届き始めたもの②
リリアンヌ視点
「それで…わざわざ大聖堂まで…?」
アイラは、そっと眉を寄せた。
「どうしてそんなご無理をなさるのですか」
「いいえ。アイラ様のおかげで、こうして綺麗に足も治りました。それに、たくさん協力もしていただきました」
リリアンヌは座ったまま、ぺこりと頭を下げた。
「いろいろと、ありがとうございました」
「…頭をお上げください。体調はもう、大丈夫なのでしょうか」
「はい。ご心配を――あ」
はたと、言葉を止めた。
「アイラ様は…昨日のことを、どこまでご存じなのでしょうか?」
「…何も知りません。リリアンヌ殿下のお体を確認しただけです」
「…そうですか」
それなら、かなり驚いたはずだ。
足の腱が、すっぱりと斬られていたのだから。
「その…いろいろとあって…急にお手伝いも止めてしまって、ごめんなさい」
リリアンヌは目を伏せ、申し訳なさそうに続けた。
「必ず有事の際には、ご協力しますから…」
言い訳がましい。
ただ、聖療院が怖いだけだ。
今は――チャンがいた場所に、足が向かないだけだ。
「…リリアンヌ殿下」
アイラは、きゅっと眉を吊り上げた。
「ご事情は分かりませんが、殿下は、もっとご自身を大切になさってください」
「…ごめんなさい」
「違います。謝ってほしいわけではないのです」
すぐにアイラが首を振った。
「ご自身が一番つらい思いをされているのに、殿下は他の者を気にしてばかりです」
「……」
「大聖堂へは、本来、殿下が来る必要などありません。…いいえ、お手伝いしてくださることは、本当にありがたいのです」
「でも…私は、白のちからを持っています」
「それに関しては、前もお話したはずです。殿下にお役目があるのなら、大聖堂は邪魔するべきではないと」
「……」
リリアンヌは、しゅんと肩を下げた。
今日は、人を怒らせてばかりだ。
「殿下のおかげで、潤沢な薬の用意ができています。ですから、大聖堂に負い目を感じる必要は何もありません」
「…はい」
でも、その薬も――
民のもとへ届くことは、ない。
「殿下の考えは…いつかご自身を犠牲にしそうで、怖い」
「…え」
はっと、顔を上げた。
「どうしたら…そんな考え方に…」
アイラは、苦しげに眉を寄せていた。
「……」
どうしよう。
どうして、こうなってしまったのだろう。
ただ、お礼を言いにきたはずなのに。
「…ごめんなさい。これは、私が言うべきことではありませんね」
アイラは、静かに表情を戻した。
「…リリアンヌ殿下、そろそろ――」
「アイラ様。私の指導者になってくれませんか?」
リリアンヌは、そっと口を開いた。
「…指導者?」
「はい。私はまだ家と王城と、それから大聖堂のことしか知りません」
ルイージやアイラのおかげで、知識は身についた。
でも――
「何が常識で、何がいけないことなのか、何も分からない。ですから私が間違っていたら、今日のように教えてほしいのです」
これでは、サムたちの時の二の舞だ。
相手の気持ちを汲めずに、つらい顔をさせてしまう。
「そうしないと…私は、周りに迷惑ばかりかけてしまうから」
どうしてそういう顔をさせてしまうのか、分からない。
私は、いつでも自分のことばかりだから――
「リリアンヌ殿下。私の言葉は、ちゃんと届いていますか?」
「…!」
鋭い声に、びくりと姿勢を正した。
「迷惑だなんて、誰か言いましたか?もっと、周りの言葉に耳を傾けてください」
アイラは身を乗り出し、まっすぐな目を向けた。
「もっと、周りを頼ってください。頼りないかもしれませんが、私も殿下の味方です」
「…!?いいえっ…とても頼りにしています」
思わず、ぶんぶんと首を振った。
「私は、アイラ様のことを心から信頼しています」
「…ありがとうございます」
アイラは、ふっと口元を緩めた。
「そう思っていただけるのなら、大聖堂のことはお任せください」
「…はい」
本当に――格好いい。
いつでも、しゃんと胸を張っている。
いつでも背を丸めている自分とは、大違いだ。
「…迷惑をかけられているとは、一切思いませんが」
アイラは、そっと言葉を続けた。
「ただ…もっと子供らしく生きてほしいなと、殿下を見ていると思うのです」
「…子供らしく、ですか?」
リリアンヌは、小さく目を瞬いた。
「そうです。もっと、笑ってください」
にこっ、とアイラが笑みを浮かべた。
「…!」
どきりとするような、綺麗な笑顔だった。
「ご自身のやりたいことをなさってみてください。殿下が思う以上に…皆、自分のことを優先して生きています」
「でも…アイラ様は、私のことを思ってくださいます」
「それは、リリアンヌ殿下だからです」
アイラが、小さく苦笑を漏らした。
「私は本来、もっと自分勝手な人間なのです」
「そんなこと、ありません」
リリアンヌは、すぐに首を振った。
「私も…アイラ様みたいに、誰かを助けられる人になりたい」
言いながら、どんどん肩が下がった。
「そう思うのですが…皆を巻き込んでばかりで…」
「…リリアンヌ殿下は、すでにたくさんの方を助けていらっしゃいますよ」
優しい声が、そっと耳に届いた。
「討伐の時も、兵たちを助けました。今まで作った薬によって、どれだけの騎士や兵たちが助けられてきたことか、分かりません」
「……」
「殿下…周りからの声を、受け入れてください」
まだ下を向くリリアンヌに、アイラが囁くように言った。
「殿下は、ご自身が思われているよりとても大切な存在です。ですからどうか、卑下するのはおやめください。…ご自身を、認めて」
「…自分を、認める」
リリアンヌは、伏せた目をゆっくりと上げた。
私を、認める。
周りからの声を、受け入れる――
今まで、何を言われてきただろう。
つらそうな顔を向けられるのは、どんな時だったか。
巻き込んでごめんなさいと謝った時に、
悲しそうな顔を向けたのは、誰だったか。
『リリアンヌ殿下も、私を信用してくれませんか』
『私を信用して、頼ってください』
ふと――大事な言葉が、頭をよぎった。
私は…
あの時、よく考えもせず――
「…長くお話してしまいましたね。今日はもう、ゆっくりお休みください」
アイラが、静かに席を立った。
「…アイラ様。今まで、本当にありがとうございました」
リリアンヌは立ち上がると、再びアイラにお辞儀した。
「…お会いできなくなってしまうことが、寂しいです」
「…そうですね。ですが、これからもお会いする機会はあります」
「はい、そうですね」
無事、“デューゼの森の悪夢”の時期を過ぎたら。
もう大丈夫だと確信できたら。
その時は霊拝師として、ここで生きていくことになる。
「その時は、どうぞよろしくお願いします」
「ええ、もちろんです」
アイラは、ふっと微笑んだ。
初めて会った時より、よく笑っている気がする。
確かに…人が笑っていると、嬉しい。
『あなたが笑えば、心が温まる』
私は、こんなにも大事な言葉を聞き流していた。
誰よりも信頼している人から貰った、大切な言葉を。




