支配される心
リリアンヌ視点
体の芯が、冷えている。
ずっと、右手が震えている。
寒いのか、
怖いのか。
分からない。
ただ、勝手に体が反応している。
震える右手で、また兵士を切り裂いた。
何人斬ったのか、
もう、分からない。
「――リリアンヌ殿下!!」
両腕を掴まれ、後ろに体を強く引かれた。
「…!」
リリアンヌは剣を握り直し、腕を掴んだ者を睨みつけた。
「遅くなりました…!」
「…あ」
腕を引いたのは、味方だった。
フーリンが、険しい顔で見下ろしている。
その後ろの塀から、黒い軍服の騎士が何人も現れた。
外壁を登ってきている。
「…本当に、申し訳ありません」
フーリンが腕を掴んだまま、目の前に跪いた。
「フーリン、駄目…まだ」
まだ、多くの敵がいるのに。
「あとは、我々にお任せください」
リリアンヌの手から剣を取り上げると、そっと鞘の中に戻した。
「…どうして」
どうしてみんな、私から剣を取り上げてしまうのだろう。
「…リリアンヌ殿下――」
「リリアンヌ!」
別の声が、フーリンの言葉を遮った。
「怪我はないか…!」
紫の光を引き連れたブライアンが、水を撥ねて駆けてきた。
「…お二人は下がっていてください」
フーリンが、二人の前に庇うように立った。
その横に、次々と国王直属騎士団の騎士たちが並んだ。
「…私も」
「もう駄目だ!」
前に出ようとするリリアンヌの腕を、今度はブライアンが後ろへ引いた。
「もう、十分だ…!」
「!」
震える声に、はっと顔を上げた。
「僕が、もっと…っ」
ブライアンはぎりっと歯を食いしばり、正面を睨みつけていた。
「ようやく見つけました、リリアンヌ殿下」
「…!」
すぐに、正面へ顔を向けた。
灯りのともる廊下から、聖守護騎士団の騎士たちが続々と現れた。
その中のひとりが、ゆっくりと前に進み出た。
「必ずや、あなたを粛正する」
先頭に立ったブルックは、リリアンヌを見下ろすように睨み据えた。
「この――悪魔め」
「…ああ?」
「なんだと…?」
ブルックの言葉に、黒の騎士たちの背中がざわりと揺れた。
「…あくま?」
私のことを、言っているのだろうか。
…悪魔。
ああ、そうか。
これだけ人を斬ったのだから、
私はきっと、悪魔なのだろう。
「かかれ!」
ブルックの掛け声に、
白の騎士とザンビア兵の残党が押し寄せた。
前に立つ黒の騎士たちが、剣を抜き――
――ドォォォッ…!
激しくぶつかる音が、見張り塔に響き渡った。
「ぎゃあっ!」
「がっ…!」
何人ものザンビア兵が、吹き飛んだ。
「すごい…」
間髪入れず、黒の騎士たちが敵を斬り伏せていく。
たった十人しかいないのに、少しずつ廊下側へ押し込んでいる。
「……」
ブライアンが何も言わず、さらにリリアンヌを後ろへ下がらせた。
「怯むなっ!」
ブルックが、再び号令をかけた。
まだ、敵の方が多い。
それでも、負ける気がしなかった。
黒の騎士たちが、白の騎士へ一斉に斬りかかった。
――その瞬間。
「――よくも、私の首を吹き飛ばしたな」
凍てつくような声が、辺りに落ちた。
「あっ…!」
リリアンヌはバシャンッと水飛沫を上げ、うつ伏せに倒れた。
強い力で、背中を押さえつけられている。
身動きが取れない。
「な、なんだっ…!?」
ブライアンも膝をつき、動けないようだった。
スノウもナナも、ブライアンの傍にいたルルも、ぽとりと地面に落ちた。
「う、ぐぅ…」
リリアンヌは強引に顔を上げ、声のした方へ視線を向けた。
全員――倒れているか、膝をついている。
皆、同じ状況だ。
廊下から現れた者以外、誰もが動けないようだった。
「オーリア様まで騙し…ちからを授かったか」
現れたヌシカは、先ほどより大きな黒い光をまとっていた。
めらめらと、炎のように揺れている。
ゆっくりと、近づいてくる。
これだけ暗いのに、こちらを睨む顔がはっきりと見えた。
「どこまでも、目障りな子供だ」
ヌシカが足を上げ――
――ゴシャッ…
「ぎゃっ…!」
倒れる白の騎士の頭を、踏み砕いた。
「…っ!」
リリアンヌは、ぎゅっと目を瞑った。
「お前が、憎い」
「がっ…!」
バキョッ――と、また嫌な音がした。
「オーリア様は、私だけのものだ」
「ぎゃあああぁ!」
断末魔の声に合わせ、ミシミシッ…と潰れる音が響いた。
「ヌシカ様!我々は、味方です!」
「…!」
リリアンヌは、はっと目を開けた。
「悪いのは、その悪魔でしょう!なぜ、我々を殺すのです」
膝をつくブルックが、懸命に叫んでいた。
「五月蠅い」
――ゴッ…!
地面が、勢いよくせり出した。
「ぐっ…!」
せり出した地面がブルックにぶつかり――見張り塔から吹き飛んでいった。
さっき、キリを吹き飛ばしたものだ。
「どうせお前たちは、全員死ぬのだ。お前たちも、狩られる恐怖を味わえばいい」
ヌシカが一歩、踏み出した。
「ぎゃぁっ!」
「がぁっ」
ドンッ、ドォンッと地面が突き出し、
ヌシカの足元にいる白の騎士たちを吹き飛ばしていった。
「…やめて、ください」
絞り出すような声が、雨音に混じった。
「何か言ったか?」
ドンッ、ドンッ…と、また騎士たちが吹き飛ばされた。
「私が目障りならっ…!私だけ消せばいいでしょう!?」
「リリアンヌ!やめろ!」
ブライアンの怒鳴る声が、即座にかぶった。
「言っただろう?どうせ、全員死ぬ――と」
ヌシカが、再び足を進めた。
――ドスッ…!
「ぉごっ…!」
地面が槍のように突き出し――
白の騎士たちの体を、まとめて貫いた。
「…あ」
串刺しにされた騎士の目が、ぐるんと裏返った。
「いい加減にしろ…!」
ブライアンが、強引に左手を持ち上げた。
――ドドドドドドドドッ…!
光の連撃が、ヌシカを目がけて飛んでいく。
「所詮…人族のちからでは、この私には勝てぬ」
ヌシカが、すっと指を向けた。
光の連撃はぐにゃりと軌道を変え、そのまま闇に吸い込まれた。
――ガァンッ…!
「…!」
耳元で、ひと際大きな音が響いた。
隣にいたはずのブライアンの姿が、消えていた。
「…っ…もう、やめて!!」
リリアンヌは、張り裂けるように叫んだ。
その言葉に応えるかのように、
国王直属騎士団の騎士たちが、一斉に体を起こした。
「…これくらい…っ」
「効かねぇよ…!」
軋む体を押し上げ、リリアンヌの前に立ち塞がった。
「私のちからも…また、全盛期に比べて弱くなってしまった」
ヌシカが、ふぅ…と溜息をついた。
――ガガガガガガガッ…!
「くっ…!」
「がっ…」
「殿下っ…!」
地面が爆発するように突き上がり、騎士たちを四方へ吹き飛ばした。
立っている者が、いなくなった。
「そんなっ…」
リリアンヌは、はっと顔を上げた。
「お前は、最後だ」
ゆらりと、ヌシカが目の前に迫った。
「先に、精霊どもだ」
その目が、転がる精霊たちにゆっくり移った。
「!?…駄目っ!仲間でしょう!?」
「違う。裏切り者だ」
「裏切り者はっ…!あなたの方じゃない!」
リリアンヌの怒声が、鋭く貫いた。
「…私が?裏切り者…?」
ヌシカのまとう黒い光が、妖しく揺らめいた。
「…偽善者よ」
さらに黒い光が広がり、その顔を覆い隠していく。
「お前の見苦しい姿を、晒すがいい」
覗く瞳が――リリアンヌを捉えた。
「…えっ…!?」
視界が、黒い靄で遮られた。
何も、見えない。
「お前のせいで、大勢が死んだ」
ヌシカの声が、頭の中でこだまする。
「わ、私の…せい?」
「そうだ。お前が精霊を見つけたせいで、多くが巻き込まれた」
ずしり、ずしりと言葉が沈んでいく。
「何人、死んだ?お前は、何人殺した?」
「や、やめて…」
「お前が、精霊を見つけたせいだ」
「ちがう…」
「お前が、オーリア様に関わったせいだ」
「違う…!」
「お前が、この国を変えた」
「…!」
リリアンヌの瞳が、強く揺れた。
「お前がまた、すべてを狂わせた」
「狂わせた…?」
「そうだ。まだまだ、大勢が死ぬぞ」
「そんな…」
「お前のせいで――この国は、滅ぶ」
その言葉が、体の奥まで冷たく染み込んだ。
「…あ」
…ああ。
もう、無理だ。
私が、選んできたことは。
私が、やってきたことは。
歴代の王たちと、何も変わらない。
もう――
“デューゼの森の悪夢”は、防げない。
「リリアンヌ殿下から、離れろ」
体の重みが消えると同時に、
リリアンヌは、深い絶望に飲み込まれた。




