた。



「…違う。もっと、前から」


答える声は、苦しげだった。



「人族を、深く恨むようになってしまってからだ」



「……」


ヌシカのことを…何も知らない。



物語では、異形の存在として現れるだけだ。


それに、あんな大きくなかった。


現実の方が…深く、瘴気に飲み込まれてしまったのだろう。



「私のせい…ですね」


リリアンヌは、悲しそうに目を伏せた。



「私が、ヌシカを刺激してしまった」




『お前が、憎い』


『オーリア様は、私だけのものだ』




「それは、違う」


オーリアは、きっぱりと否定した。



「我とヌシカで、もっと話し合ってくれば良かったんだ。…もっとも、この四百年は話せる状況ではなかったけれど」


ぐっと、悔しそうに口を引き結んだ。



「…ヌシカは、ずっと我のために尽くしてきてくれた。我は、それを当然のものとして受けてきた」



「…オーリア様」


どれほど、ヌシカと一緒にいたのだろう。


何百年…いや、何千年かもしれない。



それほど長い時間を共にした人が――異形の存在となってしまった。



「我は、一番傍にいた者のことを、何も分かっていなかった」


オーリアはそっと目を閉じ、瞼を震わせた。



「ああなってしまっては――もう、元に戻れない」



「……」


何も、言葉が出ない。


何を言っても…二人が一緒に過ごした時間は、二度と戻ってこない。



「…リリアンヌ。異形の存在(ヌシカ)を消してくれて、ありがとう」


オーリアの優しい声が、ふわりと落ちた。



「代わりに泣いてくれて、ありがとう」



「…っ」


心が、締めつけられるように痛い。


オーリアの心境を思うと、胸が張り裂けそうだ。



ヌシカと同じように、オーリアの過去を何も知らない。


何も、知らないけれど――



この場所に、彼がたった独りでいたことが、すべてを物語っていた。



「…エルフがなぜ嘘をつかないか、知っているかい?」



「…いいえ。知りません」

リリアンヌは、涙を拭いながら答えた。



「エルフたちはね、精霊を見習ってくれているんだ」



「…見習っている?」



「そう。精霊は、嘘がつけない。嘘をつくと、精霊でいられなくなる」



「精霊で…いられなくなる」


その言葉に、どきりとした。



「嘘をついたり、負の心を強く持ったりしてしまうと…別の存在に成り果て、二度と精霊に戻れない」


オーリアの声が、ゆっくりと低くなっていく。



「その存在を、我たちは――“精霊のなれの果て(ウァヌスプーパ)”と呼んでいる」



「…!」


はっと、息を呑んだ。



「ウァヌスプーパが――異形の存在(ゼノプーパ)…?」


異形の存在の正体は――精霊ではなく、“精霊のなれの果て”…



「正確には、違う」

オーリアはすぐに首を振った。



「“精霊のなれの果て”は、精霊でもないけど、異形の存在でもない。

瘴気が現れるようになってから、“精霊のなれの果て”が瘴気に飲み込まれ、異形の存在となった」



「…なるほど」


それなら…ヌシカは、現れた時すでに“精霊のなれの果て”だった…?



「…精霊の呪いと、“精霊のなれの果て”は、別物なのですか?」


瘴気は、精霊の呪い。


もしかして、“精霊のなれの果て”が呪って生まれたものなのだろうか。



「まったくの別物だよ。瘴気は、消えていった精霊が残した呪いだ」

オーリアは鋭く答えた。



「精霊のまま消えることを選ばなかった存在が、“精霊のなれの果て(ウァヌスプーパ)”だ」



「…ごめんなさい」


無神経なことを、聞いてしまった。


怒らせてしまった気がした。



「謝ることは何もないよ」


オーリアの表情が、柔らかなものに戻った。



「君は、異形の存在が何ものなのか知りたがっていたね。ようやく答えられた」



「あの…オーリア様、質問してもいいでしょうか」



「ふふっ…もう、しているけれどね。どうぞ」



「私が見た予知夢は…デューゼの森から異形の存在の大群が現れて、国が半壊するというものでした」

リリアンヌは、言葉を選びながらゆっくりと言った。



「うん。そう言っていたね」



「大群となるほどの“精霊のなれの果て”が、まだこの世界に存在するということですか?」



「存在はするよ。ここ――デューゼの森にいる」

オーリアは、淡々と答えた。



「“精霊のなれの果て”を、瘴気と共に封印しているんだ」



「…!」



「我の封印の綻びから、“精霊のなれの果て”が逃げ、この地のどこかで瘴気に飲み込まれてしまった。それが、異形の存在の正体だ」



「そういう…ことだったのですね」


ようやく、異形の存在の出現が増えていた本当の理由が分かった。



「我のちからが戻ってきているから、新たに綻びから逃げることはないはずだ。

ただ、もう逃げてしまった“精霊のなれの果て”を捕まえることはできない」



「…逃げた後、どうなるのですか?」


ふと、気になった。



「綻びから逃げた“精霊のなれの果て”は…見つけることはできないのですか?」



「我のちからが完璧に戻ったとしても、“精霊のなれの果て”を見つけることはできない」

オーリアは、きっぱりと答えた。



「一度落ちたものは――二度と、精霊に戻れない」



「……」


何を聞こうとしていたのかは…お見通しだったようだ。



「“精霊のなれの果て”となったものは、光が消え、地に落ちる。

ちからも使えず、ただ、忘れ去られた存在となる」



「…誰にも、気付いてもらえないのですね」


なんだか、悲しかった。


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