激動する戦局③
レックス視点
倒れゆくレオの後ろから現れたのは――
「…リリアンヌ!」
「陛下、申し訳ありません!」
エドガーが、すぐに駆けてきた。
「……」
もうレックスは、周りを気にしていなかった。
リリアンヌの様子が、明らかにおかしい。
「…あ、あ…」
焦点の合わない瞳が、揺れている。
全身が、ずぶ濡れだ。
寒いのか、体が細かく震えている。
右手に握る剣からは、血が滴り落ちていた。
白かったはずの上衣が――真っ赤だ。
なぜ、ここにいる。
見張り塔にいたのではないのか。
キリは?
アランフォースは?
精霊どもは?
なぜ…こんな目をしている。
「…おい、リリアンヌ」
レックスは、一歩踏み出し――
「…陛下!」
エドガーが、素早くレックスを押しのけた。
――キィン…!
剣を弾く音が、辺りに響いた。
「わっ、私がっ…」
リリアンヌは剣を握り直し、ふらりとレックスたちに近づいた。
「私がっ…めちゃくちゃにっ」
「…リリアンヌ殿下!正気にお戻りください!」
「う、うぁぁ…っ!」
――キンッ、キン、キィン…!
リリアンヌは剣を振り抜き、何度もエドガーへ斬り込んだ。
「っ…」
エドガーが押され、後ずさった。
「……」
何だ、この動きは。
なぜ、戦える。
…いや、それより。
一体、何があった。
「私が、殺してっ…」
「リリアンヌ殿下!」
エドガーが隙をつき、リリアンヌの腕に手を伸ばした。
一瞬で、リリアンヌの姿が消えた。
「…!」
全員が手を止め、空を見上げた。
リリアンヌは一気に跳び上がり――城塞の屋上へ、音もなく着地した。
あり得ない。
何だ、今の跳躍は。
これも、加護のちからだというのか。
「陛下!」
「!」
見張り塔から、アランフォースが下りてきた。
白と黄緑の光を携えている。
「陛下…!リリアンヌ殿下は!」
「…上に」
レックスは、再び視線を屋上に向けた。
もう、そこにリリアンヌの姿はなかった。
「…っ」
「待て、アランフォース!」
後ろから聞こえた声に、駆け出したアランフォースが足を止めた。
「私が、お前をちからで送る!」
キリが、見張り台の端から現れた。
胸壁を軽々と跨ぐと、アランフォースに向かって踏み出した。
――次の瞬間。
何の予兆もなく、
巨大な黒い影が、城塞の前に現れた。
「…あ?」
レックスは一切の思考を止めて、現れた異物を見上げた。
「ギィィィヤァァァァァァァァァ――…!!」
巨大な黒い影――異形の存在が、雄叫びを上げた。
城塞中が、ゴゴゴゴ…と揺れた。
「…っ…!」
凄まじい叫び声に、思わず後ずさった。
鼓膜が破れそうだ。
異形の存在が、ずるりと近づいた。
――ガシャアァァァンッ…!
その一歩で、兵舎だったものが、音を立てて崩れた。
「…何だ、あのでかさは」
この城塞と、同じ大きさだ。
ここまで巨大な異形の存在を、初めて見た。
過去の資料でも見たことがない。
――ドォォォォンッ…
異形の存在が、城塞側にまた一歩踏み込んだ。
「ぎゃあー!」
「助けてくれぇ!!」
城塞の門外にいる兵たちが、叫んでいる。
「…陛下。一度、王都へお戻りください。全軍を率いて、ここへ」
エドガーが、ゆっくりと手を差し出した。
「それまで、必ず我々がここに留まらせてみせます」
「…逃げるのは、俺じゃねぇ」
レックスはまた、その手を取らなかった。
「リリアンヌを、援軍のもとへ送れ」
その言葉に、
異形の存在を見上げていたアランフォースとキリが、レックスへ顔を向けた。
「お前ら、早くリリアンヌを連れてこい」
「陛下…!転移できるのは、あと一度きりです」
「いい加減、お前らも分かれ!」
レックスは、エドガーとアランフォースを順に睨みつけた。
「王の代わりはいくらでもいる!だが、あいつの代わりはいない!」
リリアンヌの加護のちからは、無限の可能性を秘めている。
それだけではない。
あいつ自体、特別な力を持っている。
「あれは、絶対に死なせてはいけない人間だ!」
迷いない言葉が――辺りに響き渡った。
「……」
エドガーが、静かに手を下ろした。
その間にも、異形の存在は近づいてきている。
また一歩踏み出し――ズウウゥンッ…と門外にいた兵を押し潰した。
「…アランフォース。お前がリリアンヌを追いかけろ」
キリが、静かに口を開いた。
「私は、あの異形の存在を倒す」
その肩には、桃色に光る精霊がいた。
「そうだな、キリ。俺たちで倒すか」
レックスは、くっと笑ってみせた。
どのみち…ここで逃げたところで、いつかは討伐しなくてはいけない。
ここで倒さなければ、この巨大異形の存在は、人里へ辿り着くだろう。
そんなこと――させるか。
「アランフォース、さっさと行け!」
「はっ!」
「壁を駆け登れ」
キリが、とんっとアランフォースの背中に触れた。
アランフォースは素早く外壁を走り、駆け登っていった。
いつの間にか、周りで立っている者は味方だけになっていた。
全員が、レックスへ顔を向けていた。
「…これから、あの異形の存在を討伐する」
レックスは、視線を向ける黒の騎士たちをゆっくり見渡した。
「お前ら…死ぬ気で戦え」
もう、夜通しずっと戦っている。
それでも、鼓舞するしかない。
――自分自身を。
「俺と、戦え!」
「おおっ!!」
国王直属騎士団が、一斉に動き出した。
「その大砲を使え」
「砲弾が効くとは思えませんが」
「そんなの分かってる。とにかく異形の存在の心臓へ撃ち込んでやれ」
「はっ!」
「弓矢はあるか」
「聖守護騎士団がここで使っていた分があります」
「大砲よりその矢の方が効く可能性がある。全員に持たせろ」
「分かりました」
騎士たちが、淡々と戦闘の準備を進めていく。
「おい、マコ。怪我はないか」
「はっ…はい…!私は、すごく元気です!」
マコは、すぐにレックスに答えた。
「どなたかの怪我を診ますか?」
「いや…いい。お前は、ちからを温存しろ」
レックスは、ちらりと屋上の方へ目を向けた。
「リリアンヌがここへ来る。そうしたら、お前の持てるすべてのちからをあいつへ送れ」
「…!」
「分かったな」
「…はい」
マコは青褪めながらも、頷いてみせた。
「…リョーマ!生きているか!」
「はっ!ここに」
レックスの呼びかけに、すぐに騎士が駆けてきた。
「まだ、ちからは使えるか」
「あとひとりに、一分ほどでしたら」
「十分だ。あの援軍の中に、ロデオが来ている」
そう、確信していた。
「リリアンヌがここに来たら、転移することを知らせてやれ」
「…リリアンヌ殿下の様子は、お伝えしますか」
「…無事とだけ伝えろ」
レックスは、静かに答えた。
「それから、一度王都へ戻り、万全を整えてから挑めと伝えろ」
「分かりました」
リョーマはしっかりと頷いた。
「大砲、準備完了!」
騎士の声が、鋭く響いた。
「……」
レックスは、巨大異形の存在をゆっくりと見上げた。
「ギィィィヤァァァァァァ…!!」
大きさに惑わされたが、今までと同じだ。
巨大な人の姿が瘴気を溢れさせ、真っ黒に染まっている。
ただ――いつも通りに、挑むまでだ。
「…大砲、撃て!」
レックスの声が、見張り台に響き渡った。




