焦りと孤独④
リリアンヌ視点
「デューゼの森はこの通り、かなり広大です。国土の十分の一を覆っています」
「…デューゼの森のさらに北側に、山脈もありますね」
リリアンヌは、山が描かれている部分を慎重になぞった。
「それは、“北の大山脈”ですね。大変険しい山で、登ることは不可能と言われています」
ルイージはすぐに答えた。
「…言われている?」
「ええ。そもそもこの山脈はデューゼの森を越えないと行くことはできませんから、麓へ着くことも不可能です」
「…どうしてでしょうか?」
「デューゼの森は、不可侵領域となっているからです」
「えっ」
「これはセスランディアだけでなく、各国共通の取り決めです。誰も、デューゼの森へ入ってはいけない」
「ど、どうしてデューゼの森へ入ってはいけないのですか?」
「…デューゼの森は、瘴気が溢れているからです」
ルイージは、ゆっくりと地図から顔を上げた。
「入れば瘴気に飲み込まれ、いずれ“虚ろ人”になります。
まあ…法律で定められていなくても、そんな場所へ足を踏み入れる者などいるとは思えませんが」
「デューゼの森が、瘴気で溢れている…?」
どうしてだろう。
今はまだ、精霊王によって瘴気は封印されているはずなのに――
「…何か気になることでも?」
「あ…い、いいえ。ごめんなさい」
しまった。
食いつきすぎてしまっただろうか。
「…デューゼの森はどの領にも属していませんが、パルミア領の最北端にある“ベルルム砦”で現地兵が森を護っています」
ルイージは、再び地図に視線を落とした。
「…森を、護っているのですか?」
「ええ。瘴気で溢れているとはいえ、デューゼの森は、精霊の住まう神聖な場所とされていますから」
「そう…ですか」
その話は、この間アイラから聞いて知った。
けれど不可侵領域だということも、瘴気で溢れている話もしていなかった。
知らなかったのだろうか…
「ただ、護ると言ってもデューゼの森へ近づくこともできませんから、実際は瘴気が溢れ出ないか、異形の存在が現れないかを監視する役割を担っています」
「…異形の存在が現れたことはあるのですか?」
リリアンヌは、ぱっと顔を上げた。
「いいえ。デューゼの森付近では、過去一度も確認されていません」
「……」
それならやっぱり、オーリアが封印しているのだろうか。
「…殿下、話を進めてもいいでしょうか」
「…あの、ルイージ宰相」
リリアンヌは、決意の込めた目を向けた。
「この地図をお借りすることはできますか?」
「……」
ルイージは何も言わず、じっとリリアンヌを見つめ返した。
「その…王族として、国内の地理を把握したいなと思ったのですが」
我ながら、無理のある理由だ。
「…お貸しすることは構いませんが、王城から持ち出すことはできませんよ」
「えっ」
「ここまで詳しい地理が書かれた国内全体の地図は、国家機密にあたります。
王族といえども、エラドリオール邸に持ち帰ることはできません」
「…たとえば、模写することも駄目でしょうか?」
「模写…?あなたがですか?」
ルイージは、そっと眉を寄せた。
「はい。…山や川の形を、模して書くだけでもいいのです」
「…それくらいなら構いませんが」
「では、今日の午後だけ貸してください。それから、図書室へ行く許可をください。模写し終わったら、必ずお返しします」
リリアンヌは、意気込むように言い切った。
「…理由を教えてはくださらないのですか?」
「ですから、王族として地理や他領のことを学びたいからです」
「…俺にはお手上げだな」
ルイージは目を伏せ、小さく溜息をついた。
「え…?ごめんなさい、何ておっしゃいましたか?」
「…いいでしょう。図書室へ使いの者を置いておきます。地図は、その者に返却してください」
「…!ありがとうございます!」
リリアンヌは、そっと安堵の表情を浮かべた。
良かった。
これで、地図問題も解決だ。
「…国内情勢の話をしていたはずですが。趣旨を戻してもいいでしょうか」
「はい。ごめんなさい」
鋭い声に、すぐに表情を引き締めた。
あまりにもデューゼの森について尋ねてしまった。
怪しまれないよう、他にもたくさん質問しよう。
実際、ひとりで北を目指すのなら、知らなければならないことはまだまだある。




