第一章Ⅴ(役目と役割)①
リリアンヌ視点
「お嬢様~?あれ…お嬢様ぁ~?」
「はいっ…はい!」
リリアンヌは、自室に繋がる扉を慌ててくぐった。
「んん?浴室の方で、何をしてたんです?まさか、ひとりで入浴されたのですか?」
廊下の方の扉から、ニアが訝しげに入ってきた。
「ええ、そう。お庭で遊んでいたら、汗をかいてしまったから…」
リリアンヌは、誤魔化すように上気した頬に手をやった。
「もう、お嬢様は勝手に何でもしてしまうんですから」
ニアはテーブルに食事の載った盆を置くと、リリアンヌの方へ近づいた。
「ちゃんと下着の場所とかは分かりましたか?もう一度入り直します?」
「えっ…ううん!大丈夫…!」
リリアンヌは、扉の前で首を強く振った。
「でも、髪も梳いてあげたいですし――」
「それより、私、お腹すいちゃった…!」
「ええ?」
「お昼ご飯を、食べます…!」
リリアンヌはニアの背を押して、テーブルの方へと戻した。
今、浴室に入られるわけにはいかない。
兄の服がなぜ洗って干されているのか、すぐにいい言い訳は思い浮かばない。
「…お嬢様は子供らしいのか子供らしくないのか、本当によく分かりませんね」
ニアは諦めの溜息をつくと、テーブルの椅子をそっと引いた。
「ここに来て二年になりますが、いまだに分からない、三大不思議のうちのひとつですよ」
「なあに、それ。あと二つは、どんなこと?」
リリアンヌは、くすっと笑いながらニアの引いた椅子に腰掛けた。
「ひとつは、奥様の美しさについてです」
ニアは内緒話するように、手を口に添えて囁いた。
「もうとっくに三十歳を超えられているはずなのに、ずっとお綺麗なままじゃないですか」
「う~ん…そうだね」
三十代は若いと思うけれど、
確かに、母アヴェリーンの美しさは異常だ。
「それからもうひとつは、使用人の少なさですね」
「えっ…少ない?」
リリアンヌは、きょとんと目を丸くした。
「ここは、王族のお屋敷ですよ?それが、全部で五十人ほどしかいないなんて、少なすぎます」
「充分だと思うけれど…」
そうは思うけれど、実際に家事をするのは使用人たちだ。
エラドリオール邸は、とても広い。
毎日お手入れするだけでも大変なのだろう。
「その代わり、衛兵さんたちはずっと多いですけど…でもそれは、仕方ないんでしょうねぇ」
ニアが苦笑を浮かべて言った。
「そういえば…エラドリオール邸の周りを巡回している衛兵は、お父様が雇っているの?」
リリアンヌは、ふと思い出したように尋ねた。
「それとも、城壁を護っている兵士と同じで、国で雇っている人たちなのかな?」
「そんな難しいこと、私に聞かないでくださいよ」
ニアが困ったように眉を下げた。
「後で、マルコ先生に尋ねてみてはどうですか?」
「んん…そうだね」
また、それ以上聞くなという笑顔を向けられそうだ。
「失礼します、お嬢様」
コンコンと扉がノックされた。
「お食事中、申し訳ありません」
「!ステファン、どうしたの?」
入ってきたのは、家令だった。
「明日のご予定の変更をお伝えに参りました」
ステファンはまっすぐに部屋を進むと、リリアンヌの座る横で足を止めた。
「…予定の変更?」
「明日の午後の授業は、すべて延期です」
「えっ…そうなの?」
「ええ。その代わり、エレメア王妃主催の茶会に、奥様とご一緒に参加していただきます」
「…あ」
「わっ、久しぶりの登城ですねぇ~!」
壁際に下がっていたニアが、嬉しそうな声を上げた。
「茶会には、お嬢様と同年代のご令嬢方も参加されますよ」
「ええと…ステファン、従兄弟たちは参加しないのかな?」
「今回は、残念ながら参加しないようです」
「…そう」
「お嬢様の行儀作法は、完璧です」
ステファンは優しく微笑み、諭すように言った。
「王族の一員として、もっと胸を張ってお務めに励んでください」
「…はい」
リリアンヌは困ったように頷いた。
「今日の授業では、マルコ先生に、王族としての心得を教えてもらうといいでしょう」
「分かったわ」
「ニア、明日の準備は頼みますよ」
「もちろん、お任せください!」
「それではお嬢様、また後ほど」
ステファンはまっすぐ扉まで戻り、一礼して出ていった。
「お嬢様、登城ですってよぉ!腕が鳴りますね~」
扉が閉まるなり、ニアが歌うように言った。
「…うん、そうだね」
これで、明日は薬療院に行くことができなくなってしまった。
また明日、と言ったのに。
シルヴィアに、不真面目な生徒と思われたらどうしよう。
「お嬢様は、本当にお茶会が苦手ですねぇ。人とお話しすることは好きなのに、何が嫌なのです?」
ニアは不思議そうに首を傾げた。
「…嫌というわけではないけれど」
ただ――薬療院に行けないと思ったら、気分が沈んだ。
「それにしても、エレメア王妃はもうすぐお子様がお生まれになるのに、随分と間際までお茶会を開かれるんですね」
「え…あ、そうなの?」
「ありゃ、お嬢様は知りませんでしたか」
「エレメア様、妊娠されていたのね」
「そうですよぉ。もうすぐ、お嬢様のいとこが生まれるんです」
ニアが再び歌うように言った。
「ニア、嬉しそうだね」
「それはもう!王子様か王女様がご誕生されるのですから、国の一大事です」
「そうだね」
「お生まれになったらまた、盛大に祭りも開かれるでしょうね」
「へぇ…!城下町で?」
リリアンヌの目がわずかに輝いた。
「ええ、そうです。今までも王子様が生まれるたびに、大きな祭りが開かれましたから」
「そうなんだね」
祭りは、好きだ。
「あ、ほら、お嬢様。手が止まっていますよ」
ニアが、はっとしたように窘めた。
「授業の前に、明日着ていくドレスも決めてしまいますから、急いで召し上がってください」
「はい」
リリアンヌは素直に返事をすると、目の前の食事に意識を戻した。




