焦りと孤独⑥
リリアンヌ視点
「え…あ、あれ…?」
リリアンヌは、きょろりと辺りを見渡した。
「…!」
先ほどまでウェイバーとゲイソンがいたはずの螺旋階段の脇に、
エドガーとアランフォースが立っていた。
「え…ええと」
「なぜ、デューゼの森を書き写している」
レックスは、もう一度鋭く尋ねた。
「…デューゼの森だけを、書き写していたわけではありません」
落ち着け。
悪いことは、何もしていない。
ちゃんと、許可も貰っている。
「ルイージ宰相からお借りして、国内の地図を書き写していました」
「なぜそんなことをする必要がある」
「地図を見せていただいて、この国の地理に興味を持ったのです。家でも学びたくて、許可をいただきました」
「エラドリオール邸にもあるだろ」
「いいえ。国全体が描かれた地図はありませんでした」
「欲しいなら、やる」
「えっ」
「別に、持って帰ればいい。同じ地図が山ほど城にある」
レックスは地図に目を向けたまま、事もなげに言った。
「で…でもルイージ宰相は、国家機密だから持ち出すことはできないとおっしゃっていました」
「誰かに見せるわけではないんだろ」
「…はい。そんなことはしません」
「それならいい。その下手くそな絵で地形を覚えられるよりは、ましだ」
「…!ありがとうございます…っ」
下手くそな絵と言われたことは、気になるけれど。
でも、これで地図問題も解決した。
「その代わり、目的を教えろ」
レックスは、ゆっくりと顔を上げた。
「お前は一体、何を調べている」
「…ですから、国内の地理を――」
「最近、随分と熱心にデューゼの森について調べているようだな」
「熱心…?私は、国内すべての情勢を学びたかっただけです」
つい先ほど、ルイージに食いついたことを言っているのだろうか。
「アイラにも、デューゼの森について尋ねたな」
「…!?」
リリアンヌは、ぎくりと肩を揺らした。
「一介の霊拝師が知るわけないだろ。あいつも、ポータスまでしか行ったことはない」
レックスは、表情を変えず淡々と続けた。
「……」
どうして、その話を…
「神聖な場所とされていることくらいは、知っていただろうが」
「……」
だって、あの時いたのは――
…ああ、そうか。
そんなの、ひとつしか考えられない。
「あそこは、不可侵領域だ。なぜそんな場所に興味を持っている」
「…本で、デューゼの森は精霊の住む神聖な場所だと知りました」
リリアンヌは、そっと口を開いた。
「もしかしたらスノウについて何か分かるかもと思い、アイラ様に尋ねました」
「……」
「あの…デューゼの森について調べることは、禁忌なのでしょうか?」
この国には、いくつもの禁忌があるとアイラが言っていた。
異形の存在の正体のように、
知ろうとするのも許されないことだったのだろうか。
「別に禁忌じゃねぇ」
レックスは、あっさりと答えた。
「気になることがあるなら、教えてやる」
「えっ…」
「神聖な場所と言っても、大昔の話だ。今は瘴気に溢れて、森も枯れている」
「…不可侵領域なのに、どうして瘴気で溢れていると分かるのでしょうか」
本当に、教えてくれるのだろうか。
「直接、目視できるからだ。ベルルム砦からでも、森が黒く覆われているのが十分見える」
「その瘴気が、森から溢れ出ることはないのですか?」
「過去四百年、一度もない」
「四百年より前は、どうだったのですか?」
「…さあな。文献も残っていない」
「……」
これは…
精霊狩りのことが関わってくるから、それこそ触れてはいけないのかもしれない。
「まどろっこしいな。何を調べている」
「私が調べているのは、精霊についてです」
リリアンヌは姿勢を正し、きっぱりと答えた。
「デューゼの森についてだけではありません。精霊に関わること、すべてです」
「加護を貰うと、精霊に興味が湧くとでもいうのか」
「…っ」
当たり前だ。
すんでのところで、その言葉を飲み込んだ。
「…この子とは、毎日一緒に暮らしています」
そっと、肩に乗るスノウの頭を撫でた。
「私にとっては、もう大事な家族です。ですから、どんな些細なことでも知りたいのです」
「精霊が消えてしまわないように、か?」
レックスは間髪入れず返した。
「…はい」
前に、勢いのまま言った言葉をまだ根に持たれている。
それでずっと返事を保留にしてきたのだから、当たり前だろう。
「いい加減、俺に協力する気になったか」
「……」
リリアンヌは目を伏せ、ぎゅっと拳を握りしめた。
デューゼの森へ行く気でいることを知ったら…
目の前の人は、どうするのだろう。
止めるのか。
馬鹿にして、一笑に付すのか。
少なくとも――行ってこいと言われる未来だけは、見えない。
「…分かりました。協力します」
「…あ?」
「陛下に協力します。白のちから以外に反応するかは、まだ分かりませんが」
リリアンヌは目を上げ、まっすぐにレックスを見つめた。
「……」
レックスは、わずかに目を細めた。
「ただ、来週からでもいいでしょうか。母に相談して、午後からの習いごとを調整したいです」
「…いいのか」
「十分、お時間は頂きました。何ができるかは分かりませんが、よろしくお願いします」
正座したまま、深く頭を下げた。
しばらく、沈黙が落ちた。
「…分かった」
レックスが、静かに立ち上がった。
「どう試すかは、考えておく」
「はい。よろしくお願いします」
「護衛は、下にいる。まっすぐ帰れよ」
「はい。…地図、ありがとうございました」
リリアンヌは前だけを見つめたまま、小さな声で答えた。
「…邪魔したな」
国王が、視界から消えた。
カン…カン…と階段を下りる音が遠のき――
やがて、静かになった。
「…っ」
ぽたりと、涙がこぼれ落ちた。
レックスはずっと前から、大聖堂で自分が何をしているか知っていた。
誰かが、報告していたということだ。
…分かっていたことだ。
アランフォースは、国王直属騎士団だ。
国王のための騎士だ。
報告しないと言ってくれたのは、白のちからについてだけだ。
何を、動揺しているのだろう。
そんなこと、とっくに分かっていたのに。
ルイージと、同じだ。
本当の意味で――自分の味方にはなり得ない。
「……」
ごし…と静かに目をこすった。
でも、これで心が決まった。
今週中に、王都を発つ。
ひとりでも、問題ない。
スノウがいてくれるのだから。
…ただ、最後に。
最後に――ひとつだけある心残りを、片付けてから行こう。




