焦りと孤独①
リリアンヌ視点
「…そう、そこで綱を引く。はい、お上手です」
女性の調教師は、満足そうに頷いた。
「降りる時は、周りと足元を確認することを忘れずに。高さがありますので、十分に気を付けてください」
「はい、ベルタ先生」
リリアンヌは大きく足を開き、軽やかに地面へ飛び降りた。
「お嬢様、素晴らしいです。もう、おひとりで馬にも乗れてしまいましたね」
「ありがとうございます。この子が、大人しくて良い子だから」
よしよし、と馬の額を優しく撫でた。
「確かにその馬は教育用に躾られておりますが、大きさとしては平均的です。馬に乗れる十歳のご令嬢は、恐らくお嬢様くらいでしょう」
「…他の馬にも、乗れるかな」
「お嬢様なら、すぐに他の馬でも乗ることができると思いますよ」
ベルタは、優しく微笑んで答えた。
「…駆けることもできるようになりますか?」
「ええ。来年の今頃には、湖の周りを駆けることもできるようになっているでしょう」
「…来年」
「お嬢様、来週はポニーに戻って、障害物を使ってみましょうか」
「あっ…はい、お願いします」
「では、今日はここまで。お疲れ様でした」
「はい、ベルタ先生。今日もありがとうございました」
リリアンヌはベルタへお辞儀すると、すぐに馬場の入り口へ向かった。
馬場の外で待つ侍女が、門を開けて待っていた。
「お嬢様、お疲れ様です」
「ニア、お待たせ…!」
「すっかり、お上手になりましたね。まさか馬まで乗れるようになるなんて、びっくりですよぉ」
ニアは門を閉めると、そのまま屋敷へ向かった。
「う~ん…でも、やっとかな」
リリアンヌは首を傾げながら、ニアと並び歩いた。
「ポニーから初めて、たった一年で馬へ乗れるようになったのに、何を言っているのでしょう」
「そう…だね」
「最近のお嬢様は、本当にいろいろとなさりますね」
「ええ?乗馬と護身術は、一年以上前から習っているじゃない」
「また図書室にも通い詰めるようになってしまいましたし、奥様がご快復なさっても、まだ料理人のところへ顔を見せているじゃないですか」
「それは…また何かあった時のために、体に良さそうな献立を一緒に考えてもらっただけ」
「あれだけ苦手だったお裁縫の授業も、最近は随分熱心ですし。お部屋で、自習までなさっているでしょう?」
「最近は…楽しいの」
「まったく…お嬢様ほど忙しくされている令嬢を、他に知りませんよ」
「…ね、ニア!夕食前に、先に入浴してもいいかな?」
リリアンヌは、ぶつぶつ呟く侍女にかぶせるように言った。
「もちろんですよ。今日は、大浴場の方に行きますか?」
「そうだね。ゆっくりお湯に浸かりたいな」
「本当にお嬢様は、お風呂が好きですねぇ」
ニアはくすっと笑いながら、屋敷に繋がる扉を開けた。
「お帰りなさいませ、お嬢様。お待ちしておりました」
扉をくぐった瞬間、家令がお辞儀して出迎えた。
「ステファン、ただいま。待っていたって…どうしたの?」
「お嬢様に頼まれていた一式が、届きましたよ」
「…そう!」
リリアンヌは、ぱっと顔を綻ばせた。
「後ほど、お嬢様の部屋まで運ばせておきます」
「ありがとう、ステファン…!」
「とんでもございません。私は、ただ手配を進めただけです」
「いいえ。仕立て屋も紹介してくれたし、それに、何度も対応してくれたもの」
「それくらい…家令として、当然でございます」
「あと、お父様に秘密にしてくれてありがとう」
リリアンヌは、嬉しそうに付け足した。
「お父様が知ったら…きっと、心配してしまうから」
「…ええ、そうですね」
ステファンは、小さく笑って答えた。
「お嬢様、良かったですねぇ。楽しみにされていましたからね」
「うん…!ニアも、付き合ってくれてありがとう」
「お風呂から出たら、さっそく試着してみましょうか」
「そうだね。あっ…ステファン、本当にありがとう」
リリアンヌはもう一度礼を言うと、足を弾ませてニアと廊下を進んでいった。
「…申し訳ありません、お嬢様」
家令の小さな声は、届かなかった。




