この国の禁忌①
リリアンヌ視点
セスランディア大聖堂へ通うようになってから、半年――
父ロデオが、長期の遠征から帰ってきた。
「リリィ…!」
エラドリオール邸の前庭まで出迎えた娘を、ロデオは勢いよく抱きしめた。
「お、お父様、お帰りなさい…っ」
リリアンヌは、ぷはっと苦しそうに、ロデオの肩から顔を出した。
「元気だったか?誰からも、何もされていないか?」
「とても元気です…私は」
思わず、声が萎んだ。
「…とにかく、屋敷に入ろう」
ロデオはリリアンヌを抱え上げると、前庭を進んでいった。
「聞いたぞ。大聖堂へ週に一度、通っていると。なぜ、そんなことになった」
「…私から、申し出たのです」
「スワハマに、何か言われたのか」
「…いいえ。スワハマ大教主には、大聖堂で一度もお会いしていません」
リリアンヌは、小さく首を振った。
「それに、霊拝師様は良い方たちばかりですし、アランフォース副団長に護衛していただいているので、大丈夫です」
「お前の大丈夫だけは、信用できないからな…」
ロデオは眉を寄せながら、屋敷の入り口へ近づいた。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
家令のステファンが扉を開けて、二人を迎え入れた。
「ステファン、アヴェリーンはどこだ」
「庭園の方にいらっしゃいます」
「お母様と一緒に、庭園で休んでいたのです」
リリアンヌが付け足すように言った。
「そうか。ならば、このまま庭の方へ行こう」
ロデオはそのまま、庭園に続く廊下を歩いていった。
「お父様、しばらくは王都にいらっしゃるのでしょうか?」
「そうだな。少なくとも、精霊祭が終わるまでどこにも行かない」
「お父様も、精霊祭へ参加されるのですか?」
「大聖堂で祈りが終わった後は、町で公務だ。…む、すまない、お前は祭りのことを知らなかったな」
「いいえ。アイラ様に、詳しく聞きました」
精霊信仰では、人は命が尽きると、精霊へ生まれ変わるとされている。
死者が精霊へ生まれ変わった後、
先人の精霊たちに迎え入れてもらうため、人々は祈りを捧げる。
それが、精霊祭。
昼は町で、盛大に祝う。
精霊は、賑やかな場所が好きだと言い伝えられているらしい。
日が暮れると、ランタンを死者の魂に見立てて、空へと上げる。
町中の人が、全員、聖樹の方角へ向けて放つ。
「…お父様。私は精霊祭に――」
「可哀想だが、駄目だ」
言い切る前に、ロデオが首を振った。
「その日はルイージに頼んで、お前を登城もさせないようにする」
「そう…ですよね」
リリアンヌはそっと目を逸らし、正面に顔を向けた。
いつの間にか、庭園を見渡せるガゼボまで来ていた。
その下にいた母が、ゆっくりと腰を上げた。
「あなた、お帰りなさい」
「アヴェリーン…!立たなくていい」
ロデオはリリアンヌを下ろすと、すぐにアヴェリーンのもとまで駆け寄った。
「ステファンから報告は受けていた…まだ、本調子ではないのだろう」
頬へ優しく口づけし、心配そうにその隣へ腰を下ろした。
「心配をかけて、ごめんなさいね。この通り…もう、歩けるくらい元気になったわ」
「さらに痩せてしまったな…食事はできているのか?」
「ふふ…リリアンヌったら、すごいのよ」
「何がだ…?」
「私のために、体に良い飲み物や食事を考えてくれているの。この、ぽかぽか茶もそうなのよ」
アヴェリーンは言いながら、テーブルに置かれたカップへ目を落とした。
「霊拝師たちから、いろいろなことを学んでいるみたい」
「んん…そうか」
ロデオは、複雑そうな顔を娘に向けた。
「…霊拝師様は、いろいろなことを教えてくださいます」
リリアンヌは目を伏せたまま、そっと椅子に腰掛けた。
「今、あなたたちが精霊祭の話をしているのが聞こえたのだけれど」
アヴェリーンが、はたと口を開いた。
「この子も、大聖堂の祈りに参加するのではなくて?」
「…なんだと?」
ロデオの表情が一瞬で険しくなった。
「エレメア様が、“精霊祭は精霊が主役なのだから、リリアンヌは参加するでしょう”と、おっしゃっていたのよ。てっきり決まったことだと思って、衣装を用意してしまったわ」
「…確認が必要だな」
「……」
リリアンヌは、じっと二人のやり取りを聞いた。
正直…参加してみたい。
大聖堂に通うようになってから、霊拝師たちとはだいぶ仲良くなった。
彼女たちが祈っている姿を、見てみたい。
だけど今の状況で、自分の口から行きたいとは絶対に言えない。
「私が留守にしている間に、随分とリリィを好き勝手に扱ってくれたようだな」
ロデオが、苛立たしげに言った。
「一度…抗議を入れにいくか」
「いいえっ…お父様、本当に大丈夫です」
抗議を入れにいく相手は、国王だろう。
国王とは褒章授与式以来、一度も会っていない。
父に何かある方が、よほど嫌だ。
「よし…リリィ、明日は一緒に登城しような」
「はい。とても心強いです」
「でも、前のように、リリアンヌをあなたの帰りに合わせることはやめてくださいな」
アヴェリーンが、さっと口を挟んだ。
「なぜだ?」
「この子は今、忙しいのよ。午前は登城して、午後はここで習いごとをしているのだから」
「ああ…手配していたポニーは、届いたか?」
「はい。馬術の授業は、とても楽しいです」
リリアンヌは、ぱっと顔を綻ばせた。
「それに、護身術の授業もすごく為になります」
「…本当にやっているのか」
ロデオが、ふっと苦笑を漏らした。
「危ないことは、していないな?」
「護身術ではまだ、転び方や逃げ方しか習っていません」
「転び方…?それで意味があるのか?」
「はい…!すごいのですよ、お父様」
リリアンヌは、わずかに身を乗り出した。
「どうやって転べばすぐに起き上がることができるのか、どうやれば痛くないか、とても分かりやすく教えてくださるのです」
「ははっ…!分かった、分かった」
ロデオが、おかしそうに笑った。
「続きは、夕食の時に聞こう。…アヴェリーン、食べられそうか?」
「ええ。早くあなたに、リリアンヌ特製の料理を見せたいくらいだわ」
「お母様…私は提案だけで、作っているのは料理人たちです…」
「ふふっ…どこの令嬢が、献立を考えるのかしらね」
アヴェリーンは優しく微笑むと、ゆっくりと立ち上がった。
「さ…準備をして、食堂の方へ移動しましょう」
「私の腕に掴まれ」
ロデオが素早く立ち上がり、アヴェリーンを支えた。
「心配性ね…ひとりで歩けるわ」
「頼むから、私がいる時くらい甘えてくれ」
「もう…あなたったら、リリアンヌがいる前で…」
「……」
リリアンヌは静かに、両親の背に続いた。
父が帰ってきてくれて、本当に良かった。
母はここ数か月、体調を崩していた。
朝は起き上がれず、食べる量も減ってしまった。
療師が診ても、原因は分からなかった。
アイラが訪れ、白のちからを送っても良くならなかった。
ということは、精神からくる病だ。
精神からくる病は、白のちからでは治せない。
母は、良くなってきていると言うし、
実際、前に比べて顔色も良くなった気がする。
けれど――“物語”での母の死因は、衰弱死だ。
まだ、一年以上先の話だ。
そうは思うけれど、
着々と現実が“物語”に近づいているようで、どうしても心が落ち着かなかった。




