混迷の戦場③
レオ視点
「…国王直属騎士団が、起きているな」
目を閉じていたスワハマが、ふいに口を開いた。
「話が違うではありませんか…っ」
レオは、焦れるように身を乗り出した。
「いや、儂は言ったはずだぞ。毒を盛るなら、即死するものでないと意味がないとな」
「そんな薬、百人分も手に入りませんよ」
もう、何度も慌ただしい足音が響いている。
てっきり兵どもが、国王直属騎士団を始末しているのだと思っていた。
それに。
「まあ、まだ焦るな。レックスは精霊を持っていなかった。それなら、上階にいるロデオの娘の方だ」
スワハマは、悠長にワインを飲んでいる。
「精霊さえ手に入れば、問題ない」
「なにを…その上階が、崩壊したではありませんかっ…!」
城塞を崩壊させるなど――聞いていなかった。
「精霊も巻き込まれたのではないですか!?」
「馬鹿言え。精霊はそんな簡単に死なんだろ」
スワハマが、がははっと笑った。
「安心しろ。潰れたのは、六階だけだ。まあ、階段は使えなくなったかもしれないがな」
「……」
六階にも…多く兵を配置していたはずだ。
頑丈さが取り柄の城塞が、
なぜ、こんなあっさり崩れた。
一体、どうやって――
「…っ…聖守護騎士団の多くは、この階に配置しているでしょう?」
レオは、広い食堂をうろうろと行き来した。
「早くしないと、精霊に逃げられてしまうぞ…!」
そうなったら、すべてが水の泡だ。
もう、後戻りなどできない。
「ブルックらが、上に潜んでいたはずだ。最上階には、リリアンヌ殿下とブライアン殿下しかおらん。すぐに捕まえられるだろ」
「何を呑気なっ――」
「…許せぬ」
ぞくりと冷える声が、室内に響いた。
部屋の温度が、一気に下がった。
「…あ」
レオは、ゆっくりと中央の席へ目を向けた。
目を閉じていた精霊が――起きている。
「オーリア様のちからを使うなど…許せぬ」
黒々しい靄が広がり、食堂が暗くなっていく。
ミシ、ミシッ…と壁が軋み、灯りがふっと消えた。
「…っ!」
思わず、部屋の隅まで後ずさった。
スワハマが連れてきた精霊――
精霊王オーリアの側近、ヌシカ。
書物や像でしか見かけない、伝説の名だ。
実際のヌシカは、恐怖以外の何ものでもなかった。
こいつが…六階を崩壊させたのか。
それくらい、容易くやってのけそうだ。
「ヌシカ様、どうなさいました?」
「やはり、分身ではちからが出ぬか…」
ヌシカは、スワハマを一切無視した。
「…直接、私が手を下しにいこう」
「どちらへ向かわれるおつもりで?」
スワハマは気にせず、もう一度尋ねた。
「黙れ」
――ドンッ…!
突然、壁がスワハマに向かって突き出した。
座っていたスワハマの姿が、パァンッと弾けた。
血かワインか分からない染みが、レオの足元にまで跳ねた。
「…ひぃぃぃ!」
どさりと尻餅をつき、そのまま這うように後ずさった。
「どう…懲らしめてやろうか」
ヌシカが、音もなく立ち上がった。
体を覆う黒い靄が、再びぶわりと広がった。
「あれは――最後だ」
靄の中にかろうじて見える瞳が、妖しく光った。
「はっ…はぁっ…く…っ」
逃げろ。
逃げなくては、殺される。
「っ…」
レオは這いつくばりながら、扉の外へ飛び出した。
聖守護騎士団がいるところへ――
四階で待機しているなら、門の上の見張り台か。
あそこには、武器も大量に置いてある。
「…た、立てっ…」
震える足を押さえて立ち上がり、ふらふらと廊下を進んでいった。
あそこを曲がれば、見張り台へ出られる。
曲がった瞬間――
「…!」
はっと、足を止めた。
見張り台では、すでに戦いが始まっていた。
降りしきる雨の中、剣を交わしている。
うぉぉっ…と唸るような声が響き渡っていた。
「がぁっ…」
すぐ目の前で、血だらけのザンビア兵が崩れ落ちた。
「…ひぃっ」
レオは体を屈め、端へと逃げた。
見張り台に設置されている大砲の陰に、素早く隠れた。
雨粒が眼鏡を激しく叩き、あっという間に視界がぼやけた。
まるで、戦場だ。
あちこちで、人が斬られていく。
「く、くそっ…」
戦いの経験など、ない。
訓練など、ほとんど受けてこなかった。
それでも、騎士になれた。
簡単に、砦の長になれた。
なぜ、こうなった。
ただ私は、精霊を手に入れたかっただけだ。
ただ、ちからが欲しかっただけなのに。
「反逆者どもを粛清しろ!」
廊下側から、さらに黒い軍服の男たちが現れた。
聖守護騎士団を、数で上回った。
ザンビア兵はもう、ほとんど残っていない。
終わりだ。
たったこれだけで、最強部隊に勝てるわけがない。
もう、終わりだ。
「…!」
黒の騎士たちの中に、やけに目立つ金髪の男を見つけた。
ぼやけていても分かる。
あれは、レックスだ。
…あいつが。
レックスが王になってから、コールテッド家の流れは変わった。
領土を減らされ、法務長官だった伯父を、王都からごみのように追放した。
領に帰ってきた伯父は、父と一緒になって私を罵倒するようになった。
役立たずと罵られ、こんな場所へ追いやられた。
こうなったのも、すべてレックスのせいだ。
あいつさえ、いなければ。
国王さえ、仕留めれば。
国王直属騎士団も、剣を置くだろう。
そうしたら精霊はもう、自分のものだ。
もう少しだ。
あと少しで、精霊が手に入る。
…まだ、隠れていよう。
隙を見て、
あの首を――




