焦りと孤独③
リリアンヌ視点
「おはようございます、リリアンヌ殿下。遅くなって申し訳ございません」
大きな羊皮紙を抱えたルイージが、客間に入ってきた。
「今日は殿下のご要望通り、この国の情勢について学びましょう」
「…おはようございます、ルイージ宰相。今日もよろしくお願いします」
リリアンヌは羊皮紙に目を向けながら、ゆっくりとお辞儀した。
「情勢と一概に言っても、いくらでも説明すべきことはあります。
思いつく限り話をしますので、気になることがあったら質問してください」
「分かりました」
「それでは…さっそくですが、こちらをご覧ください」
ルイージが、大きな羊皮紙をテーブルの上へ広げた。
「これが、セスランディア王国全体が描かれた地図です」
「…!」
“物語”で出てくる地図と、まるきり一緒だ。
「ここまで詳しく書かれた国内地図は、まず王城にしかありません」
「どうしてですか?」
「必要とする者が、ほとんどいないからです」
ルイージがあっさりと答えた。
「現地に行けば、その周辺の地図は売っています。ですから、このように国全体が描かれた地図を使う機会は滅多にありません」
「でも…とても分かりやすいのに」
リリアンヌは、そっと地図の上部へ目を向けた。
北側には、しっかりとデューゼの森も描かれている。
「さて…どこから話したものか…」
ルイージはモノクルを押し上げると、地図の中央を指さした。
「まず王領は、国内の中心に位置します。ここが王都レイセントです」
「王都よりも、レイセント湖の方が大きいのですね」
慌てて視線を戻し、ルイージの指を追った。
「ええ。ご存知かとは思いますが、レイセント湖の東側には、あなたの叔父上、ダナン長官が治めているユゲラドリル領があります」
「ここですね」
「そうです。この点線の内側が、ユゲラドリル領です。このように、この地図には五十五の領が描かれています」
「セスランディアには、五十五の領があるのですね…」
そのことも、初めて知った。
「…他国と隣接している領は、随分と領土が広いですね」
リリアンヌは、徐々に地図の中央から北側へ視線を向けた。
「いわゆる、辺境伯と呼ばれる地方長官たちが治めている土地です。
北東にあるアッシカル領は、タッセント国と接していることもあり、王領に匹敵する兵力を持っています」
ルイージは、ちらりとその視線を追いながら答えた。
「アッシカル領の長官とは、あなたも昨年の精霊祭でお会いしていますね」
「はい、マシュー長官ですね。後から、王都まで三週間近くかかると知って、とても驚きました」
「それほどまでに、精霊に興味があったのでしょう。あそこもまた、信心深い者が多い領ですから」
ルイージは言いながら、北東から西に大きく指をずらした。
「それから、ここ――西のドーガ国に接するツァガ領もまた、大きな領です」
「…宝石の町アルジャがあるところですね」
西側の話になってしまった。
「よくご存じですね。アルジャまでは、王都から一週間ほどで行けます。
その行きやすさから、川の都スーゼルに次ぐ人気観光地となっています」
「一週間で、行きやすいのですね…」
どうしても、長旅に感じてしまう。
「それから…ツァガ領には、異種族を受け入れている村があることで有名です」
「…!」
思わず、はっと顔を上げた。
その話を、知っている。
「リリアンヌ殿下は、この国にどんな種族がいるかご存知ですか?」
「えっ…はい…人族と、エルフ族と、獣人族です」
この国に、ドワーフ族はいない。
「そうですね。ですが、エルフ族も獣人族も、現在はその姿を国内で見ることはあり得ません」
「あり得ない…?」
リリアンヌは、不思議そうに首を傾げた。
「まず先に、エルフ族ですが…彼らは、セスランディアのどこかに隠れ住んでいると言われています」
「はい。それは、聞いたことがあります」
“物語”でだけれど。
「最後に彼らを見かけたのは、四百年前とも五百年前とも言われています。
それ以降、誰も彼らの姿を見ていません」
「そう…ですね」
彼らが隠れてしまった理由も、いる場所も――よく知っている。
「それから獣人族についてですが、彼らはつい十年前まで、王都に何百人と住んでいました」
「…そうなのですね」
「それが…とある理由により、今はひとつの村でまとまって暮らしています。
その村が、先ほど話したツァガ領の中にあります」
「…はい」
そのとある理由も…知っている。
「前に、あなたにフラディン一族の話をしましたね」
「えっ?…はい、よく覚えています」
リリアンヌは、戸惑いながら頷いた。
スワハマ大教主の一族。
南一帯で、強い勢力を持っている一族のことだ。
「フラディン侯爵領は、王領の真南に位置します」
ルイージは、とん、と地図の南側を指さした。
王領や辺境伯領に次ぐ、大きな領だ。
「王領から繋がる街道は、フラディン領にある南の大都市ピラーリエで、東西南三方向に分かれます」
「それは…とても重要な場所ですね」
「ええ。王都へ続く南の交易路の中心地となっていますから、それはもう、目覚ましい勢いです」
ルイージは地図に視線を落としたまま、淡々と答えた。
「同じように、北側の重要な交易路の中心地となっている町が――ここ、北の大都市ポータスです」
「…あ」
一気に、話が北へ移った。
「どうしました?」
「あっ…ええと…ここはパルミア領なのですね」
「そうです。パルミア一族の話も、以前あなたにしましたね。北で勢いのある、“精霊の目を持つ一族”です」
「…そう呼ばれているのですね」
「鑑定士を多く輩出していることから、そう呼ばれるようになりました。
ここもまた、ホウレンベルク領に負けず大変信心深い領です」
ルイージは、パルミア領を指しながら説明を続けた。
「その一番の理由が、パルミア領は、デューゼの森への入り口となっているからです」
「…!」
リリアンヌは、大きく息を呑んだ。
話が繋がった。




